挿話 若菜遥は罪の告白をする。

 私はあの日、先週の金曜日、覗き見てしまったのだ。秋月くん――秋月悠あきづきはるの秘密を。


 その日は夏休み明け、始めて雨が降った日だった。残暑の厳しさと、雨が生み出す大量の湿気が見事なコンビネーションを決めた一日で、最悪な気分だった。

 髪が言うことを聞いてくれず、外ハネや内ハネがあっちこっちに跳ねていた。こういうものを無造作ヘアと呼ぶべきだろう。狙っているのなら、それは無造作とは言わない。

 そんなことを考えながら昇降口で学校指定のスリッパからローファーに履き替える。

 そこで気づく。これじゃ帰れない。

「傘、教室に忘れちゃった」

 独りごちった後、ローファーからスリッパに再び履き替え、二階にある、一年三組の教室へ向かった。

 隣のクラスでは既に花盟祭かめいさいの準備が始まっていて、賑やかだった。身長の低い、可愛らしい女子がキャーキャーと楽しそうだ。準備にはなっていなさそうに見えるけどね。

 一年三組の教室は既に無人で、天気の悪さも相まって、すごく寂しそうな空間に思える。

 誰のものかも分からないビニール傘が二本。そして私の紺色を基調とした、いたって普通の傘――強いて言えば「若菜遥わかなはる」と書かれたネームタグの存在だけは普通ではないかも――が傘入れに残されており、また一層この空間の寂しさを強調していた。

「あったあった、よかった」

 傘というのは人間の倫理観をおかしくする作用があるらしく、気を抜くとすぐに盗まれてしまう。盗んでいる人には、盗んだという自覚すらないのかもしれない。

 傘入れから自分の傘を取り出す。すると、ふと視界の端に主張の強い色を捉えた。

「あれは、ノート? 誰のだろ」

 教室の窓際、最後列から二列目の机に、オレンジ色のノートが雑に置かれていた。

「忘れ物、かな」

 気になって近づいてみる。

 ノートの表紙には「クラスメート」と書かれていた。

 こんなクラス冊子あっただろうか。一応、学級委員をしているがこんなのは見たことがない。

 深く考えず、ペラリと一ページ目を開く。そこにはかなり驚愕的な景色が広がっていた。

 タイトル欄には「相沢真奈あいざわまな」と書いてあり、その下の記入欄にはびっしりと彼女についての様々な事柄が書き記されていた。

 悪口の類は見つからない。むしろ、どんなことも好意的を捉えようと努力していることが伺える。

 その勢いのまま次のページを開く。その次のページを、さらに次のページもどんどんと開いていく。どうやら一年三組全員に対して一人一ページずつ書かれているようだ。

 いや、正確には、出席番号三番、秋月悠のページは存在しなかった。ということは、

「秋月くんのノートなのかな」

 秋月くんは、友達がいないというより、作らない。クラスの輪にも参加出来ないというより、参加しない。そういうイメージがある。

 前に学級委員として提出物について話したことがあるが、決して会話が出来ないというタイプではなく、なぜ一人でいるのか不思議だったのだ。

「なんでこんなノート作ってるんだろ。こんな事するくらいなら、喋りかけてくればいいのに」

 ペラペラとページをめくる内に、自分がどう書かれているのか、気になってしまった。

 自分のページを見つけ、息を呑む。覚悟を決めていざ!というところで、

 ハクション!

 廊下から男子のクシャミが轟いた。びっくりした拍子に視界が広がり、机の横に置いてあるカバンを見つける。秋月くんはまだ帰っていなかったのだ。

「ヤバっ」

 こんなノートを見たことがバレたら殺される。秋月くんも多分死ぬ。その惨事は避けなくては。

 ノートを閉じ、万が一のことを考えカバンで顔を隠しながら、急いで階段へ走り、そのまま駆け下りる。誰かとすれ違った気がするけど、誰だったのか確認する余裕はない。

 息が切れた。走ったからなのか緊張したからなのかは分からない。

「とりあえず……帰ろ……」

 その日はなんとなく、秋月くんの事を考えながら家に帰った。

吉田よしだ先生に相談してみようかな」

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