火曜日2 暇人は話を聞く。

「ん? なんか今日はみんな元気ないなぁ。九月もまだまだ暑いからな、熱中症とか気をつけるんだぞ。あとそれから――」

 ホームルーム中、教室にはいつもとは違う雰囲気が漂っていた。

 吉田よしだ先生に事件のことがバレていないか、みんな気にしているようだ。

「――それじゃ、今日も無理せずそれなりで」

 いつもの気の抜けた決まり文句が出た。これでホームルームは終わるはず。教室全体を包む空気が徐々に弛緩しかんしていくのを感じた。

「あ、そうそう言い忘れてた」

 立ち去る素振りを見せたのち、そう言ってくるっとこちらに向き直す。

 空気が再び、いやさっきまでよりも強く、張り詰める。ここにいる全員が耳に全神経を集中させているに違いない。バレていれば大事になり、一年三組の展示は中止になってしまうかもしれない。

「昼頃からいなくなるから、用事なら昼休み前までによろしくな」

 そのままホームルームは終わり、吉田先生は教室から、いつものように気だるげな歩き方で去っていく。お気に入りのサンダルが地面と擦れるたびに、気の抜けた音を立てていた。

 こんなときに限っていつもと違う動きをしないでくれよ。それなりに怖かったぞ。

 関心が強くあるわけではないが、初の文化祭でクラスの出し物がなくなるというのは、思い出としては寂しいものだ。

 みんなも同じような気持ちだったのだろうか、ため息がいくつも聞こえてきた。


 その後、吉田先生に代わり越川こしかわが黒板の前に立ち、若菜わかなさんについて、どこから得た情報か等の具体的なことは端折はしょりながら、結論だけを説明をした。ほとんどのやつは納得したようで、何人かは若菜さんに直接、謝罪までしていた。仲直り出来てよかったね。


 とても幸せそうに、ぴょこぴょこという効果音が似合いそうな歩き方で近寄ってきた若菜さんは、俺に向かって言った。

「越川くんもイジワルだよねぇ。もっと具体的に説明してくれれば、秋月あきづきくんも一躍人気者だったのに」

「いや、それはむしろ困るけど」

 越川は優しくて気が使えるからこそ、名前を出さないでくれたのだと思う。

 若菜さんは俺の返答が気に入らなかったようで、半分独り言のように、

「秋月くん優しいし、もっとみんなと仲良くすればいいのに」

 グサッと刺さる言葉。優しい、優しくないは関係ない。そもそも特別優しいわけでもないし。

「向き、不向きってのは、誰にでもあるんだよ」

「そうなのかなぁ、うーん」

 どうしても納得がいかない様子。話を変えたほうがよさそうだ。

「そんなことより水島みずしまさんのとこ、行かないの?」

「そうだった! 早く行こう秋月くん」

 若菜さんはいつも、話題の誘導にすぐ乗ってくる。好奇心の強さと素直さによるものだろうか。

 今日一日で三人から話を聞くなら、急いだほうがいいだろう。休み時間は割と短いものだ。


 最後列、窓側から二列目の自分の席に座っている水島さんは、越川を含むいつもの友達たちと行動しておらず、頬杖を付き、しかめっ面で窓から外を眺めていた。

 自分が犯人扱いした若菜さんのアリバイが証明された上、それを説明したのが友人であり、同じ文化祭実行委員の越川なのだから不機嫌になっても仕方ないと思う。

 そんなことはお構いなしに、若菜さんは声をかける。容疑をかけられた事自体は気にしていたが、それが誰によるものだったかは、そこまで気にしていないようだ。もしくはうちに秘めているのかもしれない。腹の底は分からない。

絵梨花えりかちゃん、おはよう。ちょっといいかな」

 本人には名前で呼ぶようだ。俺といる時の苗字呼びは、俺が分かりやすいように合わせてくれているのかもしれない。

「なに、謝る気なら、ないけど」

 水島さんは、ぐねぐねと手のかかりそうなセットがされた、肩甲骨辺りまで伸びる黒髪を掻き分け、厳しい目つきで若菜さんを捉える。髪色で怒られた割に普通の黒髪だ。染め直したのだろうか。

 若菜さんが相手だと気分を逆なでするだけのようなので、仕方がなく俺が前に出て、話を聞く。

「水島さんって、昨日の朝、何時頃に学校に来たか分かる?」

 若菜さんを睨んでいた目がギロッとこちらに向く。すごい威圧感だ。

「秋月? あんたまで、なんの用? あたし今、機嫌悪いの。ほっといてくれないかな」

 俺が話しかけてきた珍しさより、機嫌の悪さの方が上回ってしまったようだ。

「昨日の朝の登校時間だけ、教えてもらえればいいんだけど――」

 そこで質問の意図に気づいたらしく、俺が最後まで言い終わる前に、水島さんは答えを被せる。

「もしかしてあたしのこと疑ってんの!? 最悪、あり得ない! あたしはそんなことしてない。登校時間なんて教える理由も義理もない、絶対教えないから!」

 怒らせてしまった。

 水島さんは立ち上がり、廊下の方に身体を向ける。

 若菜さんが引き留めようとするも簡単に振り解かれてしまった。

 水島さんはそのまま教室から出ていった。


「どうしよ、絵梨花ちゃん、行っちゃった」

 若菜さんは、軽く涙を浮かべた目でこちらを見る。泣いている女性の扱い方など習っていない。

「とりあえず、今話してもかえって刺激することになっちゃうから、次行こうか」

 そう言ったはいいものの、黒板の上にある壁掛け時計を確認すると、もう一人から話を聞けるような時間は、なさそうだった。一時間目まで残り二分。

 俺の視線につられたのか、若菜さんも時刻を確認したようで、

「時間、ないね。どうする? 秋月くん」

 水島さんの場合が特殊な可能性もあるが、こんな感じで話が長くなることを考慮し、

「次は昼休みにしようか」

 そう若菜さんに伝え、チャイムが鳴る前に自分の席に戻り、残りの時間は授業の準備にあてた。

 水島さんはチャイムが鳴るギリギリのところで教室に帰ってきた。機嫌は悪いままだろう。


 一時間目、英語の授業はまったく集中出来なかった。誰より誰の身長が高いだの、誰が一番足が速いだの。中学校の頃にやったことがある気がしないでもない内容だったと思うが定かではない。

 それより考えていたのは、登校時間について聞いた時の水島さんの様子である。

 確かにあの状況じゃ、機嫌が悪いのは当然だと思うし、その原因の一端である若菜さんが話しかけて来たら、それは不愉快だろう。そこに追い打ちで疑いをかけられたら、それなりに怒るのも当然だ。

 でも本当にそれだけだろうか。なぜ、教えてくれないのか。疑われたくないなら、むしろハッキリと、登校時間を言ってしまえばいいのではないか。それで終わる話だ。

 なのに水島さんは言わなかった。単純に、感情的に協力する気にならなかっただけかもしれないが、引っかかる。水島さんは、なにかを隠している。そう直感がささやいていた。


 二時間目以降は、なんとか授業に意識を向け、得意な数学や国語には気合いを入れて取り組み、嫌いな社会ではまぶたの重さとの戦いに明け暮れた。偉人達の猛攻は凄まじく、必死に抵抗するも、我が眼輪筋がんりんきん軍はあえなく敗北。さすが、歴史に名を残すだけのことはあるようだ。


 そして、ついに昼休みになった。

 どうしてか頭がスッキリしており、気分がいい。これならいい聞き込みが出来るかもしれない。幸運に感謝する。

 約束どおり廊下で若菜さんと合流。若菜さんは俺とは違い、多少の疲労を感じさせる雰囲気。まるで長時間、勉強していたかのようだ。

「さて、江本えもとさんと真鍋まなべ、どっちから行こうか」

「うーん。怪しいってことで言えば、やっぱり真鍋くん、かな」

 気持ちは分かる。江本さんは静かで真面目そうなイメージ。対して真鍋はトゲトゲした不良的なイメージがある。

 悪い事をしそうなのはどちらかと聞かれれば、残念ながらほとんどの人は真鍋を選ぶだろう。だからこそ、出来れば真鍋にアリバイを聞きに行くのは後回しにしたい。怖いから。

 得意の誘導を試みる。

「い、いや、でも、ミステリー小説なんかだと、意外と物静かな人が犯人、なんて方があるあるだと思うんだ。悪そうな人がそのまま犯人だと拍子抜けだしね。それに江本さんの方が動機がハッキリしてるよね。真鍋くんはなんとなく怪しいってだけだし」

 一息で言い切った。さてどうだ…?

 残念ながら、若菜は目から軽蔑の意思を、これでもかと送ってくる。誘導失敗だ。

「……もしかして秋月くん、ビビってるの?」

 違う。断じてビビってるわけではない。ちょっと怖いのは確かだか、ビビるというのと怖いというのは全然違くて……、

「そのジトっとした目、やめて。なんかツラい」

 若菜さんは目を閉じ、一つ息を吐く。

「でもまぁ、江本さんの方が具体的な動機あるってのは本当のことだし、江本さんから行こっか」

 好感度を代償に順番を勝ち取った。これは間違いなく、誰がなんと言おうと、俺の勝ちである。


 江本さんは自分の席で一人、お弁当を食べていた。色とりどりのおかずと、ごまのかかったご飯、きっと手作りのものだろう。

 いつもはクラスメートの相沢あいざわさんと一緒にいる気がするが、今はいないようだ。相手が一人の方が話しやすい。チャンスだ。

 若菜さんは判断が早く、いつの間にか江本さんのいる席にたどり着いていて、話しかけている。

かえでちゃん、こんにちは。ちょっと話、いいかな?」

 珍しくテンションが低めで、声も抑えめな若菜さん。相手に合わせているんだろうか。ちなみに楓というのは江本の下の名前だ。

 江本楓えもとかえで――女子にしては身長が高く、かなり長いストレートヘアと度の強そうな眼鏡が特徴。少し猫背ではあるが、基本的には真面目な優等生という印象がある。

 しかし、授業中によく寝ていて注意されているということは、本来の江本さんは印象とは少し違った人物なのかもしれない。

 少し遅れて俺も到着した。しかしここは若菜さんに任せた方がいいだろう。女子同士の方が警戒もされにくいと思う。

「こんにちは、若菜さん。何か用?」

 江本さんは見た目通り、喋り方も凛としていて、やはり優等生のように感じられる。授業中に寝てしまうのも、何かのっぴきならない事情があるのかもしれない。

「昨日のことなんだけど、何時頃に学校に着いたか、覚えてる?」

「昨日? それなら、八時半くらいだったと思うけど」

 思うけどって、それ遅刻ギリギリじゃないか。

「失礼な質問でごめんね。それ何かで証明出来たり、する?」

 江本の瞼が一瞬、小さく痙攣けいれんしたように見えた。

「こちらこそごめん。証明は、出来ない。でも信じて欲しい。本当に八時半なの」

 信じて欲しいという言葉。質問の意図に気づいたのかもしれない。みんな察しが良いな。

 誰にとっても昨日の事件は、それほど印象深い出来事だったのだろう。


「あ、あのぉ……。そ、そこ……」

 ん? 後ろからかすれた小さな声がする。かなり低い位置からだ。

 振り返ってみると、そこには江本さんといつも一緒にいて、今日は珍しくいないと思っていた相沢さんが小さく丸まって、控えめにこちらを見上げていた。

 相沢真奈あいざわまなさんはかなり小柄で、昨日会った隣のクラスの佐々木さんよりも、さらに小さい。前髪が長くてこちらからは目がほとんど見えない。目に悪そうだが大丈夫なんだろうか。

「そ、そこ、座りたい……です」

 俺の立ち位置が悪かったみたいだ。すぐさまそこから横にずれる。

「あ、あぁ、ごめんごめん。ここ相沢さんの席だっけ」

「じ、自分の席じゃないけど、楓ちゃんとお昼食べるから、借りてる……の」

 相沢さんがちょこんと椅子に座り、コンビニで売っているような包装されたおにぎりを二つ机に置く。パッケージには何かのキャラクターが描かれている。コラボ商品だろうか。

「楓ちゃん、どうぞ、行ってきて」

 どこに、だろう。

 江本さんは立ち上がり方もシャキシャキとしていた。振る舞いまで本当に全てが美しく、猫背であることが少しもったいなく感じてしまう。

 江本さんが退席した後、そこに残った相沢さんに若菜さんが聞いた。

「どこに行ったの? 楓ちゃん」

「トイレ……。交互にいかないと席、取られちゃうから……」

 分かるぞ。他のクラスのやつとかが気づいたら占領してるんだよな。そうなったらどうしようもない。廊下を放浪して待つしかなくなる。

「あ、あの……。さ、さっき、楓ちゃんに聞いてた登校時間の話。八時半で間違いない、と思い、ます。」

 後ろで聞いていたらしい。まったく気がつかなかった。存在感まで小さい。

「何か証明出来ないかな、真奈ちゃん」

「出来るけど、出来ない……。でも、でもね、楓ちゃんは犯人じゃないよ、絶対」

 何を知ってるようだが、教えてはくれない。

 そして、犯人という言葉が出てくる以上、やっぱり質問の意図には気づかれているようだ。

 意図に気づかれているなら、これ以上聞けることはなさそうだ。

 若菜さんに目配せをして、相沢さんに挨拶を済ませ、立ち去ることにした。

「ま、待って、秋月くんと、若菜ちゃん。」

 相沢さんはまだ言う事があるようで、俺たちを引き留めた。

「あ、朝。水し……まさんにも同じこと聞いてたよね……?」

 若菜さんと二人で相づちを打ち、肯定の意思を示す。

「水し……まさんも、犯人じゃないと思う。理由は、言えないけど……」

 わりと衝撃的な発言だった。水島さんが犯人ではないというのもそうだが、相沢さんと水島さん、関係性があるとは思えない二人。とはいえ、名前は言い慣れてないようで毎回つっかかっている。一体どんな関係性で、なぜ犯人でないと分かるのか。教えてもらえそうにはない。

「ただいま、真奈」

 江本さんが戻ってきた。もうこれ以上付きまとうのはただの同級生として、越権行為だろう。

「じゃあ、俺たちはこれで。ごめんね二人とも」

 諦めきれないという気持ちを目で訴えてくる若菜さんを、無視して廊下へ引っ張って連れて行く。


 廊下に出ると若菜さんは早速、教室の方を指さしながら詰め寄ってきた。

「真奈ちゃん、何か知ってそうだよ秋月くん。もっとちゃんと話を聞いたほうがいいよ!」

 気持ちは分かるがあれが限界だ。

「あれ以上を求める権利は俺たちにはないよ。警察でも探偵でもなんでもないんだからね。善意や親切で答えてくれるのに、期待するしかないんだ。」

 今回はなかなか納得がいかないようで、何かブツブツと唱えている。呪文や呪詛じゅそでないことを祈るばかりだ。

「どうしても聞き出したいなら、相手が自分から言ってもいいと思える状況を作るか、言わざるを得ない状況を作るか」

「言ってもいい……、言わざるを得ない……。なるほど」

 解決策を伝えると呪文の詠唱えいしょうは止まった。殺されずに済んだようだ。


「よし、じゃあ俺もお弁当食べてこようかな。江本さんと相沢さん見てたらお腹すいたよ」

 俺の発言の本来の意図を瞬時に見抜いたのか、若菜さんは今一番俺が言われなくないことを残酷にも言い放つ。

「真鍋くんが、まだだよ?」

「……行かなきゃ、ダメ?」

「もちろん。容疑者の一人だもん」

 真鍋吏玖まなべりく、本日最大の敵と、相まみえることとなった。

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