月曜日2 暇人はついに出会う。

 扉を開けた若菜わかなさんは、俺の存在に気づいたようだ。驚いた時の反応とはこういうものだというお手本のような動きをする。目と口が大きく開かれている。そのままピタリと動きが止まった。しばらくして、徐々に正常な表情に戻っていく。教室に入るか否か、逡巡しゅんじゅんしているのかもしれない。

 その姿を見続けるわけにもいかないので、自分の机に視線を戻す。

 一体なんの用だろう。放課後の教室にわざわざ戻ってくるのは、明確な理由がある時だけだ。

 その後、結局入ることに決めたようで、若菜さんは教室に足を踏み入れた。

 特に言葉は交わさない。何度か事務的な会話をしたことはあるが、もちろん友達などではない。


 忘れ物を取りに来た、というのがこういう場合の大抵である。すぐに出ていくと軽く考えていたが、お目当ての物が見つからないのか、なかなか出ていかない。

 隣のクラスでは、文化祭の準備の真っ最中なのだろう。楽しそうな話し声が聞こえてくる。先程までより声のトーンが高くなっていることから、盛り上がりを感じられる。

 チラッと視線を上げると、若菜さんは教室の前方にある、雑多に教科書やら資料集やらプリントやらが入っている棚を一段一段、探っているようだ。忘れ物であれば自分の席を探るはずなので、別の用があるらしい。

 その後もあっち行ったりこっち行ったり、なかなか目的の物が見つからないらしく、教室中を荒らして回る若菜さん。

 な、長い……。若菜さんが教室に現れてから十五分はこの状況だ。体感的には一時間は経ったように思える。時間に対する感覚は相対的なものであると再確認させられる。


 これはもう手伝った方が早いんじゃないだろうか。気まずさに限界を感じた俺は、声をかけてみる事にした。なんと勇敢な俺。

「あの――」ガシャン!

 勇気の発声は、若菜さんの立てた物音にかき消された。

 心が折れそうだ。それでも、一度声をかけたのは事実。もう一度同じことをすればいいだけだ。今度こそ、

「あ、あの、若菜さん、何を探しているの?」

 急に声をかけられてびっくりしたのか、若菜さんが小さく跳ねる。ナチュラルにリアクションが大きい人なんだろうな。そして若菜さんが振り返り、目が合う。

「こんにちは、秋月くん。ポスター、どこにあるか知ってる?」

 ポスター、モザイクアートの事だろうか。だとしたら、とても気まずい。

 あの事件の後、若菜さんとモザイクアートの話は誰だってしたくはないはずだ。

 それでも無視するわけにはいかず、答えた。

「モザイクアートだよね……? それなら実行委員のどっちかが持っていったと思うけど」

 また何かあったらマズイし、と言いそうになってギリギリ踏みとどまった。

 俺にもデリカシーが人並みに備わっていたようで安心した。

 これ以上、気まずくなるのはごめんだ。

「そっか。ごめんね、気まずいよね」

 俺の心を読んだようなことを言う若菜さん。そして本当にその通りだ。


「ポスター、なんとか直せればと思って来たんだけどね……」

 直すといっても、テープで貼り付けてどうにかなるような状態ではなかったが、どうするつもりなんだろうか。

「ないのかぁ、困ったなぁ」

 恐らく、無事だった二作品は保管場所を移し、もう一作品は校外で処分されたんだと思う。

「わざわざ何とかしようとしてるってことは、やっぱり若菜さんがやったわけじゃないんだね」

 なんとなくそう感じたのだ。

「秋月くんは信じてくれるの?」

 信じる、という言葉が相応しいのかは、よくわからない。

「なんの根拠もないけどね。普段の生活態度からして、こんな事しそうじゃないなって」

「でも、直そうとするフリかもしれないよ? 秋月くんにその様子を見せて、証言させようって作戦かも」

 なるほど鋭い。でもそれはなさそうだ。

「若菜さん、さっき教室に来たとき、俺を見てびっくりしてたし、それはないかと」

 それに証言者が俺じゃ、なんの効力も期待出来ないだろうしな。

「すごいね秋月くん、賢い」

 昼休み以降、若菜さんの笑顔を初めて見た。満天の笑顔ではないんだろうが、多少でも表情が和らいだのはいいことだと思う。


「そういえば、秋月くんは教室で何をしているの? 」

 何をって、何もしてない。そんな質問に対して適切な言い訳を準備していないので、素直に答えるしかない。

「何もしてないよ。ただぼーっとするのが好きで」

「そうなんだ、ぼーっと、か」

 明らかにリアクションに困っている。

 ごめんな、何もないんだ本当に。


「じゃあ、ポスターないみたいだし、帰ろうかな」

「そっか、色々あるけど無理しないようにね、若菜さん」

「うん、ありがと――」

 ……? 若菜さんが止まった。充電式だったとは知らなんだ。

「あの、大丈夫?」

 再び動き出した若菜さんは、先ほどの笑顔とは違う種類の、子供がイタズラを思いついた時のようなニヤリとした笑顔を浮かべた。

「じゃあね! はるくん」

 急に下の名前で呼ばれた!? なんなんだ! と思ったが、すぐ理由に行き着く。

 若菜さん――フルネームは若菜遥わかなはる。つまり、下の名前の音が同じなのだ。

 急な名前一緒ジョーク。にしても急すぎて、何がなんだか。イタズラが好きなのかもしれない。意外な一面を見た。

 俺の動揺した反応を見て満足したのか、若菜さんは扉の方に向き直る。


 ガラガラ!

 またしても扉が開く。今日は我が放課後教室同好会(非公式)に来客が多い。勘弁してほしい。ここは安らぎの場なんだぞ。

「あ、いたいた! 若菜!」

 私は快活な人間です、と自己紹介するような、明るく大きな声がした。その方向に目を向けると、文化祭実行委員の越川こしかわが、軽く息を切らしてそこに立っていた。若菜さんのことを、大分探し回っていたのかもしれない。

「若菜さん、やってないんだろ? 無実を証明しよう!」

 何か証拠でもあるのか、俺の存在に気づいていないであろう越川は、自信満々に胸を張った。

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