月曜日1 暇人は過去を振り返る。

 放課後の教室というのは、なんて素晴らしい空間なのか。

 一時間前までは人がごった返し、未だ夏の粘り腰は続き、気だるい暑さが充満していた教室が、今は自分と優しい夕焼けだけの空間に早変わりだ。


 高校に入学してから初めての文化祭を週末に控えた月曜日、俺――秋月悠あきづきはるはいつも通り、放課後の教室を独り占めにし、至福しふくのひとり時間を堪能していた。

 昼間の喧騒けんそうから解放され、ゆったりと流れる時間の中、外の景色を眺めるもよし、部活動に性を出す青春の人たちを観察するもよし、借りた本をダラダラと読み進めるもよし、自分の頭の中に集中することもありだろう。何よりも、ただボーっとすることが、至高ではあるが。

 とにかく、素晴らしい空間なのだ。

 決して居残りをいられているわけではない、家に帰りたくない理由があるわけでもない。

 帰り道に喫茶店に寄るというのも一つの手ではあるが、他の客がいるため、完全に一人になることは難しいだろう。

 つまり、俺はひとりでいるのが好きなだけだ。

 集団が、喧騒が苦手な俺にはこういう安らぎの時間が必要なのだ。

 好き嫌いと得意不得意は別物だ。人と関わることが嫌いなわけではない。ただ、どうしても疲れてしまう、不得意、なのだ。


 この孤独は自分で選んだものだ。気に入っているし、自分らしい生き方だと思う。でもどうだろう。このままで、いいんだろうか。少しずつ、過剰に疲れずに社交をこなせるよう、努力はしていこうと思っている。

 とはいえ、今は安らぎの時間だ。少し隣のクラスがうるさいが、そこまでワガママは言えない。ここ以上の空間は、なかなかないのだ。最大限、安らぎを堪能しよう。

 今日はいつにも増して気まずく、騒がしい一日だったので、いつにも増して安らぎを求めている。


 事件があったのだ。

 手元にあるそろそろ佳境といった、後半のページに栞を挟んである小説からタイトルを拝借はいしゃくし、「モザイクアート殺人事件」とでも名付けようか。

 うちのクラス――一年三組は文化祭でモザイクアートポスターを展示するつもりだった。今でもその予定は変わらないが、少し変更があるかもしれない。

 今日の昼休み、三つあるモザイクアートの内一つが凄惨せいさんな姿で発見されたのだ。到底展示出来る状態ではなくなっていた。

 せっかくなので振り返ってみようと思う。


 ――――

「参ったなこりゃ。みんなこっちを見てないな」

絢星あやせくんのカリスマ性が足りないのよ」

 教壇にいる男女二人の会話を、俺だけは聞いていた。

「はーい。みんなー。話するよー」

 手を叩き注目を集めようとするが、誰も気づかない。

「マジか、こいつら……」

絵梨花えりかもダメじゃんか」

 男の方が発したその言葉が、随分気に障ったのか、女の方は強引な手段に出る。

 次の瞬間、爆弾が爆発したと勘違いしてしまいそうなほど強烈でよく響く音が、教室前方から発生する。俺はそちらを見ていたので、何が起こったかは分かっている。教卓を両手で思いっきり叩いたのだ。あれだけ振りかぶったのだから、手にはかなりの痛みがあるはずだ。

 一気に静まり返る教室。隣に立つ男子も驚いてはいたが、俺と同じく一部始終を見ていたため、他のやつらよりかは素早く気持ちを回復させている。そのチャンスを逃さぬように、そして氷った空気を溶かすために、大きく息を吸い込み、男は話を始めた。

「わざわざ貴重な昼休みに集まってもらってごめんな」

 話を始めた男こそが、うちのクラスの文化祭実行委員、越川絢星こしかわあやせだ。

「文化祭で展示するモザイクアートポスターが届いたから、みんなにお披露目出来ればと思ってな」

 そこからはもう一人の実行委員であり、先程の爆撃の犯人である水島絵梨花みずしまえりかが、強引な笑顔を顔に貼り付け、異様なテンションで、話を引き継いだ。

「みんなも早く見たいでしょうし、早速見ていきましょ!」

 二人はとても整った見た目をした人たちで、友達もろくにいない俺とは、遠い世界の存在だ。あまりそういう考え方は好きではないが、いわゆるカースト最上位というのに相応しい二人だ。


 越川が丸まったポスターから輪ゴムを外し、自分に向けて広げて確認する。

 確認を終え、こちら向きにひっくり返しやすいように持ち替えてから説明を始める。

「まずはこれ、みんなの小学校時代の写真を集めて作った――」

 どんなコンセプトなのかは知らないが、クラス全員の小学校時代、中学校時代、そして最近の、つまり高校入学以降の写真それぞれで一つずつ、合計三つの作品を作ったのだ。

 一作目は小学校時代の写真を使って文化祭――うちの学校では校名に由来して花盟祭かめいさいと呼ぶらしい――の公式ポスターを再現したものだった。テーマは「童心に帰ろう」だそうだ。

 じゃん! という越川の掛け声と同時にお披露目されるポスター。

 想像以上に出来がよく、歓声があがる。

 前の方の席のやつは、自分の写真がどこに使われているのかを探して盛り上がっている。

 あいにく、後ろの方の席からではその盛り上がり方は出来ない。遠目には、モザイクアートとは言われなければ分からない。

 専門店に頼んだだけのことはある。偉そうにもそう感じてしまうクオリティだった。

「結構すごいよな、店のおじいさんに感謝しなきゃな」


「次、どっちにする?」

 水島さんが越川に聞く。

「どっちでもいいけど、アレはやっぱトリじゃないか?」

 そんな相談を経て、次に発表する作品が決まったらしい。

 今度は水島さんがポスターを手に取り、輪ゴムを手際よく外す。

「次は……こっち! 最近のみんなの写真で作った校舎全体を写したやつ!」

 花盟学園校舎が斜め上から撮られている物だ。改めて見ると、こんなに大きな建物で生活している実感は感じられない。俺の普段の移動範囲が狭いからではない。決して。

 こちらのテーマは「現在、日常の姿」だそうだが、わざわざテーマを設定する必要、あるんだろうか。気分が乗るんだろうな。きっと。


 なんてどうでもいいことを考えていると、最後の作品を見せる順番になっていた。

「いくよー? 見せちゃうよー?」

 水島さんはニヤニヤと笑みを浮かべ、発表を焦らす。

 理由はすぐに分かった。みんなもきっと分かっているだろう。

 三作目は中学校時代の写真を使い、我らが一年三組の担任教師、吉田よしだ先生の肖像画を作ったのだ。上半身のみが大きく写り、両手で本を開き、それを読み上げている吉田先生らしさ全開の写真をベースにしていたはずだ。

 何故そんな題材にしたのかというと、モザイクアートを提案したのが吉田先生だったのでそれに対する感謝。普段のあれこれに対する感謝。そしてなによりもイジり。といったところだろう。実際、吉田先生はいい先生だ。

 ちなみにテーマは「過去から現在、導き」。


 ついに焦らしに耐えられなくなったやつの声がどこからか飛ぶ。

「もう我慢出来ない! 早く見せてくれよ!」

 それを聞いた水島さんは、その反応を待ってましたと言わんばかりの様子で、こちら向きに一気に作品を広げてみせた。と思ったがなぜか作品が2つに分かれ、丸まってしまった。全部で三作品だったはずだが。

「あれ? 絢星、全部で三作品だよね? なんで四つもあるんだろ、おまけ?」

 越川も分かっていないのか、なんの反応も起こさない。

「まぁ、いいや、とりあえずこっちを見――」

 次の瞬間、水島さんが反射的にポスターを投げ捨てる。虫でも付いていたんだろうか。

 それを拾ったクラスメートの男子が中を確認し、すぐさま、引きつった表情を作る。

「みんな、これ、見てくれ……」

 恐る恐るといった感じで、教室全体に見えるようにそれを広げる。

 すると、なんとそこには首のない死体があった。もちろんモザイクアートの、だが。

 しかも、ただ首がないだけでなく、手首のあたりには、血を想起そうきさせるような赤いインクがぶちまけられていた。

 まだ誰もが目の前の現実を理解出来ていない。あまりにもショッキングな絵面なのだ。

 しかし、いち早く何かを察した様子の水島さんが、手元に残っていたもう片方を、こちらに見えるように広げる。

 そこには、吉田先生の首から上の、頭部だけがあり、生気のない目は虚空こくうを見つめていた。なお、もちろんモザイクアートの話なので、生気がない目をしているのは吉田先生由来であり、いつもということだ。

 ただし、おでこのあたりにぶちまけられた赤いインクが、いつもの吉田先生とは大きく違う点だった。

 つまり、首が両断され、手首と頭を中心に血しぶきが広がっている。さすがに即死だろう。


 水島さんは力が抜けてしまったようで黒板に寄りかかって、口に手を当て、プルプルと震えている。何かを呟いているようだが、さすがに聞こえては来ない。

 越川は呼吸が乱れており、動揺しているのがよく分かる。それでも気丈きじょうに振る舞おうとしているようで、肩が上がっていて、力が入っている。

 悲鳴すら上がらない異様な空間。

 しばらくの間、誰も何も言わなかった。


 沈黙を破ったのは、どこからともなく聞こえてきた「犯人、誰だよ」の一言。

 こういう時、どうしたって始まってしまうのが犯人探し。

 なんの根拠もなく「お前だろ!」「あたしじゃない!」「そんなお前こそどうなんだ!」と結論のない言い合いが始まる。

 不毛だとは思うが、状況が状況だ。仕方がない。

 そして少し冷静さを取り戻した様子で、何かを考えていたらしい水島さんが「思い出した……!」とそれなりに大きな声で言った。

 おびえた表情から一変いっぺん、怒りの表情で、こう叫んだ。

若菜わかな、あんたがやったんでしょ!」

 若菜さんに向けて、教室全体から注目が集まる。

 もう既に犯人だと決め込んでいるのか、侮蔑的な目を向ける者もいる。

 若菜さんは突然のことで驚いたのだろう。椅子からガタッと音がするほど、座ったままの姿勢でとび跳ねた。後ろ姿からも、かなり動揺していることが分かる。

 若菜さんとは、うちのクラスの学級委員だ。才色を兼備しており、ハーフアップの髪型が真面目さと可愛らしさを象徴している。特定のグループには所属せず、臨機応変に様々な人と交流と取るタイプで、どちらかというと明るい人というイメージだ。

 こんなことを、しそうにもないタイプに思えるが。


「あたし見たのよ! 吉田先生とあんたが言い合いしてるところ! 何かあったに違いないわ!」

 越川は隣で暴走する水島さんを止められず、なす術なしという感じで立ち尽くしている。

 若菜さんは弱々しく、それでもハッキリと言い返す。

「確かにちょっと言い合いはしたけど……全然関係ないことで。それに、こんなこと私はしないよ」

 水島さんは引き下がらない。より語気を強めて追撃する。もう若菜さんが犯人だと決めつけているようだ。

「じゃあ何を話していたの!? 言ってみなさいよ!」

 若菜さんはクラスを見回した後「それは……」と言いにごる。

 一瞬目があったような気がするが、偶然だろう。

「言えないってことはそういうことでしょ! 最低っ!」

 会話を続けることを拒否するような物言いだ。教室を見回し、その空気に耐えられなくなったのか、水島さんは教室から出ていってしまった。

「ちょっと待てって絵梨花! 」

 越川は水島さんと若菜さんを交互に見たあと、対処するべき優先順位を決めたのか、水島さんを追いかけるように教室から走って出ていった。

 実際、こういう場面で何かを隠す人間に勝ち目はない。やっていなかったとしても、だ。そういうものなのだ。


 次第にクラス中が騒がしくなる。具体的なことは聞こえないが、おそらくこの事件のことや、若菜さんについて、もしくは水島さんについての話をしているのだろう。

 若菜さんは何をするでもなく、自分の席に座ったままだった。いつもより明らかに元気がなく、うつむいていた。


 俺はこんな時にも、ただの傍観者だった。


 ――――

 と、振り返りが終わり、意識が教室に戻ってくる。そこはいつもの安らぎの空間だった。

 先程よりは暗くなってはいたが、電気をつける必要がないくらいの明るさはまだある。隣のクラスや、窓越しに見えるグラウンドから聞こえてくる騒がしさも、健在だ。

「どうしたら良かったのかなぁ」

 あの状況で出来ることなんてない。それは分かっているが、なんとも言えない心苦しさがある。

 ぶつぶつ呟いていると、ガラガラガラと音を立て、教室の扉が開いた。

 音につられ、扉の方向に目を向ける。

 そこに立っていたのは渦中かちゅうの人、若菜さんだった。

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