底辺の気晴らし

三鹿ショート

底辺の気晴らし

 私は、己が大した人間ではないということを自覚している。

 他者の目を引くほどの美しさを有しているわけでもなく、誰かを感心させるほどの優れた能力の持ち主でも無い。

 私の人生は波風が立つこともなく、この世を去るまで退屈な毎日を過ごすことになるということは、覚悟していた。

 だが、彼女は異なっていた。

 彼女もまた、私と同じような人間だったのだが、優秀な存在ではないにも関わらず自尊心だけは一人前であり、馬鹿にされると怒りを露わにする。

 見下されることに対して腹を立てている一方で、自身を向上させようという意志が無いために、私は彼女ほど我が儘な人間を見たことがなかった。

 そのような人間と関わることは避けたかったのだが、彼女が一方的に私のことを良き仲間として認識しているために、逃げることができなかったのである。

 彼女と距離を置くには如何すれば良いのか、私はそればかりを考えていた。


***


 自分でも驚いたのだが、私はとある女性から愛の告白をされた。

 理由を訊ねたところ、私の優しさに惹かれたということだった。

 私が他者に対してそのような言動を繰り返すのは、せめて他者から嫌われることは避けようと考えていたためであり、眼前の女性を特別に扱っていたわけではない。

 しかし、私という人間を認めてくれる存在が出現したことに、喜びを隠すことができなかった。

 だからこそ、私は何が起ころうとも恋人を大事にしようと考えたのである。

 その考えを持った上で行動を続けた結果か、やがて我々は結婚するに至った。

 子どもも誕生し、私は自分が想像していたよりも遥かに幸福な毎日を過ごすようになっていた。

 この世を去るまでこの生活を続けることが出来れば何よりだったのだが、私には彼女という厄介な人間が存在しているのだった。


***


 私が結婚し、子どもを得たことは、彼女にとって面白いことではなかったらしい。

 居酒屋で食事を共にする際、彼女は常に私の付き合いが悪くなったと不満を口にするようになった。

 彼女がどのような人間であるのか、そして、私が裏切ることは無いということを知っているために、妻は彼女と二人で食事をすることに対して抵抗感を示すことはなかった。

 彼女はそのことも面白くなかったために、私の妻や子どもの悪口を吐くことがあったのだが、私は彼女を殴ることなく、耐えることを続けていた。

 何時までも成長していない彼女に呆れていたのだが、何時しか彼女はたわい無い会話をするようになった。

 他者の悪口を吐くこともなく、最近の出来事や学生時代の思い出などを話すばかりだったのである。

 私がその変化に疑問を抱いていることに気が付いたのだろう、彼女は理由を教えると口にすると、私を自宅まで案内した。

 彼女の両親はこの世を去っているために、今は彼女一人だけが実家で生活しているらしい。

 彼女は階段の下に存在している扉の前に立つと、私に手招きをした。

 扉を開くと、彼女が地下へと向かっていったために、私はその後を追う。

 やがて、彼女が笑顔で示したものは、目を疑う光景だった。

 其処には、年端もいかない少年少女が幾人も存在していた。

 いずれも下着姿であり、何日も入浴していないのか、室内には異臭が満ちている。

 彼女は虚ろな目をした少年少女の一人に近付くと、その髪の毛を力強く掴んだ。

 少年は痛みに対して一瞬顔を歪めたが、即座に無表情に戻った。

 目を見開く私に向かって、彼女は自慢げに語った。

「これまで私は常に他者から見下される日々を送っていましたが、肉体的に成長した今、私よりも劣っている人間が存在していることに気が付いたのです。ゆえに、私がこれまでされていたことを彼らに行うことで、私は鬱屈した気分を晴らすことが出来るようになったのです」

 嬉しそうな表情から察するに、それは彼女の本心なのだろう。

 自らを高めることもせず、弱者である自分よりも劣っている人間を虐げることで気分を晴らすとは、彼女という人間がどれほど劣悪な人間なのかを思い知った。

 あまりの酷さに言葉を失っていると、彼女は少女の一人を指差し、

「この件を黙っていてくれるのならば、好きに扱って構いません」

 私はその言葉に対して首を横に振った。

「今日はそろそろ帰宅する。今度、厄介になるとしよう」

 私がそう告げると、彼女は頷いた。

 衣服を脱ぎ始めた彼女を置いて、私は彼女の自宅を飛び出した。

 そして、そのまま然るべき機関へと向かった。


***


 聞いた話では、逮捕されそうになった彼女は、制服姿の人間たちの前で、自らの首に刃物を突き立て、この世を去ったらしい。

 その結果、捕らわれていた少年少女だけではなく、私もまた、彼女から解放されたということになる。

 だが、私は恐ろしさを感じていた。

 一歩間違えれば、私もまた、彼女のような道を歩んでいた可能性が存在するからだ。

 自分という人間を理解することがどれほど重要なのかということを、私は身を以て知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

底辺の気晴らし 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ