支配され欲

@stone28

支配され欲

小山駅構内、10番線ホームに彼女はいた。

右へ左へ行き交う人々とは対照的に、そこにしっかりと立っていた。

無意識の内ではその大きな流れに身を任せてみたいと思っているのだが、彼女はそれに気づいていない。

私たち観客は彼女に近づいていく。その背中からは強くあるべきだという、自分の意思ゆえか、人から言われたからなのかはっきりしないものが伝わってくる。


やがて電車は来た。

彼女にとって移動とはギャンブルであった。電車であろうが車であろうが、ある確率で事故に遭う。しかし、生きるためには外出をして稼ぎにいかなければいけないし、買い物をしなければいけない。もちろん、彼女はその思想のせいで引きこもるということはない。ただ世の人が言うギャンブルは良くないということが、不自然に感じる程度だった。


「ある確率で死ぬ。今の自分があるのは周りの人のおかげだ。もし死んだらどうなる?」

彼女にはそういった終わらない連想ゲームの癖があるおかげで、暇な時間に光る板でニュースを見る必要もなかった。


彼女に暇はない。常に何か考えているか、一週間のスケジュールを決めている。

スマホのカレンダーが予定でびっしり埋まった時が、彼女にとっての至福の瞬間だった。

隙間がないということに、一種の幸福を見出していた。休憩の時間さえ決まっていた。

先が見えない不安は彼女にとって最大の敵だ。客観的に見れば、予定を埋められるといってもせいぜい一週間、一ヶ月程度のことで、人生80年のこの時代にしてはあまりにも小さなサーチライトなのだが、彼女の病的な不安に対しては、最善の解決策と言える。


行き先のわからないドライブよりもよっぽどいいこの電車という予定に縛られた乗り物に乗りながら、決まった時間に学校につき、決まった時間に帰る。それが私の幸せなのだと彼女は思った。


いつも座っている席に座れなかったことを少し不愉快に思いながら、バスは学校に着いていた。

道中で料金を準備していたおかげでスムーズに降車し、8時40分ちょうどに教室に着いた。


恐ろしいことに、この性格を持ってしても友達はいるようである。

彼女は自分の習性が他人とずれていることに気づいていた。だから友達にバレないようにスケジュール通りに毎日を過ごし、今日まで暮らしてきた。


あまりにも現代は、彼女に適しすぎているのだ。定時に来る公共交通機関、希薄な人間関係、整った医療機関。お金さえあれば他人を意識しすぎなくても暮らしていける現代の日本という環境は、まさに彼女のためにあるかのように存在している。


一つ、彼女が自分でも諦めているものがある。

それは彼氏を作ることだ。


もちろん完全に諦めているわけではなく、この高専という男女8:2の環境に身を投げたのも、どこか心の中で希望を捨てきれない部分があるからであった。

薄々気付きつつある自身の将来の不安定さを、唯一漠然と解決してくれるかもしれない存在、「パートナー」。

しかし、ご存知の通り彼女は現在人に合わせる生活ができるような人間ではない。

彼氏ができようものなら、必ず今の生活は壊れる。その確信があった。


宝くじが当たったら、その人の人生はどうなるか?間違いなく、壊れる。それを想像することは容易い。

彼女にも、その瞬間がやってきた。


「何してんの?」

定期テストに向けて面白くもない基礎数学の教科書やらをテーブルに広げて勉強していた彼女が顔を上げると、そこには男の顔があった。

彼女の頭の中では目の前の男の情報探しが急ピッチで行われていた。

そこそこ顔立ちのいいその男は、学生間の噂情報網の中では頻繁に話題に出てくる男だった。

振るのは決まって女側で、なんでも全くいうことを聞かず、常に服従状態にさせられるのだそうだ。

そのことを思い出した彼女は、意味もなく身構えた。

「勉強ですよ。普通に。」

身構えた結果、無意味な壁が間に立った。彼女の悩みが悩みだけに、言葉の真意を他人が知ったら「勘違い女」だとやじられてしまいそうな態度だった。

「放課後さ、カラオケ行かない?」

「え」

考える時間欲しさに何か間を作る言葉を言おうとしたが、情けないひらがな一文字しか出なかった。ここが面接会場だったら、減点されていただろう。

今目の前にいるのは、面接官ではない。何をいったら正解なのか、全くの見当もつかない。

「カラオケ」という単語に、どんな含みがあるのか真っ先に考えた。

「他に誰か連れていくの?」

「いや。特に誰も」

彼女の中で、自身も信じられない選択がなされた。ほぼ無意識に。


気づけば彼女は一曲も歌わず、小さな部屋の中に閉じ込められていた。

自然と頭の中は、いろいろな考えでいっぱいになっていた。全てが予定にない。羅針盤も渡されず、急にポンとどでかい海に投げ出されてしまった。

精神と身体が分離したような感覚でいた。勝手に動く身体に、俯瞰で精神が怖がっている。そんな感覚だった。

「付き合わない?」

「いいよ」


今までが旅行だとしたら、いきなり旅になってしまった。

予定を立て、それに従って動く。ハンドルは完全に自分が握っていた。しかし、そんな人間が旅に出て、まともに歩けるわけがない。

今は彼が握っている。助手席で行く末をぼーっとみていればいい。そんな気がした。

その恐怖は一瞬で、その後すぐに幸福感がやってきた。

もう予定を立てる必要はない。ただ一つ、彼を手放さないことだけ考えていればいいのだ。

だから、言われたことは全てやる。なるほど確かに服従状態を強いられる。周りの人には心配する声もあった。しかし、全て自分が望んだことなのだ。別れたいと思えばすぐにそういえばいい。


どこに出かけるにも、何を食べるにも彼のいう通り。それがこんなにも幸せなことだとは、ほんの数日前の彼女には予想できなかった。


やがて、指令はより細かくなった。歩くときも、「右、左」のレベルまでになった。

あれほど頭の中で飛び交っていた言葉もめっきり聞こえなくなっていた。

彼女にとって、彼が「世界」になった。彼女が世界を認知するために使っていた器官は、完全に無用なものとなっていた。


小山市内、横断歩道の前に彼女はいた。

しかし、そこにいたのはもうあの時の彼女ではない。大きな流れに身を任せ、依存性のある幸福感に溺れていた。

「前」

「うん」

彼女は信号の赤い光へ、横断歩道に一歩を踏み出したところだった。

「あ、」

彼女を10m吹き飛ばした大型トラックは悲鳴をあげて止まった。

削れた右耳を隠すように倒れている女の目は不思議にも幸せそうであった。

こうして彼女は不安から完全に解放された。




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