第19話:私、また舞台に立ちたい
あらすじ:そなたは祥太の走る姿を見てスランプを乗り越えることができた。二人は公園という一つの舞台を降りて、もう少しだけ親しくなるのだった。
◆◆◆◆
心。見えないそれを、感じるしかできないそれを、俺たちはふるわせるためにこの世界にいるんだ。ふるわせたいんだ。自分の心を、誰かの心を。だから俺は走り、そなたは演じ、人は生きている。それができた俺は――なんて幸せなんだろう。俺のどうしようもないあの走りが、そなたの心をふるわせることができたんだ。俺の走りが――!
「スランプ、どこかに行っちゃったみたい」
そなたは一歩、二歩と下がる。自分のほほを伝う涙に俺は気づいた。でも、そなたはそのことに何も言わない。
「私、また舞台に立ちたい。あの時の祥太みたいに、人を感動させる演技がしたいんだ」
俺は自分の走りが報われたことを理解していた。あの苦しみと痛みに、意味があったことが分かった。
「もし苦しくなったり、自分ってダメだなって思っちゃったら、その時はあんたを思い出すことにする。絶対に、あの時の祥太の姿は忘れないんだから」
なんて、ふしぎな巡り合わせなんだろうか。俺の走りがそなたをはげますことができたように、俺だってそなたから返せないほどたくさんのものをもらったんだ。
「俺も、忘れないよ」
「何を?」
俺はふるえる声で言う。
「お前の歌った、俺のためだけに歌ってくれたオン・マイ・オウンを」
あの歌は、決して俺の中から消えない。
「俺はまた走るよ。でも、きっとそう簡単には一位になれない。何度も転ぶし、失敗するし、自分って本当は走るのに向いてないかもって思い知る時が何回もある」
俺は天才じゃない。これからも大変な日々は続く。
「でも、そんな時は俺はそなたの歌を思い出すから。お前の本気の思いが込められた、オン・マイ・オウンを」
あの歌を聞いた時、俺はそなたのように心がふるえたんだ。だから、それを返そうとしたんだ。俺の走りで、そなたを力づけたかった。たとえ一位を取れなくても、優勝できなくても、その願いはかなえられたんだ。
俺がそう言うと、困った顔でそなたははにかんだ。
「恥ずかしいな。あれ、ふられた時の一番かっこわるい歌なんだけど」
「俺だって、ちっとも全力が出せなかった時の走りだぞ」
「いいの! 私がかっこいいって思ったんだから。あの時の祥太、めちゃくちゃかっこよかったんだから!」
そこまで言ってから、そなたははっとした顔になった。
「べ、別にこれ、私の正直な感想なんだからね! あんたのことが好きとかそういうのじゃないんだから! ただの評価よ、批評なの!」
なんだか急にあせっている。そしてそなたは小さな声でつぶやいた。
「そうじゃなかったら私、次から次へと男の子を好きになっちゃう変な子になっちゃうじゃない……」
「いや、別にそれでもいいんだけど」
俺はわざと何も分からないふりをした。そなたが俺をどう思っているのか、それを今は深く知る必要はないと思った。
「ふん。好きなんて言葉、簡単には言ってあげないんだから」
そなたは照れたように横を向いてしまった。
「それだけ。全部話してすっきりした。あんたは?」
「ああ。俺もほっとした。自分の走りがむだじゃないって分かったから」
◆◆◆◆
でも、そなたは俺に指を突きつける。
「約束、まだ終わってないからね。必ず一位取ってよ」
「おおせのままに、お姫様」
「もう、ふざけないでよ」
そう言いつつもそなたはうれしそうだった。俺もうれしかった。そなたはまだ俺に期待してくれているからだ。そしてその期待にこたえたい、と強く思う。
「なあ、そなた」
「何よ」
「少し、この後時間があるならどこかに行かないか?」
俺がさそうと、そなたは目を丸くした。
「あんたと私が? なんでよ?」
「鈴子さんが言ってたんだ。この公園は舞台だって」
きっとそうだ。傷ついた俺と、痛みを知らないそなたのために、神様か誰かが用意してくれた小さな舞台。それがこの公園だ。ここじゃなければ、俺たちは出会えなかった。
「でも、幕が下りても続きはまだあるだろ? 俺たちも、もう少しそこまで進みたいなって思ってさ」
「何それ。言ってることが分かんない」
「う~ん。小さな反抗期?」
俺もなぜそなたを急にさそいたくなったのか分からない。鈴子さんは俺たちがこの公園でしかかかわれないと思ってる感じだから、そうじゃないと言ってやりたい感じがしていた。
「は!? バカじゃないの? 私ママに反抗したいなんてこれっぽっちも思っていませんけど~?」
案の定、そなたは俺を心底バカにした顔で見る。
「あー、そういう感じじゃなくてだな。うまく言えないけど……」
自分でも分からない。そなたと仲良くなりたいというか、今なら仲良くなれるというか、とにかく急にそんな感じがしたんだ。
「守・破・離みたいな感じかな」
しばらくして、そなたは首を傾げながらそう言った。
「なんだそれ」
「バーカ! あんた高校生なのに守破離も知らないの?」
いきなり言われても本当に知らない。
「守る、破る、離れる。この三つの漢字を並べると守、破、離って書くでしょ? そのことよ」
そなたの授業がいきなり始まる。
「演出家の梅原守男さんが言ってたの。日本の文化はこの三つがあるって。まずはお手本となる型をきっちりと守る『守』。これをしっかりやっていくと、だんだん改良していって破っていく『破』につながってくの。そして最後には自分なりの型を見つけて、お手本から離れる『離』に行きつく。そんな感じ」
「すまん、よく分からん」
「はあ……祥太に期待した私がバカだったみたい」
ため息をつくそなた。でも、俺は分からないと言いつつもちょっとだけ納得していた。俺とそなたは、公園という型の中にいた。それでよかった。でも、今ならもう一歩先まで踏み出せる気がする。「守」が「破」に変わっていく。もしかすると「離」へとつながる一歩を踏み出している。
「とにかく、少しだけでいいなら付き合ってあげる。言っておくけど、少しだけだからね。私はひまじゃないの。それで? どこ行くの?」
何はともあれ、そなたは俺の下手なさそいにあきれながらも応じてくれた。俺はベンチから立ち上がる。
「とりあえずファミレス。そなたの最近の話とか聞きたいから」
「うん。私も話したいこととかあるし」
歩き出した俺の隣で、そなたがくすくすと笑い出した。
「ふふ。ママに『祥太に公園から連れ出されちゃった』って言ったらびっくりするだろうなあ」
う~ん、どうだろうか。鈴子さんは驚くかもしれないし、「そう。予感はしていたわ」くらいに済ませそうな感じもする。
「俺が誘拐したみたいな言い方するなよ」
「分かってるってば」
俺たちは並んで公園を後にする。ふと、俺は振り返ってベンチを見た。そこに幕が下りていくのを見たような気がした。一つの舞台が終わる。そなたが俺の走りを目にしてスランプを忘れたように、俺はそなたの歌に力づけられた。もう、なくした右足は痛まなかったからだ。幻肢痛を舞台にそっと置いて、俺は背を向けて歩き出していた。
◆◆◆◆
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