第18話:心が――――

あらすじ:そなたは祥太に、陸上大会で走る姿がかっこよかったと告げる。絶対にあきらめないその姿に感動したと言う。祥太は自分のしてきたことすべてに意味があったことを実感できた。


◆◆◆◆



「な、なんなんだお前のお母さん……」

「知らないわよ、そんなの」


 残された俺たちは顔を見合わせる。鈴子さんってあんなにマイペースな人だったんだ。


「それより、もう少しどいてよ。私も座るんだから」


 そなたの言葉に、俺はうなずいてベンチの端によった。思えばすべては「どいてくれないかなあ?」というそなたの一言から始まったんだ。


「見たわよ、あんたのマラソン」


 隣に座ったそなたは早速そう言った。


「うん。応援してくれるそなたの声が聞こえたし、姿も見えた」

「目も耳もいいのね、あんた」

「そなただって俺をステージから見つけたじゃないか」

「ちらっと見えただけよ。別に、あんた一人のために演技してるわけじゃないから。あの時のオン・マイ・オウン以外はね」


 俺は身がまえる。心の準備をする。そなたにどんなことを言われても受け入れるように覚悟を決める。


「ありがとう、応援してくれて。俺、すごくうれしかった」


 だから俺は、まず自分の言いたいことを言った。どんなにそなたのあの応援が、俺にとって力になったのか。そのことをもっと言いたかったけど、今はうまく言えなかった。


「そう」


 そなたは眉一つ動かさず、じっと俺を見上げる。


「あんた、勝つって約束したわよね」


 俺はつばを飲み込んだ。


「ごめん、できなかった」


 言い訳しないで認めるしかない。


「優勝するつもりだったの?」

「そなたのために勝ちたかったんだ。でもできなかった。ごめん」

「本番で大失敗して『ごめん』で済むわけないでしょ。バカなの?」

「そうだな」


 何を言われても仕方ない。俺はうなずいた。でも、そなたの反応は思っていたのとまったく違った。


「――違う違う違う! 私の言いたいことはそんなことじゃないの! バカ! 納得しないでよ!」


 いきなりそなたは大声を上げた。俺に怒っているんじゃなくて、口下手な自分に怒っている感じだった。


「そなた、俺、聞いてるから」


 わけが分からずとにかく俺がそう言うと、そなたは俺をにらむ。


「改まって言うなバカ! すっごく恥ずかしいんだから!」

「舞台だと思えばいいじゃないか」

「違うの! これは私の本音なんだから!」


 何度もそなたは深呼吸しながら立ち上がった。


「ああ――もう。いい? 一度しか言わないからよく聞いて」

「うん」


 俺の真正面にそなたは立った。


「祥太」


 座る俺と立ったそなた。お互いの視線が重なった。そして――そなたははにかむように笑った。



「すごく、かっこよかったよ」



 信じられない言葉を、俺はそなたの口から聞いた。俺は一瞬そなたの顔をまじまじと見る。子役のそなたの顔を。でも、どんなに見つめても、そなたの顔は変わらなかった。演技じゃない。本気の言葉だと分かった。


「え?」


 でも、俺の口から出てきたのは間抜けな声だった。


「だから――!」


 また大声を上げそうになり、そなたはぶんぶんと首を振った。自分で自分をおさえている。また深呼吸してから、そなたは口調を戻す。


「今まで見たどんなマラソン選手よりも、あの時の祥太が一番かっこよかった。本当よ。目をうばわれるって、こういうことを言うんだね」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 そなたの言葉に俺はとまどうしかなかった。


「だって俺、全然だめだったんだぞ。一位どころか順位は下から数えた方が早いし、フォームもペースもめちゃくちゃで、お前の声が聞こえなければあれ以上走れなかったくらいだったんだ。お前、誰か別の奴とかん違いしてないか?」


 案の定、そなたはあきれた顔になる。


「そんなわけないでしょ。あんた、本当に何も分かってないのね。いい? 私前に言ったよね。才能なんてなくても舞台に立てるし、時には才能のない人の演技の方がお客さんを感動させることがあるって」

「ああ、そんなこと言ってたな」

「あんたの本番の走り、めちゃくちゃだったわ。みんなあんたじゃなくて一位の選手の方ばかり見てた」

「う……きついこと言うな」

「事実でしょ」


 ため息をついてから、そなたは俺に一歩、二歩と近づく。あの時――失恋したそなたを思わず抱きしめた時と同じくらい、そなたの顔が近くにある。



「でも――私は祥太しか見えなかった」



 ああ、本当にそなたは子役だ。どうすれば一番注目されるか、どう言えば一番伝わるか本当に知り尽くしている。


「うそじゃない。本気でがんばって、苦しくても苦しくてもがまんして、絶対一位になれないって分かっていても、あきらめないで祥太は走ってた」


 少しそなたは顔を赤くした。


「私とした約束、守ろうとしたんだよね」

「そなたのスランプを消したかったんだ。俺が一位になれば、それを見てそなたが自信を取り戻してくれればって思って……」

「バカね。他人をモチベーションにしちゃだめだって、私言ったでしょ」


 そなたは困った顔で笑った。大人びた表情だった。


「でも、私もバカだったみたい。だって、いっしょうけんめい走った祥太の姿を見たら、感動しちゃったんだから」


 何かが――俺の胸の中から、何かがこみ上げてくる。土の中から長い時間をかけて出てくるセミの幼虫みたいに。


「どんなにつたなくても、かっこわるくても、一位じゃなくても、私はあの時の祥太に感動したの。舞台の上の本気の演技を見た時と同じ」


 重たい土をかきわけて、一心に上へ上へと。そして羽化が始まる。長かった幼虫の時を終えて、空を羽ばたく成虫へと。俺がずっとずっと積み重ねてきた何かが、今この瞬間のためだけにあったんだと分かった。






「心が――――ふるえたんだよ」






 そなたは熱に浮かされたようにそう言った。その瞬間、俺もまた心がふるえていた。心と心が共鳴して、どくんと大きく脈を打った。その響きが、思いが、命が強く重なる。なぜ俺は走るのか。なぜそなたは舞台で演技するのか。なぜ俺たちは生きているのか。その答えが、そなたのたった一言にあった。



◆◆◆◆



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