第17話:まるで――舞台ですね
あらすじ:公園で祥太はそなたの母親の鈴子と再会した。鈴子はそなたが失恋の悲しみを乗り越えたのは祥太のおかげだと言うのだった。
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障がい者による陸上大会でのマラソン。結局今回の大会の結果は大敗だった。神野に届くどころか、表彰台どころか、下から数えた方が早い順位だった。あの後整形外科医に右足を見せたら、切断した場所がおかしくなっていた。それが痛みの原因だろう。くやしさと悲しさと情けなさで死んでしまいそうになる――ことはなく、俺は落ち着いていた。
(……そうだ。「次」がある)
そうすなおに思えたのがよかった。一度、俺は右足を失って派手に転んだ。でも、立ち上がることができたんだ。なら、もう一度転んだくらいなんだ。また立ち上がることができる。少しずつ、自分の中で何かがつみ重なっていくのが分かった。もう俺は右足がないことを嘆きはしない、と思えた。だからだろうか。俺は――
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予感に突き動かされるようにして、俺は学校が終わってすぐに公園に向かった。そなたは必ずそこにいる、と俺は確信していた。気の強いそなたのことだ。俺のダメだった走りに痛烈なことを言ってくるに違いない。それも覚悟していた。舞台と同じだ。どんなに練習を積み重ねてきても、本番でセリフを間違えたり歌詞を忘れたらどうしようもない。
がんばったのに、とかいっぱい練習したのに、と言っても無意味だ。俺だって大会当日までずっとがんばってきたけど、本番はさんざんだった。そなたに何を言われてもしかたない、と思っていた。俺は勝つ、と約束していたのに、それを守れなかった。その約束を守れなかった責任は取らなくちゃいけない。
けれども、公園のベンチに座っていたのはそなたではなかった。
「あ……鈴子さん」
そこに座っていたのは、そなたの母親の鈴子さんだった。一度そなたの家で会っただけの人だけど、遠目で見てもすぐに分かるきれいな人だ。元宝塚のスターの雰囲気が今もある。
「こんにちは、越島さん」
鈴子さんは俺も見て立ち上がってあいさつする。
「ど、どうもこんにちは」
「ここで待っていれば、あなたに会えると思っていました」
鈴子さんはベンチに座ると、隣をそっと叩く。
「どうぞ、お座りください」
俺は従った。大人になったそなたと一緒にいる気分だった。
「ふしぎですね。あなたとそなたは、ここがかかわりの場所であって、それ以上お互いに踏み込むことはありませんでした」
鈴子さんは遠くを見る。娘のそなたがここから何を見ていたのかを、自分でも確かめているかのようだ。
「まるで――舞台ですね」
鈴子さんの何気ない一言に、俺ははっとした。そうだ。この公園はステージだったんだ。だから、俺とそなたは出会ったんだ。ここは、そのために用意された舞台だったんだ、と俺は直感していた。
「いや、あの……小学生の女の子にあまりかかわりすぎるのも、おかしいですから」
まあ、常識から考えればそうだ。鈴子さんからすれば、心配だっただろう。一度そなたの家に招待されたけど、俺はそなたの電話番号さえ知らないままだった。それなのに、ここまで深くかかわることになるなんて。
「あなたのことは信用していますよ、越島さん」
なぜか鈴子さんは平然としてそう言った。
「恐れ入ります……」
「あんなにひたむきに走る人が、悪い人のはずがありませんから」
「でも、大会で俺は――」
俺は大会の自分を思い出す。ひたむきどころか、まるでだめだった俺の走りを。
「私は、あなたの練習を言っているんです。そなたは、あなたのことを時々私に言っていましたよ」
「俺の話を?」
「ええ。『あいつ、なかなかやるよ。片足を失ったばかりなのに、よくあれだけ走れると思う』と言っていましたよ。あなたを通してあの子も成長したのでしょう」
初耳だった。そなたがそんな風に俺を見ていて、しかも鈴子さんにそう言っていたなんて。鈴子さんは俺の方を見る。いたわるような目だけど、同時にうれしそうでもあった。
「私も女優のはしくれですから。どれだけ練習が大変で大事か分かっているつもりです。そしてそれが――時に実らないことも」
宝塚のスターだった鈴子さんなら、きっとそうだろう。
「夫と娘と一緒に、大会で走るあなたを見ていましたよ」
「俺も、そなたの応援する声が聞こえました」
俺は心なしか顔を上げる。
「……そなたがクラスの男子に恋をして、告白して、そしてふられたこともあの子の口から聞きました」
俺は想像するが、どうやってそなたがそのことを告げたのか思い浮かべることはできなかった。
「私は以前、そなたに言ったことがあります。『あなたは本心から演じていない』と」
「俺もそなたから聞いたことがあります」
鈴子さんはうなずく。
「親の私が言うのも自慢になってしまいますが、あの子は今まですべてを自分の努力と才能でかなえてきたんです。そして、これからもそれが続くと思っていた。本当の悲しみと、本当のやるせなさを、あの子は理解できていなかったんです。ですが、今あの子はようやく苦しみとは何かを知ったことでしょう」
鈴子さんは悲しそうな目で下を向く。
「だから私はそなたに『私の言っていることはいずれ分かるわよ。先に教えたら、きっとあなたは耐えられないから』と言ったんです。親として娘に『いつかあなたにも、自分の力ではどうしようもないことが起こるわ』とは言えませんから。でも、あの子は失恋の悲しみから立ち直った。あなたのおかげです」
俺は赤面するしかなかった。持ち上げられすぎだ、と思う。俺がなにをそなたにしてやれた? むしろ、俺はそなたとした約束さえ守れなかった。それなのに、鈴子さんはこんなにも俺をほめてくれた。うれしいと言うよりむずがゆい。その時、鈴子さんが目を上げた。
「脇役の私の出番はここまで。そなた、いらっしゃい」
「え?」
ぽかんとする俺をよそに、鈴子さんが手招きした。向こうの木の陰からそなたが姿を現すと、大またでこっちに向かって歩いてきた。そして俺の前に立ち止まると、じっとこっちを見る。
「な、なんだよそなた」
「あんた、ママから何か変なこと聞いたんじゃないでしょうね?」
いつものつんけんした態度は変わらない。
「変なことってなんだよ?」
「いいから! もし私のプライベートなことをママから聞き出したんだったら、一生口きかないからね!」
「分かってるよ、お姫様」
俺が苦笑していると、何度も念押ししながらそなたは鈴子さんに向き直る。
「もう、ママったら、いきなり『どうしても越島さんと話がしたい』なんて言って――何を話したの?」
鈴子さんは平然と答える。女優の顔だ。
「あなたがすごく変わったから、それを話そうと思っただけよ」
「そ、そうなんだ」
そなたは明らかに困った様子だった。
「かん違いしないでよ! 私はちょっとスランプだっただけで、別に祥太のことはなんとも思ってないんだから! ね? 祥太だってそうでしょ? もし私のこと変な目で見てたら怒るからね!」
鈴子さんはくすりと笑った。
「変わったのはそなただけじゃないわ。あなたが成長したように、祥太さんも成長したのよ。そなただって、越島さんのことをすごく心配してたでしょ?」
「余計なこと言わなくていいよ! もういいから行こう! これ以上ママと祥太が一緒にいたら絶対に私の変なこと教えるからいや!」
だだをこねるそなただったけど、鈴子さんには通じない。
「何を言っているの? あなた、まだ越島さんに何も言ってないでしょ?」
「そ、そうだけど、でもママが……」
「私はあなたの言うべきことは何も言っていないわ。ちゃんと自分の口で言いなさい」
「は、恥ずかしいし……ママがいると」
もじもじして下を向くそなたをよそに、鈴子さんはベンチから立ち上がった。
「ええ。だから私は先に帰るわ」
「え? でもママ……」
鈴子さんに近づいて手を伸ばすそなただけど、鈴子さんはするりとネコのようにすり抜けてしまった。
「大丈夫よ。あなたたち二人は、この公園だけが舞台なのだから」
ぽかんとする俺に、鈴子さんは一礼した。
「それでは、これで」
そう言って、鈴子さんは振り返りもしないで公園を後にしてしまった。
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