第16話:祥太ーっ! 負けるなーっ!
あらすじ:陸上大会当日のマラソンが始まる。祥太は不調に苦しみ、一位どころか万全とはほど遠い走りしかできなかった。しかし、そんな祥太を力いっぱいそなたは応援するのだった。
◆◆◆◆
そして迎えた陸上大会。俺は健常者の競技に目を向けることなく、ただ自分のコンディションに集中していた。少しだけいやな事実を認めざるを得なかった。義足の右足が気になる。レンタルしたスポーツ用の義足は、もう俺の相棒と言ってもいいくらいになじんでくれているはずだった。でも、むしろ生身の残った右足の方に違和感がある。
少しトレーニングで無理をしたせいだろうか。よりによって大会当日にこんな不調を感じるなんて、とは思う。でも、今はもう自分を信じるしかない。スタジアムを俺は見る。あの中のどこかに、そなたがいるはずだ。両親と一緒に見に来てくれるはずだろう。俺は自分のために優勝を目指すんじゃない。そなたのために優勝したいんだ。
「おはよう、越島君」
振り返ると、神野がそこにいた。義足の片足と、親指以外を失った左手を隠すことなく堂々とそこに立っている。
「ああ、おはよう。調子はどうだ?」
「絶好調。君は?」
相変わらず神野は涼しい顔だ。たいしたものだ。大会の熱気にあてられても、少しも緊張したり自分のペースが乱れている様子がない。
「秘密だ。情報戦はもう始まってるぜ」
俺はさすがに「ちょっと右足の調子が悪い」なんて言う気はなかった。でも、神野は柔らかくほほ笑む。
「かまわないよ。言いたくないなら」
何を聞かれてもかまわないし、対応できるんだろう。
「自信があるんだな」
「それだけ勝ってきたからね」
「そこまで堂々としてると、さすがにいやみだぞ、おい」
口ではそう言うけれども、俺は怒ってはいない。神野だって、この大会に出るまでにどれだけ努力してきたか。同じ片足だからこそそれは分かる。分かるけれども、気持ちで負ける気はない。
「でも、今日は俺が勝つ」
俺がはっきりそう言うと、神野は驚いた顔をした。
「君こそ自信があるんだね」
「バカ。単に勝たなきゃならない理由があるだけだ」
そうだ。俺の走りをそなたが見ている。
「どんなことがあっても、追いすがってやる。追いすがって、追いすがって、追いついて――抜いてやる。届いてやるからな」
俺の挑戦を、神野はうれしそうに聞いた。
「うん――届いてよ」
神野は左手を差し出した。俺も左手でこたえる。親指しかない神野の左手の感触を感じる。スタートが待ち遠しかった。
◆◆◆◆
スタートしてすぐに、右足がいつもと違うことに俺は気づいてしまった。トレーニングしていた時には感じなかった足の痛み。切断した場所と義足の触れている場所がおかしい。骨が痛む感じだ。
(まずいな……。なんでよりによって今なんだよ)
俺は内心で舌打ちする。無理がたたったのか、それとは関係ない不調か。
どちらにしても、この痛みは本当にまずい。ごまかしきれないし、自然と痛む場所をかばうようになるから、左足にも上半身にも不自然に負担が行く。やっぱり俺は義足に慣れていないんだ、とはっきり分かる。
(でも……だからどうした!)
俺は周りのランナーを見る。みんな障がいを負っている。俺だけが例外じゃない。
神野を見てみろ。あいつは左足だけじゃなくて左手にだって大けがをして、それでもここまで来た。あいつには才能がある? 才能があるから連勝している?
(それこそ、だからどうした――!)
いつものように、前を見て息を吸って、吐く。ペースを崩さず、自分の実力を、努力を、練習を、気持ちを信じる。
整形外科医の先生や義肢装具士の亀山さん、そしてクラスメイトや陸上部の顧問の顔を思い出す。何よりも、そなたのことを思い出す。不安を打ち消す。打ち消そうとする。
(だって、俺をそなたが見ているんだから――!)
俺は勝ちたい。あいつのために、あいつが自信を取り戻すために、勝つと約束したんだから。
◆◆◆◆
マラソンも後半になって、痛みはもうどうしようもないくらいに激しくなっていた。完全にペースは乱れに乱れて、走るフォームも何もかも崩れていた。脇腹が死ぬほど痛い。まるでマラソンの初心者のように、俺は顔を歪めて走った。今までで一番ダメなパターンを、よりによって本番で引いていた。
(届かない――!)
自信はあった。練習だってしてきた。手を抜いてなんかいない。今日、俺は神野に追いつくはずだった。できると思っていた。それなのに、前を行く神野に追いつくどころか引き離されていく。距離が詰められない。無限に遠い。それだけじゃない。後ろからどんどんと追いついてくる、何人ものランナーの気配がする。
神野に追いついて抜かすどころか、ほかの選手におびやかされている。気力、根性、そんなものはとっくの昔に全部つぎ込んでいる。それなのに、体は激しい痛みを訴えて思うようにならなかった。こんなはずじゃなかった、という悪い考えが頭の中をぐるぐると巡っている。一人、また一人と俺をほかの選手が追い抜いていく。
ラストスパートの時、もう俺は他の選手と違って余力なんてものは何一つ残っていなかった。神野の姿ははるか遠く、何人もの選手が俺を追い抜いていた。
(くそ……せめて、せめてもう少しだけでも……!)
たぶん今の俺は、観客にはてんでだめな選手にしか見えていないだろう。俺の頭の中に、そなたとした約束が思い出された。
『勝つよ、俺は。お前に――優勝を見せてやる!』
――ああ、俺はうそつきだったんだ。勝つって約束したのに、守れなかった。そなたに自信を取り戻してほしかったのに、これじゃ何もしてないのと同じだ。あまりにも辛くて、悲しくて、情けなくて、走るのを止めてその場に転がりたくなった時だった。
「祥太ーっ! 負けるなーっ!」
嵐のような歓声の中に、神野やほかの選手を応援するたくさんの声の中に、俺は確かにそなたの声を聞いた。思わず、目が声のした方向を見ていた。思ったよりもずっと近くの観客席に、そなたが座っていた。隣には鈴子さん、もう一人は――たぶんそなたの父親だろう。おとなしそうな線の細いメガネをかけた男の人だ。
そなたはほかの選手に目もくれずに、俺だけを見ていた。あの時と同じ、言い訳なんて絶対に許さない、とまっすぐにひたすらに。決してあきれたり、見捨てたりはしていなかった。両手を口に当てて、またそなたが叫ぶ。
「がんばれーっ! 止まったら許さないからーっ!」
ああ、もう。本当に、あいつは厳しい奴だよ。
でもあいつは……俺を見てくれた。目を離さないでくれた。
(神野に勝てるか? と聞かれたら――もう絶対に勝てない)
何かとほうもない偶然が重なれば勝てるかもしれないけど、相手の不幸を願うことはしない。
(でも、自分に勝てるか? と聞かれたら――まだ勝てる!)
見てろよ、そなた。これが凡人の意地だ。
才能なんてなくても走れるってお前が教えてくれたんだ。責任もって最後まで見てろ。それを今から俺が証明してやろうじゃないか。せめてそれくらいは、俺にやらせてくれ。最後まで走ることくらいは、俺でもできるんだ。今、自分がどこにいるのか。神野はもうゴールしたのか、自分は何位なのか、何もかも忘れて、ただひたすら俺は前に進んだ。
ゴールするまで。ゴールしてその場に倒れこんだ後も、周りの関心はすべて俺を素通りしている中でも、そなたの応援する声は確かに俺に届いていた。神野が手を伸ばして俺を起こした。
「大丈夫?」
「すまん……とどかなかった」
「次があるよ」
本心からそう思っているのが分かる口調で、神野はそう言って笑った。
◆◆◆◆
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