第15話:『いくじなし』って言って、ごめんなさい

あらすじ:そなたは祥太に、自分が以前いくじなしと言ったことをあやまる。祥太は彼女を元気づけるため、次の陸上大会のマラソンで一位を取るから見ていてくれと約束するのだった。


◆◆◆◆



 本気でこれは危ない、と俺は思った。正真正銘のスランプだろう。これまでそなたは全部努力して乗り越えてきた。でも、今ここで自分の力ではどうしようもない壁に思いきりぶつかって、そのまま地面に叩きつけられたんだろう。自信を失うのも当然だと思う。俺だってそういうことがあったからだ。そしてそれは今だって続いている。


「ねえ」

「なんだよ」

「あんたが足をなくした時も、同じ気持ちだったの?」


 そなたはふるえる声で俺にたずねた。


「そうだ。自信が全部なくなって、何もかもが怖くなって、自分はもうだめなんだって思って、そんなネガティブな考えが頭から離れなかった」


 俺は骨肉腫で足を切断したすぐ後を思い出す。あの二度と味わいたくない日々を。


「……そうなんだ」


 そなたは大きく深呼吸してから、ベンチから立ち上がった。


「祥太、よく聞いて」


 俺の前に立ち、真っ正面からそなたはこっちを見る。そして、そなたは――


「『いくじなし』って言って、ごめんなさい」


 俺に向かって、そなたは深々と頭を下げた。俺は信じられず、とっさに何も言えなかった。


「私、調子に乗ってた。苦しんで自信をなくしてるあんたを見て、努力が足りないからそうなるんだって思い込んでた。でも、違ったんだね。だって、どんなに努力してもできないことってあるんだし、かなわないことだってある。それなのに、私はあんたを傷つけたの」


 そしてもう一度そなたはあやまる。


「だから――ごめんなさい」


 俺は頭を下げるそなたを見て、自分でもどう感じているのか分からなかった。「いくじなし」と言われた時の怒りはよく覚えている。それが今ここで消えていく。でも、すっきりしたわけじゃない。そなたの母親の鈴子さんもまた、俺にあやまっていた。なくした足のことで、そなたが俺を傷つけたと思っていた。確かに傷ついた。でも――


「ねえ、私のこと『いくじなし』って言ってよ」


 そなたはぼう然としている俺にさらに言葉を続けた。


「言いなさいよ。いくじなしって。うじうじしてるって。そんなだらしない態度じゃ子役なんて続けられないって怒ってよ。早く! ねえ! ねえってば!」


 そなたは俺に詰めよる。本心からしかってほしいのか、それとやけになっているのか。


「……言えるかよ」


 ややあって、ようやく俺はのどの奥から言葉をしぼり出した。


「どうして? 私にいくじなしって言われてくやしかったでしょ? 傷ついたでしょ? だったら同じことをしてよ! 不公平じゃない! いくじなしの私にいくじなしって言って何が悪いのよ!?」


 大声を張り上げるそなたとは正反対に、俺は落ち着いていた。


「絶対、俺はお前をいくじなしだなんて言わないよ」


 自分が何を言うべきかが、分かっていたからだ。


「俺がそう言ったら、お前がどれだけ苦しむか、俺には分かるんだ。自分で味わったからな。同じことができるかよ」

「そんなの……」

「それに、お前がくれたのはくやしさや苦しさだけじゃないんだ」


 俺はそなたを見つめる。あの時の怒りはもうない。


「お前がいくじなしって言ってくれたから、俺は立ち上がれた。情けない自分を認めて、もう一度走ろうって思えたんだ。そなた、俺をしかってくれて、ありがとう」


 本心から俺がそう言うと、そなたは目をそらした。


「何よそれ。全然うれしくないし、おかしいわよ、そんなの」


 しばらく地面を見つめてから、すがるようにそなたは俺の手をつかんだ。


「じゃあ、どうすればいいのよ! どうすれば――どうすれば私はもう一回立ち上がれるの? 自信をもてるの? 納得のいく演技ができるようになるのよ!?」


 それは自分で見つけなくちゃ、というのは簡単だし正当だろう。でも、俺はそんな他人事で済ませたくない。ここまでそなたにかかわって、一番大事なところで放り出すなんて絶対できない。


「――そなた、俺を見ていてくれよ」


 俺はそなたの手を握りしめた。


「え……?」

「もうじき、高校生の陸上大会がある。俺はそこの障がい者枠でマラソンに挑戦するんだ。義足でどこまでできるか分からない。それに、神野秀夫っていうすごい選手もいる。あいつに勝てるかどうかも分からない。でも、見ていてくれ、そなた」


 俺のすることは、そなたと同じだ。


「お前が俺の前でオン・マイ・オウンを歌ってくれたように、情けない俺をけ飛ばして力づけてくれたように、今度は俺がお前を力づけたいんだ。勝つよ、俺は。お前に――優勝を見せてやる!」


 俺は言いきった。口約束じゃないけど、自信があるわけじゃない。それでも俺は、そなたにそう約束したかった。


「……約束よ、祥太」

「ああ、約束する」


 そなたは、俺がどれだけ本気でそう言ってるのかおしはかっているみたいに、まばたきさえしないで俺を見つめていた。そして――かすかに笑った。


「ありがとう、元気が出たみたい」


 責任重大だ、と俺は身が引きしまる思いがした。そなたのために、俺は勝たなければ行けない。あいつに――神野秀夫に。



◆◆◆◆



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