第8話:あんたはきっと義足でも走れる。私が保証してあげる

あらすじ:祥太はレ・ミゼラブルの舞台でエポニーヌを演じるそなたを見る。次の日、そなたに感動したことを伝えるのだが、そなたは以前母親に「本心から演技してない」と言われたことを告げる。


◆◆◆◆



 そして、劇団フォーレストの「レ・ミゼラブル」開演当日。俺は初めて劇場に足を運んでミュージカルを見ることになった。ミュージカル・レ・ミゼラブル。ちょっとだけストーリーは知っていたけど、舞台で音楽や歌と一緒に流れるストーリーは見ていて引き込まれた。確かに、以前そなたの家で見たレ・ミゼラブルとはかなり演出が違うのが分かる。


 たった一本のパンを盗んで、牢屋に送られたジャン=バルジャン。彼はミリエル司教の愛に触れて更生し、やがて市長にまでなる。彼と関わる多くの人たち。女工として働くファンティーヌと、その娘コゼット。正義しか信じない冷酷なジャベール警部。意地悪な悪役テナルディエ一家。弁護士として暮らしながら、やがてコゼットと愛し合うマリウス。


 ミュージカルを見るのは生まれて初めてだったけれども、こんなに心が動かされるとは思わなかった。本当に舞台は一つの世界だ。役者が演じるだけじゃなくて歌が入ると、俺は自分でも信じられないくらいに引き込まれるのを感じた。有名な「夢破れて」や「民衆の歌」。そして、エポニーヌが歌う「オン・マイ・オウン」。


 マリウスに恋するエポニーヌだけど、マリウスはコゼットを愛している。そのことを知ってそれでも高らかに歌うシーン。舞台の上では冬木翠の演じる大人のエポニーヌと、そなたの演じる子供のエポニーヌが二人で歌っていた。オリジナルの演出らしい。そしてエポニーヌは凶弾に倒れ、それでも愛するマリウスの腕の中で息を引き取ることができた。


 物語はもう少し続くけれども、俺はそなたの演じるエポニーヌの最期に涙がでそうになった。こんな悲しい恋をしたのかと思うと、物語であっても胸が苦しくなった。ミュージカルってすごいな、と改めて思う。それまでまったく縁がなかったけれども、こうやって間近で俳優たちの歌や演技を見ると、すごみが伝わってくる。


 やがて物語はエンディングをむかえ、最後にカーテンコールが行われる。もちろんそなたもそこにいて、コゼット役の子と手をつないで満面の笑顔で拍手に応えていた。俺も沢山の観客と一緒に、一心に拍手していた。そして終わって初めて気がついた。舞台に集中している間、俺は自分が義足であることを完全に忘れていたのを。



◆◆◆◆



 次の日、俺が公園に行くと、うれしいことにそなたがベンチに座っているのが見えた。俺はすぐに駆け寄った。


「そなた、俺昨日レ・ミゼラブル見たぞ! お前の演技すごかったな。歌も感動したぞ!」


 俺がそう大声で言うと、いつもはちょっとツンツンした感じの顔のそなたも、今日だけはすぐに笑顔になった。


「ふふん、あんたもやっとミュージカルのすばらしさってのが分かったみたいね。そうよ、舞台は一つの宇宙みたいなものなの。演技もあるし、歌もあるし、演出もあるし、全部がそこに入っている宝箱。それが舞台なのよ!」

「そうだよな。本当に感動したよ。それにお前もすごいな。よくあれだけの感情表現ができるな」


 俺が何気なく言った言葉に、そなたの顔はかすかにくもった。


「……私、小さい頃からママに、本心から演技してないって言われるの」

「本心から? なんだそりゃ?」


 鈴子さんは元宝塚のトップスターだったらしい。娘の演技指導もきっと厳しいんだろう。その鈴子さんが「本心から演技してない」とそなたに言うのは、どういう理由からだろう。


「私もよく分からない。ママも『私の言ってることは、いずれ分かるわ。先に教えたら、あなたは耐えられないから』って言ってた。でも、あんたは私のエポニーヌを見て、そう思ってくれたんだ?」

「ああ。ミュージカルなんて初めて見たけど、俺泣きそうだった。コゼットよりお前のエポニーヌの方が俺の中ではレ・ミゼラブルのヒロインだぞ」


 俺は本心からそう言ったけど、そなたは鼻で笑った。


「それ、ほめてるつもりかもしれないけど、レ・ミゼラブルに失礼もいいところだから。ヒロインはコゼットなの。私のエポニーヌは脇役。あそこで堂々と歌って、そして悲しく舞台から去る。私は引き立て役に過ぎなくていいの。コゼットの影になって、舞台を輝かせる。それが私の誇りよ」

「なんか、大人っぽい考え方するんだな」

「祥太が子供っぽいだけじゃないの。物語をもっと全体から見なさいよ。一人の登場人物に思い入れがありすぎると、ストーリーが分からなくなるんだから」


 そなたは相変わらずの口調で俺に説教してくる。でも、俺はそんなそなたが少しかわいらしく見えた。演劇の話になるといっしょうけんめいだからだ。


「まあ、確かにコゼットはかわいい。でも俺はエポニーヌが一番好きだな」


 俺が笑いながらそう言うと、そなたは顔を真っ赤にしてどなってきた。


「なっ、何よ! あんたまったく分かってないわね! 途中で寝てたんじゃないの!?」

「違うって。エポニーヌをお前と冬木翠が演じていたから、俺はすごくひきつけられたんだと思う」


 俺がまじめにそう言うと、そなたはようやく納得したらしい。


「まあ、私だって全力で演じたから、そう言われるのは悪い気がしないわ。……ありがと」


そう言って少しだけ照れたようにそなたは横を向いた。しばらく話してから別れる時、そなたはふと、俺に言った。


「あんたが昨日見に来てくれたの、分かってたから」

「え、どうして?」

「カーテンコールの時、拍手してくれるあんたの姿が見えた気がしたから。どうしてだろうね? たかがあんた一人が目に入っただけなのに、『ああ、私やっぱり演劇やっててよかった』って思えたの」


 そう言われて俺は胸が熱くなった。俺という存在が、そなたの演劇へのやる気を燃え立たせることができるなら、それは本心からうれしかった。


「俺も、お前のおかげで毎日がんばれているよ。お前がいなかったら、今頃もうあきらめてる」


 俺だってそうだ。そなたがいるから走れる。けれども俺と違って、そなたは冷めた顔をした。


「はいはい。他人をモチベーションの元にしちゃダメ。あんたの努力は自分の意志でやるものなのよ。私がきっかけになったとしても、そこから先はあんた次第」

「はは、厳しいな」

「当たり前じゃない。でも、もうあんたは絶対前みたいにうじうじしてないことは分かるわ。あんたはきっと義足でも走れる。私が保証してあげる」


 そなたがそう言ってくれて、俺は自分でも驚くくらいに元気が出た。そして、いつかこの子と対等に肩を並べて歩ける人間になりたいと思った。



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