第7話:娘に代わっておわびします、越島祥太さん
あらすじ:そなたの母の鈴子は、そなたの言葉が祥太を傷つけたと思いあやまる。しかし、祥太はむしろそなたに勇気づけられたと彼女をかばう。別れ際にそなたは、祥太にがんばれとはげますのだった。
◆◆◆◆
俺の持ってきたケーキを食べつつ、鈴子さんのいれてくれた紅茶(多分めちゃくちゃ高い茶葉なんだろうな)を飲みつつ、俺はそなたと一緒にオペラ座の怪人を見終えた。
「なんて言うかさあ、なんでクリスティーヌはラウルを選ぶんだよ。普通ファントムだろ?」
最後まで見終えた俺がそう言うと、そなたはソファの上でぴょんと跳ねた。
「は? あんたちゃんと見てたの? どう考えてもラウルの方がまともじゃない。ファントムなんて結局はストーカーよストーカー! まともに恋だってしてないじゃない!」
そなたの言い方は容赦がまったくない。確かにそうだけどさ。ろくに会話したこともないクリスティーヌにつきまとう仮面の怪人のファントムが気色悪く思うのも無理はない。
「そうだけどさ。だってずっとファントムはクリスティーヌに音楽を教えて、クリスティーヌのことを思ってて、不器用で確かに恋じゃないよあれは。でも、そのファントムを目の前でふってさあ。俺はファントムの方が好きだな」
俺は正直な感想を口にしてみた。ファントムと結ばれるクリスティーヌっていうのも悪くないと思うけどな。
「あきれた。クリスティーヌがファントムと結婚しても幸せになれないんだから」
あっさりとそなたは俺の意見を切って捨てる。
「でも、最後はよかった」
「うん。ファントム役の菊地弘信(きくちひろのぶ)さんもかっこよかった」
「ラウル役の人も歌、うまかったなあ」
俺たちは顔を見合わせて笑う。演劇だけでここまで話せるなんて思わなかった。
◆◆◆◆
「ちょっと待ってて」
ティーカップをテーブルに置くと、そなたは席を外した。多分トイレだろう。改めてそなたの家で一人になると、めちゃくちゃ落ち着かない。部屋の内装も家具も、俺の家とはけた違いに高級だ。場違いにも程があるな、俺。けれどもすぐにドアが開いた。
「そなた――?」
しかし、そこにいたのはトレーを持った鈴子さんだった。
「越島さん、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、ありがとうございます」
鈴子さんは柔らかな笑みを浮かべて、俺の空っぽのティーカップに紅茶を注ぐ。
「今日は時間を取ってそなたに付き合ってくれて、ありがとうございます。そなたもとても喜んでいましたよ」
「あはは……俺はあの子に思いっきり背中をけっ飛ばしてもらいましたから」
俺は何気なくそう言った。俺を鈴子さんが怪しまなかったことから、俺のことをしっかりそなたは鈴子さんに話してあるんだろう。別に隠すようなことじゃない。
「あなたの右足のことですね」
「はい。公園で俺がうじうじしていた時、あの子が――」
「そのことについて、私もそなたから聞きました」
突然、鈴子さんが俺の言葉をさえぎった。
「俺のことですか? な、なんて……」
わずかに鈴子さんの雰囲気が硬くなる。
「『公園でずーっと暗い顔して言い訳ばっかりしてるいくじなしがいたから、うっとうしいからやめろって言ってやった。そうしたら少しすっきりしたみたいな顔してた』と、そなたは言っていました」
……ああ、その通りのことだな。なんかちょっとだけ傷つくけれど。
「越島さん、あなたにどうしても申し上げたいことがあります」
ティーポットをテーブルに置き、鈴子さんは俺に真っ正面から向き直った。
「え?」
何を言われるのか、と身がまえるひまもなく。鈴子さんは俺に向かって、深々と頭を下げた。
「娘に代わっておわびします、越島祥太さん」
鈴子さんのそれは、絵に描いたような完璧な頭の下げ方だった。
「たとえどうあっても、あの子が失った足のことであなたを傷つけたのは事実です。そなたの言ったことは、足を切断した人に言うべき言葉ではありません。私はそう思います。申し訳ありませんでした」
「い、いえ! そんなことは……!」
俺はあわてて首を振る。鈴子さんはまじめな人だ。そなたの言葉で本気で俺にあやまるなんて。でも違うんだ。
「俺はそなたに感謝しているんです。あの時、俺は全部がいやになって、自分が世界で一番不幸な人間だと思いこんでました。本当は陸上が好きだったのに、もう一度一から挑戦するのが怖くて言い訳してたんです。でも、そなたがきつく俺をしかってくれたから、もう一度がんばれたんです。お願いします、そなたのことはしからないでください!」
俺は鈴子さんに負けじと、自分も立ち上がって深く頭を下げた。鈴子さんはかなり驚いたようだったけど、やがて小さく息をついた。俺が頭を上げると、鈴子さんはほほ笑んでいた。
「あなたはとても強い男の子なんですね、越島さん」
「あの子にきたえられたんです。そなたほど、俺のおくびょうなところを許さない子はいませんでした」
そなたは絶対に俺の言い訳を聞かないし、俺のおくびょうなところを見逃さない。きっとそれは、そなたが子役としてがんばる舞台と同じだろう。あの子がそこまでがんばれるんだったら、俺だってできるはずだ。
「そうですか。きっとそうでしょうね」
ふと、鈴子さんは少し悲しそうな顔をする。
「でも、あの子は――」
その時、足音が聞こえた。
「また、個人的にお話しできればうれしいです。私もあなたを応援していますよ」
鈴子さんがそう言ったのとほぼ同時に、リビングのドアが開いてそなたが戻ってきた。
「あ、ママ。何を話してたの?」
「俺の足のことだよ。お前が俺に失礼なことを言ったんじゃないかって鈴子さんが心配してたから、そんなことはないって俺が言ったんだ」
俺は正直にそなたに教える。あれこれ言いつくろうよりも、そなたにははっきりと言った方がいいはずだ。俺の言葉にそなたはびっくりした様子だった。
「そ、そうなんだ。ママ、本当?」
「ええ。越島さんは立派な男の子よ。あなたも見ならいなさい」
「ママ! 反対! 私に祥太が見ならうの!」
鈴子さんに食ってかかるそなたに俺は苦笑した。
「はいはい、お前はがんばってるよ、そなた」
「何よそのやる気のない言い方!」
今度はこっちに矛先が向くのを、俺はなんとかあしらいつつソファに腰かけた。――そしてその後は、何作か冬木翠の出る場面のダイジェストを見た。何だかんだで夕方になったからそろそろ、ということで俺は鈴子さんとそなたにあいさつして玄関に向かう。
「じゃあね、祥太。勉強になったでしょ?」
「ああ。本番が楽しみだ」
「そう、よかった」
玄関で靴をはいた俺を、そなたはじっと見つめる。
「あの、さ――」
「ん?」
「あんたもがんばりなさいよ。私だって、エポニーヌの役をがんばってるし、翠さんはもっとがんばってるはずだから。絶対にがんばったことは報われるの」
がんばれ、という言葉。努力は報われる、という言葉。確かにそうかもしれないけれども、そうじゃないことだってたくさんある。マラソンはみんなが努力するけれども、一位になれるのは一人だ。子役はみんながオーディションを受けるけど、受かるのは一人だ。現実は辛い。そんな言葉はうそだ、と以前の俺だったらあざ笑っただろう。
でも、その言葉は誰が言うかで変わる。
「手を抜いたら許さないからね。二度と家に呼んであげないんだから」
初めて会った時のように、そなたは両手を腰に当てて俺をにらむ。この子の前じゃ、絶対に言い訳できない。だってそなたは、ずっとがんばってきたんだから。がんばれ、という言葉はそなたの口から聞くと誰よりも重みがあった。
「ああ、分かったよ。そなたの舞台を見たら、今度は俺の番だ」
「期待してる。それだけっ」
くるりと背を向けて、そなたは二階に登っていった。そなたの舞台とは違い、俺のスタート地点はまだ遠い。でも、一歩ずつ進んでいくと決めたんだ。一つだけ引っかかるのは、鈴子さんのあの少し悲しそうな顔だった。でも、それはすぐに消えていった。
◆◆◆◆
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