第4話:才能なんて、なくても……?

あらすじ:祥太はそなたの「才能がなくても演劇はできる」という言葉にはげまされて、再び走ることを決意する。祥太はそなたの舞台、レ・ミゼラブルを見に行くことを約束するのだった。


◆◆◆◆



 俺はその言葉に甘えて、素直に借りることにした。他人がみっともなく泣いている時に、ためらわないで自分のハンカチを貸すとは思わなかった。俺はちょっとだけそなたを見直した。泣いたら気持ちが落ち着いてきて、俺はベンチに座りなおした。そなたも再び隣に座った。


「……お前、劇団の子役なんだってな。すごいな」

「そうよ。ママは宝塚歌劇団のトップスターだったんだから。私もママみたいな素敵な女優になるのが夢。今度の劇も役を勝ち取ったんだ」


 俺が感心すると、そなたは得意そうに肩をそびやかす。


「どんな役なんだ?」

「あんた知ってる? アンドリュー・ハリス版のミュージカルのレ・ミゼラブル。私の役はテナルディエ一家のエポニーヌ」


 さらりとそなたは言う。レ・ミゼラブル。名前くらいは聞いたことがある有名な劇だ。たしかフランスの作家の作品を演劇にしたんだよな。


「アンドリューなんとかって誰だよ」

「演出家。ものすごい変人で、普通に公演されてるレ・ミゼラブルを自分流にめちゃくちゃにアレンジした人。だからアンドリュー・ハリス版。私は好きだけどね」


 劇について語る時、そなたは目を輝かせていた。


「私はね、エポニーヌの役をオーディションで射止めたの。ママは私が受かるはずないって反対したけど、私、どうしてもやりたいって言い張ったんだ。どんな風に演技したらいいのか、自分に何が足りないのか、ずっと考えて練習して練習して、そうして合格できたの。あの時はうれしかったなあ」

「へえ、良かったじゃないか」


 自然と自分の口からそんな言葉が出てきて、俺は驚いた。まだ俺も、他人の幸せをねたまないでいられるみたいだ。


「うん。でもまだだめ。自分の演技だけでせいいっぱい。歌は好きだから練習は辛くないけどね」

「そうなんだ。がんばってるんだな」


 俺のありきたりな言葉に、そなたはわざとらしくため息をついた。


「当たり前よ。あんたは知らないだろうけど、本番はものすごくたくさんのお客さんが見に来てくれるのよ。そんな時にとちったり失敗したらどうなると思う? みんなの期待も努力も全部裏切るのよ。そんなこと絶対できないでしょ? だから、どんなことがあっても完璧になるまで練習練習また練習。休んだり悩んだりするひまなんてないわ」

「大変だな……演劇って」

「大変なのは私じゃなくて、私を育ててくれた人たち。演出家の先生も、音響照明のスタッフも、衣装やメイク担当の人もみんながんばってるし、本番のためにすべてを犠牲にしているの。だから私もそれに応えなくちゃいけないのよ。誰一人欠けてもミュージカルは成り立たないの。覚えておきなさい」


 そなたは先生みたいな顔で俺に言う。俺はかなり驚いていた。最初はてっきり生意気なだけの奴かと思ったら、周りの人のことをこんなにしっかりと考えているなんて思わなかった。そもそも、これくらい負けん気が強くないと、演劇なんて厳しい世界ではやっていけないんだろうな。オーディションは大変だし、演出家とかすごく厳しいらしいし。


「何よその目。文句あるわけ?」


 そなたが俺をまたにらむ。


「正直に言うぞ。お前、最初は生意気でいやな奴だと思ってた。でも、なんか今の話聞いて見方がちょっと変わったぞ。お前、立派なんだな」

「別に。ママなんてお芝居の才能もすごかったけど、私の年で私の十倍は努力してたわよ」


 俺がほめても、そなたがふんぞり返る様子はなかった。


「いい? たとえ才能なんてなくても、お客さんを感動させることはできるの。逆に才能におぼれてると、むかつくだけで説教っぽいお芝居しかできなくなるのよ。だから私は、自分にできることをひたすらやるの。それだけよ」


 何気なくそなたは言ったんだろう。でも、今のそなたの言葉は俺にとっていくじなしと言われた以上のショックだった。


「才能なんて、なくても……?」


 才能がなくてもお客さんを感動させられる。そなたははっきりとそう言いきった。才能。その言葉は俺がずっとすがっていたものだった。「祥太には走る才能があるよ」その言葉を他人からかけられるから俺は走ることができていたし、その言葉を俺はずっと聞きたかった。でも、今そなたははっきりとそれを否定した。


「当たり前でしょ? 劇を見に来てくれるお客さんに才能が必要? 違うでしょ? 才能がある人しか演技しちゃいけないなんて法律ないでしょ? むしろ、才能のない人の演技の方が、お客さんの心を打つことだってあるのよ」


 そなたは何一つ迷うことなく言葉を続ける。俺がぽかんとして言葉を失っていることに気付いてさえいない。


 今まで俺は、自分の才能とかいう言葉に頼りきっていた。自分には才能がある。才能があるから走れるんだ、と思っていた。だから、足を一本失ったら自分の才能も一緒に失ってしまった気がしておびえていた。才能がなくなってしまったから、もう自分はおしまいだと勝手に思い込んでいた。でも、違うんだ。ようやく分かった。


 ――俺に才能なんて最初からない。


 ただ人並みに走ることができていただけだった。才能がないことを認める。それはものすごく怖いことだし、絶対にしたくなかったことだ。だから俺は、足を失った時何もかもがいやになったし、絶対にもう一度走りたくなかった。才能がない自分という現実を突きつけられるから。それに目をそむけ続けていた。


 ――でも、だからどうした。


 そうだ、才能がないからどうした。そなたの言う通りだ。マラソンを見る人たちに才能なんていらない。才能のある奴しかマラソンをしちゃいけない法律なんてない。俺に初めから才能がないんだったら、右足を失ったくらいであきらめる理由になんかならない。才能がなくても走れる。いや――走りたいんだよ、俺は。


「……ありがとう。俺、お前の言う通りいくじなしだった。ろくに努力もしないで、自分に才能があるなんて思いこんでいた。でも、お前の言葉を聞いて分かったよ。俺には才能なんて元からなかった。でも、それがどうした。ああ、それがどうしたんだよ! 俺はまた走れるようになるから。才能がなくても、義足でも走れる奴になってみせる!」


 俺はほとんど一気にそう言いきった。ベンチの背もたれに捕まって立ち上がる。作り物の右足で地面を踏みしめる。ずっとずっといやだったこの感触。これと一生付き合っていく覚悟が、今ほんの少し生まれた気がした。


「ふ~ん、そう。まあせいぜいがんばりなさいよ」


 熱っぽく語る俺とは正反対に、冷めた目でそなたは俺を見た。


「でもあんた、さっきよりも少しはましな顔になったみたい」


 そなたはほんの少しだけ笑みを浮かべて、そう言ってくれた。まったく、へたくそな俳優にだめ出しをする監督みたいな厳しさだ。


「……お前がレ・ミゼラブルで舞台に立つ日を教えてくれよ。見に行きたい」

「チケット高いわよ」

「足りなかったら親から小遣い前借りしてでも行くさ」

「しょうがないなあ。教えてあげる」


 そなたはそう言って、ようやくにっこりと笑う。やっぱりかわいい女の子だと俺は改めて思った。きつい物言いも、ずけずけと遠慮なくこっちのプライベートに踏み込んでくるのも、すべてはこの子の芯の強さだ。そして、そこまでされなければ、俺は立ち直れなかったんだろう。俺は心の中でそなたにお礼を言った。



◆◆◆◆



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