第5話:追いついてよ。もっとも、そう簡単には抜かせないけどね
あらすじ:祥太は高校生の障がい者による陸上大会を見学する。その際、片手と片腕に障がいを負った神野秀夫の優勝を見て、彼に続きたいと願うのだった。
◆◆◆◆
父さんと母さんは
「祥太の気持ちが晴れるならこれくらい安いものだよ」
って言ってくれて、そなたが出るレ・ミゼラブルの席を予約してくれた。そなたが所属しているのは劇団フォーレストという、演劇の世界ではトップクラスのところだった。なんと言っても、あの世界的に有名な梅原守男が演出家でいるらしい。
梅原守男は超完璧主義者として有名な人だそうだ。きっとそなたは、ものすごく厳しく指導されただろう。でも、あの子は負けなかったんだ。俺だって負けていられない。ようやく、俺はスタート地点でうずくまるのをやめて立ち上がることができたらしい。俺は装具士の亀井さんや整形外科医の人と相談しながら、ランニングを再開することにした。
最初は短い距離を走り、だんだん距離を伸ばしていく。想像以上にこれは辛いトレーニングだった。レンタルしたスポーツ用の義足でも走るのはものすごく難しいし、両足があった時とは全然違う。こんなにバランスを取るのが難しいとは思わなかった。それに切断した場所と義足が触れる部分が痛くなるし、左のひざや足首に負担がかかる。
それでも俺は毎日少しでもいいから走った。そして、そなたはそんな俺のことを見ていてくれた。
「あんた、最近がんばってるじゃない」
「ああ、まあな。お前のおかげだよ」
「私は関係ないわよ。あんたが自分で選んだことでしょ?」
たまに公園で会うと、そなたは俺のことを上から下までじろじろと見てから、相変わらず厳しいことを言ってくる。
でも俺には「気持ちで負けないでよ」とか「辛いけど途中で投げ出したら怒るから」とはっぱをかけてくれたんだと思えた。義足で走るということは、何もかも一からやり直しだ。自分に才能がないことを思い知らされる。でも、俺はもうそれが怖くなかった。そなたは俺が才能がないことを知っても、絶対にばかにしないと分かっていたからだ。
◆◆◆◆
俺はランニングを再開するのと同時に、自分のこれからの目標を決めることにした。一番でかい目標と言えば、やっぱりパラリンピックだろう。でも、いきなり目標をパラリンピックにしても、あまりにもその途中がない。まずは手近なところから始めないといけない。そう考えると、少しずつわくわくしてくるのを感じてきた。
また走りたいし、一位を取りたい。今まではみんなにほめられたかったからだ。今は少し違う。もちろん、今だって人にほめられたい。でもそれ以上に、足を一本失った自分がどこまでできるのか、確かめてみたかった。何よりも、俺はそなたの前でもう一回走ると約束したんだ。それを果たしたい。果たさなければ、どれだけそなたが怒るか。
そして、ネットで見つけた高校生の障がい者による陸上大会。俺はそれに観客として参加した。いろいろな競技が行われていたけど、俺が注目したのはマラソンだった。競技場の観客席で見守る俺の前で、一人の選手がゴールした。名前は神野秀夫(じんのひでお)。俺と同学年だ。その選手は、左足のひざから下と、左手の指が親指以外なかった。
◆◆◆◆
自分でも走れるのか。あの長距離を義足で走りきれるのか。ずっとそのことを考えながら、俺が競技場を出ようとしたその時だった。両親らしき人と一緒に、ショルダーバッグを肩から下げて歩く神野秀夫と、俺は出入口で出くわした。
「あ……」
立ちすくむ俺の前を、軽く会釈して神野は通り過ぎていく。そりゃそうだろう。俺は赤の他人だ。
「あ、あの……!」
でも、俺は思わず声を上げた。
「え?」
神野が振り返った。穏やかそうな、線の細い男子だ。でも、俺の目には彼がゴールテープを切った瞬間が焼き付いている。
「その……神野、秀夫……だよな?」
「うん」
落ち着かない俺と違って、神野は落ち着いていた。
「その……優勝おめでとう」
「ありがとう」
神野は頭を下げた。
「どこかで会ったことがある?」
「いや、初対面だよ。ごめん、いきなり呼び止めて」
「ううん。応援してくれてありがとう」
神野の両親らしき人たちが、ふしぎそうな顔で俺を見ている。いきなり呼び止めて、俺は自分でもどうすればいいのか分からなかった。いたたまれなくなった俺は、思いきって右足のズボンのすそをまくり上げた。
「俺も……こうなんだ」
義足を見た神野の目が、わずかに見開かれた。
「どうして?」
「骨肉腫。まだ義足をつけ始めたばかりだから、今ならしているんだ」
「そうなんだ。僕は、まだ小さい頃に事故で」
俺の目は、神野の左手に注がれていた。神野の左手は、親指以外の四本の指がそぎ落とされたようになっている。
あの親指だけで、日常生活を送っているんだろう。俺の両手は何不自由なく使える。でも、神野は違う。手も足も奪われた。それなのに今こうして大会で優勝を勝ち取っていた。
「あのさ、俺はこうなる前は陸上部だったんだ。マラソンが得意で、陸上大会の代表選手に選ばれるはずだったんだ。病気でだめになったけど」
初対面の相手に俺は何を言っているんだろう、と思いつつも、口は止まらなかった。
「俺は越島祥太。よろしく。俺もお前に続きたい。今ランニングを初めてカンを取り戻しているんだ。近いうちに、俺も障がい者の大会に出たいと思ってる。まだ納得のいく走りはできてないけど、きっと前みたいに走れるはずなんだ」
我ながらいきなりすぎるのは分かっていた。でも、俺は本心から思っていることを伝えたかった。
「今日走っているお前を見て思った。追いつきたい。抜かしたいって」
心のどこかに火が付いたみたいだ。両足があったころの負けん気が戻ってきたみたいだった。それを神野と共有したかった。同じランナーなら、分かるはずだと信じて。
「うん、待ってるよ」
神野が手を差し出した。右手にも傷があった。
「追いついてよ。もっとも、そう簡単には抜かせないけどね」
俺はその手を握りしめる。
「言ったな。元陸上部をなめるなよ」
「元、だよね。足をなくしたのは僕の方が長いんだ。先輩と思ってよ」
「ああ。礼儀正しく勝たせてもらうぜ」
「なにそれ」
神野と俺は笑った。
足を失ったことで、俺に新しい友人ができた瞬間だった。神野は俺の義足の先輩として、いろんなことを教えてくれた。義足での走り方。足の休ませ方。何を心がけて、どんなことに気を付けるべきか。それらをメールや電話で丁寧に教えてくれた。俺は心に決めた。このすべてを、絶対に無駄にはしないと。背中を追いたくなる目標がやっとできた。
◆◆◆◆
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