第3話:――いくじなし
あらすじ:そなたは祥太を「いくじなし」と一喝する。それに反発する祥太だが、そなたは本気で怒って祥太に言い訳をさせなかった。
◆◆◆◆
だって――そんなこと言っても、足を一本切り落とした時のくやしさと悲しさが、今も俺の中にあるんだ。それは重たすぎて、とても左足だけでは引いていけないものなんだよ。
「うるさいな! そんなこと俺が一番よく分かってるんだよ! お前に言われる筋合いなんかない!」
思わず声を荒げてしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。しまった。
「あ、ごめん……」
小学生相手に大人気ないことを言ってしまった。沈黙が流れる。そなたが俺をじっと見つめていた。その目は悲しそうではなく、俺を小ばかにしている目だった。
「――いくじなし」
ややあってから、そなたははっきりと俺に聞こえる声でそう言った。いやになるくらいよく通る声だった。
「は? おい、お前今なんて言った?」
「い・く・じ・な・し、って言ったのよ。ちゃんと理解できた?」
そなたはわざと一言一句をはっきりと区切ってそう言った。いくじなし。そんな風に俺にはっきり言う人は、足を失ってから一度もなかった。ものすごい勢いで怒りがわき上がってくるのが、自分でもはっきり分かった。絶対顔にも出ていただろう。でも、そなたは一歩も引かなかった。
「何が『マラソンが得意でさ。陸上大会の選手に選ばれそうだったんだ』よ。あんたみたいないくじなしが選手になれるわけないでしょ。そうやってずっとめそめそしてれば? あっさりあきらめちゃうような根性無しには、もう一回走るなんて無理よ」
「おい、いくらなんでも失礼じゃないか!? お前言っていいことと悪いことがあるぞ!」
俺は腹立ちまぎれに立ち上がってよろけ、ベンチの背もたれにつかまった。右足が義足なのを忘れていた。右足を失って、俺はずっとにこにこ笑おうと努力してきた。母さんと父さんを心配させないようにしてきた。クラスメートに同情されたくないし、先生にあれこれ立ち入られたくなかった。だから笑っていた。だから立ち直ったふりをしてきた。
ただ笑っていればよかった。「がんばるさ。俺は負けないよ」と聞こえのいいことを言っていればよかった。笑ってそう言えば、みんなだまされてそれ以上関わってこなかった。だからこそ、俺の悲しみはずっと残っていた。誰にも見せたくなかった。だって、かっこわるいじゃないか。立ち直れないでいる俺なんて見て、誰が喜ぶっていうんだ。
それなのに。それなのに。なんなんだよこの子は。なんで人が一番気にしていて一番聞きたくないことを平気で言ってくるし突いてくるんだよ。赤の他人のくせに。両足があるくせに。ここまで腹が立ったのは、右足を失って初めてだった。鏡で自分の情けない姿を見せられて、俺は怒ることでしか自分を保てなかった。でも、そなたは手を抜かない。
「本当のことでしょ! あんたと少し話せば分かるわよ! あんたが走るのが大好きなことくらい! そんなに陸上が大好きなのに、マラソンが好きなのに、その夢をあっさりあきらめて。もう何もできないって逃げ出してうじうじしてて。見ててイラつく! どっかに行って!」
立ち上がったそなたは、まるで自分のことのように怒って声を張り上げる。
「お前、小学生のくせに何が分かるんだよ! 両足があるお前に何が分かるんだよ! 一番好きなことを病気で奪われるくやしさがお前に分かるのかよ! なんなんだよお前は! 俺のことなんて放っておいて好きなだけ遊んでろよ!」
負けじと俺はどなる。この時間、公園に誰かほかにいなくてよかった。俺の言葉に、そなたは不敵な顔で胸を張った。
「私、劇団の子役だから。知ってる? 役者って何度もオーディション受けて、何度も落っこちて、それでも絶対にあきらめないからやっと合格するの。私だってそうよ。何度も何度も何度も何度も落ちたんだから。それでもずっと努力したから子役をやっていけるの。あんたみたいないいかげんないくじなしとは覚悟が違うのよ!」
顔を思いっきり殴られたかのようなショックだった。わなわなと肩が震える。思わず手を上げてそなたを平手打ちしたくなるのを必死でこらえた。唇をかんで顔をゆがめる俺を、そなたはまっすぐに見上げている。どんな言い訳も許さない、と言わんばかりの顔だ。俺は何か言おうとして……何も言えず、その代わりに涙がほほを伝って流れ落ちた。
「なんだよ、偉そうにしやがって……。俺だって、俺だって……本当は……」
右足を失ってこんなに怒ったことが初めてなら、こんなにショックを受けたことも初めてだったし、こんなにくやしいのも初めてだった。泣いたことは何度もあるけど、あの時は自分がかわいそうで泣いた。今は違う。そなたという女の子に完敗した自分がぶざまだった。
何もかも、そなたの言う通りだった。俺はいくじなしで、かっこわるくて、情けない奴だった。右足を失ったことは事実で変えられない。でも、そこから一歩も立ち上がれない状態にいつの間にか甘えていて、そこから抜け出そうとしなかった。それをそなたははっきりと、いやになるくらい容赦しないで俺に突きつけたんだ。
「……はぁ。まったく」
涙を流して泣いている俺を見て、そなたは一度ため息をつくとハンカチを差し出してくれた。きれいなチェックのハンカチで、ウサギの刺しゅうがしてある。
「かっこわるい。ほら、これ貸してあげる。涙ふきなよ」
「ば、ばか……こんなきれいなハンカチ使えるかよ」
「別にいいよ。洗えばいいだけだし。ほら、早く使いなさい」
「……ありがとう」
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