人魚病篇

第1話 水槽を泳ぐ腕

 本内容は某地方局の深夜番組の取材時に蒐集したものである。

 番組内では放送されたのは三十秒と満たない時間だったが、内容が奇をてらったものであったため、該当箇所が切り抜かれ、SNSや動画共有サイトで拡散された。

 

 以下、書き起こしは、その抜粋箇所の一部である。



 「ちょっと良いですかあ。――ぼくたち、いま福岡の誰も知らないような耳より情報をあつめる『福岡福耳』っていう企画で撮ってるんですが、あ、そうそう、23時45分からやってる。わーありがとう、見てくれとおと」


 小柄でひょうきんな男性が、取材の許諾をうけて、カメラを手招いた。黒いチノパンに深紅のサスペンダーをかけ、白いシャツに赤の蝶ネクタイという格好は、意図して自身を印象づけようとした産物だろう。


 取材をうける若い女性ふたりにとって、親しみと好感を覚える象徴のようなものであったらしく、さかんに互いの肩をゆるりあい、口に手をあてて、洩れ出る興奮をおしとどめようとする。


「おねえさんたちは、今日はどこに行っとたと?」


「化粧品買いに大丸に」

「でぱこす、でぱこす」


 女性ふたりは、とっつあん坊や風のリポーターに気安く語りかける。年齢は二十歳をいくらか過ぎたぐらいで、いまだ顔や仕草に幼さが残る。しかし、カメラに映るようにわざわざ肩にかけなおしたポーチの留め具にはグッチのマークがあしらわれているし、指にはめているダイヤは加工したガラスとは一線を劃すきらめきを、堂々と平日真昼の大道りに放射していた。


「目当てのものは見つかった?」

 

 リポーターの男は雑談をつづける。テレビ慣れしていない一般人に単刀直入に話題を振るような、せっかちな真似はしない。彼女等の張り詰めた興奮を、他愛のない世間話でゆっくりと抜いていく腹づもりなのだろう。


 だが、その話は思わぬところから、鎌首をもたげた。


「んー、あんまなかったよね」

「ないない」

「やっぱ銀座とか西麻布じゃないと」

「ねー。東京じゃないと・・・・・・あ、でもさ、あれ、福岡だけじゃない?」


「え、なになに、あれって?」


 リポーターは流石に聞き逃さなかった。

 彼が看板リポーターを勤める『福岡福耳』にとって、福岡だけ、というのは、企画に即したキラーワードだ。エンタメとしても聞き逃すには惜しい。


 だが、なにより、彼の興味を釣り上げたのは、ぽつりと漏らした女が、一瞬、連れの女友達とかわした視線だった。


 失言――。


 それに気づいた女と、それを窘める女の目交ぜ。


 食いつかない訳にはいかない。


「えーと、その噂なんですけどね?」


 そう切り出した女の目の中に先程の禁忌に動揺する色はない。肚を決めたのだろう。それと何処か、他人の知らない噂話を流布するという、ちょっとした優越感も見え隠れしていた。


「じつはめっちゃ美肌になる食べ物があるらしいんです」


「え、なになに。それって僕みたいなおじさんにも効果あるやつ」


 戯けてみせるが、一方で、女から話をどんどん引きだそうという計算もあった。


「あると思います。てか絶対ある」


「え、どんなの?」


「人魚の体液なんです」


「え?」


 思いも寄らないネタに、男は一瞬、地金を晒すような困惑を発した。


「人魚の、体液?」


「そう、私の知り合いの、あの昼職の子の話なんですけど、その子、急にメッチャクチャ美肌になって。それで聴いたら、なんか、人魚の体液を飲んだ、とか」


「人魚って、あの人魚?」


「そうそう。で、その子曰わく、時々、デパートとか、精肉店とかに売りに出してるらしくて」


 女の興奮ぶりに反比例して、リポーターの男は距離を置きたがるような眼差しで、ちらりとカメラをみた。――ヤバい子じゃない? まるでそう視線で語るように。


「それってさ、『人魚の体液』っていう名前の健康食品?」


「その子がいうには、まじで人間の、それもなんというか、めっちゃ美人だろうなぁって感じる女性の右手から作ってるって」


「それって、え、なに、人肉ってこと?」


「えー、それはたとえ腕でも魚なんじゃないですか。人魚ですし」女は何が可笑しいのかケラケラ笑いながら、奇体な人魚話をつづける。「売り出されるときは、いつも、なんっかアロアナ? とか入れる大きな水槽の中に浸かってるらしいんです。で、その腕のヤバいのは、水の中に浸かっているのに、底にはつかず、水面にも浮かばず、ずっと、どこかを指し示すように、あるいは手招くように、ずっと水中に、泳ぐように浮かんでいるんですって」


 リポーターの男はもはや、これが女の冗談か、あるいは女の病気か、いずれかだろうと値踏みして、そうそうに取材を終えたそうに、眉をしかめている。


 だが、男が嫌悪を発すれば、発するほど、むしろ女のほうに熱が入り、男の瞳に灼きつけるように語る。


「で、その腕を水槽からあげると、子どもの餅肌のように水を弾いて、かすかに七色の光を発して、鱗のように燦めくんですって。だから、みた人、みんな人魚だって思うらしいんです。教えてくれた子もそう行ってましたし」


「えー、あー、でも、それどうやって飲むの?」


 男の声に先程までのハリはない。おそらく放送されないものだと見切りをつけたのだろう。その場で話をあわせて、そうそうに取材を終わらせようとしているのが明白だった。


 女にもそれが判ったのだろう。自分が異様に興奮していたことを恥じるように、はにかむと、この話を打ち切るように、さっと、その食事法を述べた。


 「浸かっていた水を飲むんです。でも、よく通ってくれているお客さんだけには」



 ――肉を削いで、食べさせてくれるらしいんですけどね。


 

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