第20話 初恋

「やあ、一週間ぶりかな」


 背中に斜陽をあびながら、彼女はあまりにも平然と校舎の食堂にいた。以前のように、オレの学校制服にあわせた碧色のブレザーで変装することなく、白を基調とした市内の女子校の制服に身を包む姿は、西洋画のモチーフのようだが、その手にしているのが、カレーうどんであるために、どこかコメディチックなCMにもみえる。


 本校は高校でありながら、部外者の食堂利用を禁じていない。だからときおり、こうして他校の生徒が冷やかしに来たりもする。その点で他校の生徒は珍しくもないが、かといって、他校の女子生徒が――しかも、どことなく浮世離れした雰囲気を醸し出す少女が、ようやく刑期あけした囚人のようなオレにむかって、なんの衒いもなく話し掛けるのは、やはり、どこかドラマチックな赴きがあって、いやでも周囲の目を惹きつけていた。


「やっぱり学食はカレーうどんに限るよ。この爪の先ほどのジャガイモと人参、そしてローストを執拗に裂いたかのような繊維状の牛肉。味わいはすこぶるレトルトチック。カレーと出汁がまじりあっていない、このアンバランスさ。最高だね」


 彼女とて、衆人の視線に気づいている。けれど、それを取り合わない大胆さも、やはり持ち合わせて居る。


「君は・・・・・・」


「まあ座りなよ。君のために唐揚げも用意した」


 ことりと紙コップが置かれる。その中に栗ほどの大きさの唐揚げが三つ、ごろりと収まっている。泰然自若として脚をくみ、フォークで器用にカレーうどんを食む糺川は、まるで彼女のほうがこの学校の生徒のようだった。


 事実、オレはこの一週間、メディアの旋風にさらされつづけ、父方の叔母の家に預けられるような身の上だったから、存外、彼女以上に疎外感をおぼえる環境下にあったのはいなめない。


「それで調子はどうだい?」


「絶好調とは、言い難いな」


 食べやすいように爪楊枝のささった唐揚げをひとつ食べる。保温されていたにしては、随分と冷えていた。


「・・・・・・待たせたみたいだな」


「そういうのは、気づいても言わないのが華だよ。まして慎み深いレディーに」


「ところで慎み深いレディー。この唐揚げ五つ入りじゃなかった?」


「ご時世だねえ。同じ価格で量が減る」


「・・・・・・まあ、そういうことにしとこうか。それで?」


「それでとは?」


 そう訊きながらも、彼女はカレーうどんに沈めた唐揚げのひとつを拾って、垂れさがる前髪をかきあげつつ、ぱくりと食べる。


「神出鬼没の名探偵が目の前に現れたんだ。なにか、突きつける新事実でもあったんじゃないか?」


「おいおい。ボクは名探偵でもあるし、美少女でもあるけれども、つねに奇矯な行動をとるわけじゃないんだぜ? 英雄も一日のうち1時間、英雄たる振る舞いをしていれば恩の字だ。あとの23時間は自由時間。英雄にだってプライベートはあるし、ときには腹を出して、屁をこいて寝ている。――ま、あくまで一般論で、ボクが姉様のようなだらしない格好をしているとは限らない」


「ああ、そうだ。そういえば、あのとき、御礼を言えていなかった。君のお姉さん、えーと名前はたしか」


みどり


「そう翠さんにも御礼を言っておいてくれよ。でないとオレは恩知らずだ」



 あの夜、八幡平に襲われ、あやうく無理心中を図られていたところ、暗闇から突如として忍びあらわれた翠さんによって、八幡平は取り押さえられ、オレはからくも窮地を脱したのである。


「いいんだよ姉様のことは。あの人はいつだって正義の味方なんだから」なぜだか、探偵は臍をまげたようにいう。「それより君のことだ。あれから変わりないかい?」


「本気で訊いてるのか?」


「勿論。幻覚症状や恐怖症。夜尿症や神経衰弱。いろいろ考えられる」


「そっちの方面なら、まあ、問題はない。オレはいたって健康。少し自分でも薄情とおもうくらい」


 彼女はちらりと目でうかがって、それから肩をすくめた。


「君がそういうならそういうことにしておこう」


「それで?」


「オレのご機嫌伺いに来たわけでもないだろう? たしかに英雄や探偵は、その日の大半を、平凡な人間とおなじ振る舞いをするかもしれない。だけれど、おまえは――糺川碧はそんなことをしない。あまつさえ、謎の出涸らしとなったオレの前に現れるなんて」


遺憾いかんだなあ。大変いかん。如何いかんともしがたい気持ちで一貫いっかんしている。――だけれども、まあ」


 探偵はにこりとわらう。その細めた目に、正しく探偵の鋭さをやどしている。


「当たらずしも遠からず。君に興味がないというわけでもない」


「そいつは色恋で?」


「君にとっては、そっちのほうが嬉しい?」


 オレは肩をすくめた。ここは黙秘をつらぬくところだ。


「君がもしも本当に薄情で、君のまわりにいた人々が被疑者として警察や検事から、粗相をした野良犬を調教するように、つよい譴責と追及を受けているとして、それについて、なんら凪のように心うごかないというならば、ひとつ、君に訊きたいことがある」


 探偵はカレーうどんが残っている、プラスチックの安っぽい丼を脇によせると声をひそめた。


「君は霊能力をどこまで信じる?」


 あまりにも突拍子もない話題に、オレは目を丸くした。まるで宗教加入の一コマのようだった。しかしながら、それを言の葉にした少女は、一週間前、新興宗教のいびつな教義を破り、ひとりの少年を、その沼沢から掬い上げた。――そして言わずもがな、救われたのはオレである。


 まして彼女は以前、目の前で、怪異なるものは解明されていないだけの謎であり、妖異とは解釈にとどまった謎であると豪語したのだ。そんな徹底的な唯物論者であって、幽霊など、頑迷なる旧時代の遺物として、一笑に伏す人物だと思っていただけに、この問いは、あまりにも怪異的だった。


「質問を変えようか。アナタに信仰はある? 御眼畫教徒として洗脳される前は、人並みに神や仏にすがったんじゃない?」


「それは、まあ確固たる存在を定義するわけじゃないけれど、少なくとも、居てもいいと思う程度には信じている」


「そうよね。ではそうすると、ここにある御守りについてどうおもう?」


 そういって彼女は鮮やかに赤に刺繍された御守りを取り出した。何の変哲もない御守りで、中央には金色の刺繍で『無病息災』とある。


「まあ御利益はあるだろうな」


「つまり効果があると信じている。これが邪気や穢れを払い清めると思っている。であれば、神様のご加護を信じるということは、それすなわち、邪気や穢れを認めるということにもならない?」


「帰納法的思考は間違えの元だ」


「そう? でも邪気や穢れがないのなら、御守りは何に対して効果を発するの? 僕達現代人はさすがに御守りひとつで健康が増進するとは思わないでしょ。それにほんとうにそうしたいのなら、むしろ手軽なサプリとかを採るよね、或いは、適度な運動とまともな食事。これに優る者はない。怪我だってそう。注意力を高めたいなら、御守りをさげるより、携帯の電源を切るべきだと、誰だってわかるはず。――いってみれば、逆なんだよ」


「ぎゃく?」


「ボクらは最初に神を信仰するんじゃない。目に見えない邪気や穢れを信仰したからこそ、神様にすがるんだよ。ひとが信心を起こすには、まず混沌への信仰が必要なんだ。だから神仏を信仰しているのなら、それはつまり、呪詛への信仰に他ならない」


「糺川。今度はお前がオレを洗脳するのか?」


「わるいわるい。すこしばかり迂遠すぎたね。ボクの悪い癖なんだ。あやまるよ。――ボクが本来、言いたかったことはね。君にもしも、まだちょっぴり呪詛への信仰があるのなら、ちょっと仕事を手伝ってほしいんだよ」


「仕事? 以前、いっていたR.E.Dか」


「そう【内在する恐怖に対する探偵業】。実はこう仰々しい名前をしているけれど、実のところ、新設の機関でね。前身は公安の秘密結社とも、福岡県警のとある巡査部長が、某怪異と再び邂逅するために秘密裏につくりあげた怪奇特別班ともいわれているけれど、まあ、お国の関与している、地方公務員みたいなものさ」


「そこにオレを?」


「そう。いわばスカウトだ。どうだろう? 君にとっていい話だと思うよ。メディアには無用な詮索をさせない程度の圧力をもってる。少なくとも、いま、校門の前で何食わぬ顔をして出待ちをしている輩を一掃できる」


 彼女はひらひらと外に手を振る。そこには鳥打ち帽を目深にかぶった男性が数人、植木の影から、こちらのテラスを垣間見ようとうろついていた。


「勿論、奴等も一週間後には失せるだろう。なんの主義もないアジテーターどもだ。だけれども、呪いの少年とか、新興宗教の被害者として、騒ぎ立てられるのは、もう一日たりとも勘弁ならないだろう?」


「なるほどな」


 オレは苦笑しながら、うなずいた。


「いや。無理」


「えええ!? なんでだい? すごい良い話しだと思ったのに」


 糺川は本当に驚いた風に目を丸くする。


「お給料もでるし、社食はここより上手いし、しかも安いよ?」


「糺川、君は本当に感謝している。だけれど、答えはノウだ」


「えええええ!? そこは手をにぎって『よろしく』って頬をそめながら頷くところでしょう! なんで、ボク美少女だよ? 美少女同年代上司だよ? いいの? こんな好条件蹴っちゃって!?」


「オレ、優位に立っている人間からの提案は、すべからく断るのが趣味みたいなところあるから」


「そんな岸部露伴みたいな趣味は今すぐ辞めな? あれは漫画であって、現実でやると莫迦をみるだけだよ? 実際、露伴もかなり追い詰められたし」


「でも、オレ『ピンクダークの少年』の愛読者だし」


「小説の中のキャラクタが漫画の中の漫画の読者だというと、メタなのか、本当なのか、こんがらがるから辞めよ?」 


「飛ばしたインクだけで作画した回。よかったよね」


「そんな世界が一巡したときの回なんて、だれも読んでないよ!!」


「まあそれに――」


 オレはそういって彼女に手を伸ばした。


「君とは、まずお友達から始めたい」


「な!?」


 彼女はまんまるな目を飛びださんばかりに開いて、それから、一杯食わされたときづいて、悔しいやら、恥ずかしいやら、頬を様々な赤でころころと染め換えながら、頬を膨らませ、そうして、いじらしく睨んだあと、その手をつかんだ。


「そういうことなら、まあ、お友達からやってやらんこともないけれど」


「じゃあ、これからよろしく、糺川さん」


「うむ、まあよろしくしてやらんこともない。たちばなともえくん――」


「ああそういえば、オレの名前なんだが、ふたつだけ指摘しておきたい」


「ほう?」


 手をにぎったまま、彼女は首をかしげる。


「ひとつに、オレの名前はともえじゃなくてともるだ」


「あとひとつは」


「叔母と相談したんだが、母親が刑務所から出るまでは叔母の、――といっても嫁いだから、その結婚相手の男性の苗字だけれど、それで暮らしていこうと思う。だから今の名前はたちばなともるじゃなくて――」


 オレは糺川碧の、あたたかな手の熱をかんじながら、あたらしい名前をつたえる。


雫石しずくいしともるだ。よろしく、親愛なる名探偵」


 


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