第18話 糺川碧の推察

「は?」


 本殿から現れたのは、糺川碧そのひとだった。いつから本殿に隠れていたのか。供物の台を脇に寄せると、上から下まで、じろじろとAlphaを眺めた。


「ああやっぱり、アナタか。お久しぶり。三日ぶりかな」


 糺川はひらひらと手を振ってみせる。対するAlphaは、愕然として目蓋をひらいたが、すぐに練り上げた憎悪を叩きつけるような凄まじい眼光で彼女をにらんだ。


「あはははは。拝殿には誰も居ないと思ったでしょ? でも駄目だよ。社務所だけを。ちゃーんとエレベーターの降り口まで確認させないと。ここの神社。あんまり参拝者に知られてないけど、社務所にエレベーターがあるんだよ? そこから下に降りれるんだよ。だから中腹からウラの駐車場にまわって、階段から本殿裏の蔀戸しとみどに回り込める。まして今夜は大雨。天然自然に雨のとばりがおりる。ゆうゆうと本殿から登場できたよ」


「糺川・・・・・・。おまえ、何を言ってるんだ? 久しぶりってなんだ? いや、そもそも、お前にもAlphaが見えるのか?」


「おうおう、矢継ぎ早に質問かね。いいよ、いいよ。 名探偵、皆を集めてさてと言い。つづけてひとびと、なぜという。――探偵って言うのはね、解き明かすよりも、ひとびとの驚きを堪能するほうが、存外好きだったりするひねくれた商売だからね」


 あらためて糺川は本殿の階段にのぼると、怪異とオレを睥睨しながら、祝詞をふらせるように話し始めた。


「ところで橘巴くん。きみはなぜ和尚が談話室から出ていったのか、分かったかい?」


「え」


「えじゃないよ。君は十中八九、談話室で意識など失ってなかった。睡眠薬など飲んでいなかっただろう? もしも君が談話室で一時的に昏睡するほどなら、和尚は君の変化にすでに気づいてもよかった。なのに談話室にこもって、十分以上経った後、急に和尚が声をあらげて、驚くとは思えない。――つまり、途中までは和尚の筋書き通りだった。そして予兆もなく、君は急に倒れた――その演技をしたからこそ、和尚は驚いた。揺さぶったが、返事をせず、彼は異変に気づいた。


 なにかを盛られたと思った彼は、はたして誰を思ったか? ほかの五人の中に睡眠薬を盛った人物が居る、そう思っただろうか? ――だが、もしも、五人とおもっていた人物のなかに、急遽六人目の部外者がいたと思いついた場合、君はどっちを疑うかな?」


「ろ、六人目?」


 糺川は階段に左足を踏み下げ、右足をその膝の上に組んで坐り、右手を頬に添えて思案する、まるで飛鳥時代の半跏思惟像のようなポーズで、うなずく。


「君、あの貴賓館は重要文化財だってことを忘れていないかい? そこいらのマンションやビルじゃない。厳重な管理義務が生じるんだ。――にもかかわらず、和尚は貴賓館に入るとき、鍵をあけることなく、平然と扉をあけて入っていったというじゃないか。しかもあのとき貴賓館は閉館日。臨時の使用することは稀にあるとしても、どう考えても、杜撰な管理じゃないかい?」


「そ、それは・・・・・・」


 オレだって考えなかった訳じゃない。そもそも閉館中の貴賓館で除霊会をしようとする時点で常軌を逸しているとはいえばそうである。


「いいたいことはわかるよ? そもそも貴賓館でやること自体妙だというんだろう? だがその疑問と杜撰な管理、どちらも辻褄があう理由がひとつだけ、あるんだよ。ね、そうでしょう? Alphaさん――いえ、たしかネームプレートには『八幡平はちまんだいら由嘉里ゆかり』さんでしたっけ」


 八幡平と呼ばれたAlphaは、いまだ怪異のベールをまとおうと、呻きひとつ洩らさず、怨念で呪い殺さんばかりに、糺川を睨みつけていた。


「ネームプート?」


「ああ、知らなかったのかい? 君は家や診察室でしか会わなかったらしいけど、会おうと思えば、会えたんだよ? で」


「まさか・・・・・・・」


「そう。なぜ貴賓館が選ばれたのか。そしてどうしてあの日、貴賓館は鍵なく、君たちを招いたのか。――そいつはあまりにも当然な理由だ。彼女が事前に開けていたんだよ。あの貴賓館で働く事務員として」


 オレは愕然として、Alphaを――八幡平をみやった。この女は怪異などではなかった。これはちゃんと脚の生えた、鼓動する、生命のある人間だったのだ。


「じゃ、じゃあ・・・・・・」


 舌が震えるのが分かる。ぴかりと周囲がしらみ、雷が鳴る。糺川は憐れむような眼差しでオレを見守る。


「そうだよ。Alphaは幽霊なんじゃない。新興宗教の教祖だ。もとは自らの天通眼を誇って、透視やら預言、占いを生業にしている女だったが、何の因果か、福岡県下で肥大化していった妄言の徒だ。つまるところ・・・・・・・こいつは怨霊でもなんでもなく、ずーと、君のまわりに、平然と幽霊を装って過ごしていた赤の他人なんだ」


 途端、口から悲鳴があがった。それはとめどなく、嘔吐するようなものだった。


 幽霊、埒外の存在。そうであるからこそ、ある種の諦観で収まっていた嫌悪感が、人と知った瞬間、歯止めがかからず、脳髄を掻き毟るような拒否感につながった。


 この一年間半。オレはずっと見ず知らずの、気の触れた女が、自分の自宅や周囲をうろつきまわって、かげにひなたに、ストーキングされていたのだ。


「で、でも、それなら・・・・・・なんで、母さんや、先生は・・・・・・・」


「言うに及ばず、こいつの信徒だったんだ。かれらの宗教観はあまりにも複雑――といっても稚拙で論理が破綻しているから、どうにも整合性がなくて、煩雑だということなのだけれど、あえてまとめるなら、この女も妄想観に、旧約聖書のイザヤ書の一部をつけくわえた、気持ちの悪いセックス観だ」


「せ、せっくす?」


「始まりと終わり。AlphaとΩ。陰と陽。男と女。それが合一すれば心理が開けるとか、まあそういうものだよ。ガタガタな教義のウラにあるのは、往々にして虚栄心と性欲だ。そして、この教祖は、ほかのインチキ宗教でもあるように、うらわかきもの精を求める陰獣と化す。君の場合、お母さんが信徒であったこと、そして君を轢いた人物の死と、奇跡の生還。そういうのが、この怪物の琴線に触れたんだろう」


 糺川は見下げるように、狂った陰獣を見下ろす。


「そして、おそらく千眼寺冬彦も、うすうすそれに気づいた。そして彼女が事務室にいることに勘づき、この女を調伏すべく、一階に駈け降りた。――あの和尚は、ただしく怨霊を除霊しようと思ったんだよ。この八幡平をね。


 だが少しばかり軽率でもあった。彼はあの場にいる数人が、あるいは君の母親だけがこの怪物の信徒だと思い込んでいた。しかし、あの場にいたのは、洗脳されていた君をふくめ、すべてが信徒だった。


 おそらく事務室に向かい、そこで八幡平と出逢った。そこで口論になった。――ここは推測だが、おそらく戸口にたって、すべてを看破した気になっていた和尚のもとに、ずらずらと他の五人が、異様な雰囲気のまま、まっすぐ自分のもとに駆けつけるのをみて、たじろぐようにそのままうしろの休憩室にむかったのかも知れない。


 そして彼は、屠殺のごとく、その場ですぐに殺された。なぜなら彼等は和尚に声をあげさせるわけにはいかなかった。和尚は談話室で、Alphaという怪物に殺されなければ、君にAlphaを怨霊として信じこますことができず、ここで和尚の声を響かせてしまえば、周囲のプロジェクトマッピング業者に訊かれて、すべてはAlphaの仕業として処理できなくなる。――彼はすぐさま殺された。しかし、ついでのっぴきならない事情が生じた」


「のっぴきならない事情?」


「玄関戸を叩く音だよ。叩いていたのは、プロジェクタマッピング会社の女性社員で、貴賓館の灯りを落とすように頼みに来ていた。そして彼女はあろうことか、ぐるりと館をまわって休憩室の窓まで近づいてきた。彼等は脂汗をうかべただろう。休憩室の窓は一部ゆがみ、そこから吹き込む風によって、カーテンが半開きになっていた。けれど、それをなおしてしまえば、一階にひとがいた痕跡を明かすようなものだ。そしてまた、休憩室のあかりだけを消しても、怪しまれる。万事休すだ。だけど、アンタはひとつだけ窮余の策をひねり出した。そうでしょう?」


 怪異としてのベールが剥がれ落ちた女に、糺川は真相を突きつける。



「アンタは事務室に乗り込んで、変電板を開いた。ブレーカーのハンドルはそこにある。あの消灯騒ぎは、休憩室に転がっている、和尚を隠すための偽装工作だった。そして、お仲間といっしょに暗闇のなかでそれを引きずった。ちょうど和尚には、長い黒珠の数珠を身体からさげていた。――君が貴賓館にむかうときに、リードのようにくくりつけたれていたヤツさ。それにひかれ、黒染めの衣と僧侶頭巾をかぶった死体は、休憩室外からのぞいていた女子社員の目に、怪異として移り、また和尚の首についていた瘢痕のひとつ――まるい珠のような痕がついてしまった。


 あとは君の知るとおりだ。全員で和尚の死体を椅子にすわらせ、Alphaが鎖を扉にかけて、南京錠をかける。それが終われば、五人の信徒のうちの誰かがブレーカーをあげて、七転八倒の妖怪さわぎの完成と相成る。――これで分かったいただけたかな、橘巴くん」


 糺川碧はすくりと立ち上がり、神のように、雷のように、泰然として宣言する。


「こいつは幽霊騒ぎでもなければ、ミステリですらない。稚拙で醜悪な、ただの莫迦げた狂言芝居だったんだ」

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