第17話 除霊


 あのとき、睡眠薬など盛られていなかった。ただ突っ伏して、成り行きに任せた。なにが起こるかなど、オレの思考する範疇になかった。ただいつものように、成り行きに任せて、気絶したフリをしていただけだった。


 なにも聞こえず、なにも考えず。


 すべての応答に答えず。まるで死んだように――。


 千眼寺冬彦が驚き、慌てて、窮状を訴えるように、外に飛び出たのも知っている。



 すべては狂言なんだ。――オレのモラトリアムが生んだ、浅ましい狂言。



 オレがAlphaの存在を認めないから、教団の人間達は、有名な除霊師を招いて、オレにたびたび除霊が無効であることを見せつけた。どれだけ除霊師が念じても、解決したと言わせても、結局、Alphaはそこにいて、そして彼等は悲惨な目に遭う。


 Alphaにやられたのか。

 それとも教団の人々にやられたのか。


 オレがAlphaが見えることを頑なに認めないから、母や泣き、叔父はどなり、医師は匙を投げ、ほかの面々も、御眼畫の曼荼羅が描かれた僧衣頭巾をかぶる異常者達も、オレを恨んでやまない。


 そして今回も、オレはAlphaを拒んだ。



 オレはさながら山の神に捧げる贄だった。贄が贄たるを拒絶したのなら、村は神の天変地異を前に為す術もなく打ち流される。今回は千眼寺冬彦だった。


 かれは談話室でオレが机につっぷしたまま、まったく返事をせずに項垂れているのを観て、ただ事ではないことにきづき、睡眠薬によって昏睡させられたと思い込んだ。それから彼はしばらく呻くように呻吟したあと、脳裡のよぎる閃きを感得したかのように、すぐに談話室の扉にとびつくと、南京錠をあけて、鎖をはずしたあと、外に飛び出していった。


 ほかの五人も、扉の前で待機していたのではなく、向かいの貴賓室で、ただ成り行きをジッと眺めていたようだったが、あにはからんや、和尚はそれを横目に、猛烈な勢いで一階に走り去っていった。


 これにはほかの五人も仰天したようで、一瞬、貴賓室に、突然の雷が轟いたようなおどろきが走った後、座っていた椅子を弾くように皆立ち上がって、こけつまろびつ、一階にむかっていった。


 オレはなにが起こったのは一向に分からなかったけれど、そのあと、一階のほうでなにやらかすかな問答が聞こえ、それがすぐ止み、また扉を鼓のように叩く音がしたと見る間に、ばつり、と停電がおこった。


 その暗闇のなかで何が起こったのか分からない。しかし、一向に灯りがつかない暗闇のなかで、大勢が、なにやら潜めきあいながら、重々しいものを、ずるり、ずるりと引きずる音がした。それはまっすぐ談話室にむかっていくと、男衆の息をあわせるかけ声とともに、どすりと向かいの椅子に、おおきな俵をのせたような、重量のあるものが座らされたのが知れた。


 そして彼等は、まるでオレの指先に発した微細な震えを、闇の中で認めたように、じっと五人、その戸口付近にたって、オレを睨み、或いは憐れみ、そして嘲った。


 まるで、お前のせいで、彼は死んだのだ、と言わんばかりに。





 いわば、和尚は、オレのモラトリアムが生んだ犠牲者だ。オレがAlphaを受け入れないばっかりに、教団によって、見せしめにされた。


 そして今度は、あの探偵を――。



 オレは膝に背けた目をあげて、おそるおそる前をみやった。


 そこには、蟲が食った朽木の櫻のような女が昂然と立っている。三メートルと離れているのに、饐えた臭いが鼻につき、乱れた蓬髪は掃きつぶした箒の先のようだ。うすっぺらい倫理と自尊心とが、その双眸に汚らしい光をやどして、ひんまがった青白い唇はつねに誰かを糾弾しようと身構えているかのようだ。



 げにおぞましき異類婚姻譚ではないか。



 オレはこれとつがわなければならない。


 ふっと、探偵の顔が過ぎった。胡乱で迂遠、小柄なくせに大食漢で、みずからを天才だと自称する彼女の顔だ。もしも、ここであの日のように、あの貴賓館のときのように、彼女の存在を否定したのなら、糺川の雪白のような肌が赤くそまり、うっ血して膨らみ――――ああ、考えただけで悍ましい。


 彼女にだけはそうなって欲しくない。


 オレのように、すべてを諦め、すべてを放擲し、鬱屈の泥濘にひたって、摩滅していく自分を眺めるような運命にあって、彼女という人間は、その対極にあって、一切の苦痛を孕まない人生だろう。恥を隠さす言うならば、オレにも他人には公平に不幸になってほしいと願う心持ちがないでもない。恵まれた環境で生まれた人間が、それでいて自分の幸福が自分の努力によって生じたものだと言って憚らないその傲慢さに、水をかけてやりたい気持ちがないでもない。


 世界は不公平で、運命は容赦をしらない。


 

 悔やんでも、悔やみきれない。

 泣いても、泣きくれない。 




 だが、そんなものを、世界の澱を――。



 彼女になすりつけるような人間に、オレはなりたくない。


 うらぶれたオレに生まれて来た役割があるというのなら、それはいかれた教団に身を献げることで、その意味を得たい。


 昂然と、顔をあげた。


 そこにはAlphaがいる。オレが諦観の泥を呑み下す決意をしたことを、その目は笑って喜ぶ。おぞましい結末だが、せめて、この地獄を世に知らしめることなく、とこしえに泥濘の底に沈めておこう。そのために、オレは認めなければならない。



「・・・・・・Alpha、お前は――」



 言う。認めよう。


 禁足地に踏み入るように、禁忌を破る。



「お前は存在する」






「うん。つまりそういうことなんだよ」



 声は彼方より降ってきた。


 痰のからまった、喘鳴のようなAlphaの声ではない。雨の太くなった凄まじい夜において、それでもなお、遠雷のように驟雨を割って、銀鈴を振るうような声が、畏るべきところから生じたのだ。


 これには灰と汚濁の化身も、ドブネズミのように震えて、うしろを振り返った。


 拝殿にすわるオレの眼前、供物を背にしたAlphaの背面。紙垂のつけたふたつの榊を門として、金の戸隅とずみに彩られた階段の先にある小さな本殿の戸がぱっとひらき、そこからしずしずと祭神のごとく降りてくるその巫女服の少女は、手蝋を手にして、暗闇においても、けぶるような燐光を放ちながら、すべての種明かしを述べる。



「当然いるんだよ、そいつは」

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