第14話 糺川探偵の降霊 1/3


「では、降霊会を始めよう」


 雨闇の社殿に、その声はひびいた。狭い拝殿には供物が満漢全席のごとくひしめき合い、その隙間を埋めるように、オレが着座している。


 それにしても、この突発的な降霊会の舞台建ては奇妙きわまりない。まず彼女は、放課後時間を持て余しているオレに取材を終えた後、なかば引きずる形で、この愛宕山の社殿まで登らせたが、本殿にむけて丁寧に二礼二拍手一礼を済ませると社務所に二言三言言付けたと見る間に、そのまま逆側の階段で駐車場まで降りて、オレを黒のベンツの前まで誘った。


「ドライブデートしようぜえ」


 そういって、彼女は後部座席にのり、オレを手招いた。妖しさはその時点で臨界点ギリギリだったが、運転席でハンドルをにぎっている頭のつるっぱげたスーツ姿の男が見えた途端、是が非でも逃げたくなった。ましてヤのつく自由業のごとき運転手はこちらに振り返って、明度の高いサングラスを指先でおろすと、日本人には似つかわしいその榛色の瞳で、じいっと見つめて、


「よお」


 と、ドスの効いた声でいう。いたいけな高校生に笑いかけるのには、あまりにも鬼面人を威すような面構えである。


「あ? そういえば知らないんだっけ」


 すると糺川は今し方面識がないことに気づいたように、手をたたいて、紹介する。


「あ、こちら千眼寺せんがんじ天春てんしゅんさん。千眼寺流の同門の方」


「よお、兄弟子の仇」


 オレは息がひっつまるのをおぼえながら、愛想笑いを浮かべるしかなった。このときオレが鼠のように縮こまりながら、それでも車に乗車したのは、彼の御陰だったのだろう。――逃げたら、轢き殺されると直観したのだ。


 ベンツはそのまま海側のほうに走り出した。そのとき、ふと自分が降りてきた拝殿のある高台をのぞいて、そこに数人の人影が、じっと影法師のようにこちらを見下ろしているのを認めた。顔さえ判然としない距離ながら、案山子のように佇んだその陰翳は、口にするには、あまりにも毒毒しく、言葉にすれば汚穢として、じっと背中にまとわりつくようなイメージが、たえずオレの頭に低徊していた。


「それで、どこに行くんだよ」


 となりでスマホをぽちぽちしている糺川に尋ねると、彼女はあどけなく、手をあごにやって、「うどん?」という。


「うどん?」


「まずは生の松原まで行って牧のうどんでも食べる? そのあとは、まあ糸島の海鮮食べて、二見浦で夜景を愉しんで、珈琲でも飲んでぇ、そしてまだ開いてたら、うどん食おうぜえ?」


 胡乱な女が胡乱なことを言い出す。これは驚きもしないことだ。数時間のあいだながら、彼女は探偵と名乗るだけあって、自分の内心をみせない韜晦の仕方を心得ていた。――そう思っていた時期が、オレにもあった。


「天春ちゃん、薬缶とって」


「おう」


「巴ちゃん、となりのテーブルから葱とってきて」


「・・・・・・・・・・・・」


 しかし、どういうことだろうか。彼女は胡乱なことを口にするが、それを胡乱げなまま実行する行動力を持ち合わせていた。松林を横目に、ひろい大座敷の一角で、出汁を吸い込んで、常に膨張するうどんを啜っていた。


 牧のうどんの麺はふとく毛羽立って、ときに人より出汁を啜るので、テーブルにひとつ出汁の入った薬缶が置かれている。それを三人仲良く使い回しながら、もくもくとうどんを啜っている。


 時刻はもう日付を超えようとしていた。つまり、オレたちは夕飯にうどんを食べて、屋台小屋で海鮮をたべて、さらに二見浦の夜景で写真をとったあと、サンセットビーチにたつ白塗りの喫茶店で珈琲をちびちび啜り、そしてまた、同じ牧のうどんで本日二杯目のうどんを食べているのである。


「やっぱり牧のうどんは肉うどんに限るよね、天春ちゃん、巴ちゃん。この肉すきの甘いのなんのって。たぶん、どんぶり用の甘口醤油出汁で煮込んでるんだよ。だから出汁で薄めても尚甘い。これはもう一種のスイーツですよ」


 彼女はそういって「肉うどん+わかめ+山芋」を啜る。大して隣に居る天春氏も同じく「肉うどん大盛り+キムチ+ごぼう天」に備え付けの一味を親の敵のように振って、むせかえりながら食べている。


 しかしながら改めて考えるまでもなく、傍からみれば、この場でうどんをすする三人組は異様であったろう。恐ろしい自営業のスキンヘッドの傍らに二人の制服姿の男女というのも、まあ珍妙だが、内実はさらに奇体で、ひとりは除霊師、ひとりは探偵を名乗る正体不明の少女、そしてもうひとりは人を呪殺したと風評される少年であるのだ。


「なあ、糺川」


 オレはこのとき既に、彼女に対して、さしたる距離感を覚えていなかった。彼女が明け透けであることを差し引いても、殺人事件の容疑者となったオレを引き連れ、除霊師にベンツを運転させ、ガキ大将のように夜中に遊びまわるこの不良少女には警戒すべきところなのに、彼女がふとしたときに垣間見せる、気品のようなものに打たれると、オレは為す術なく、彼女に従わざるをえなかった。諦観といってもいい。だから満腹になって膨れた腹をはしたなく叩いている彼女に、オレは単刀直入に訊いた。


「お前がいまから何をしようとしているのか、オレには皆目見当も付かない。だけどまあ、少しだけ、お前に賭けてみようという気にもなってる」


「ありゃま。それは良いことで」


「だが、最後の一歩ってやつが出ない。つまりは駄目押しがほしい。お前の奇行に付き合う最後の期待が」


「ほう。それがあれば、君はさっきから莫迦みたいになっている携帯をとらずに済むってことかい?」


 彼女はちらりと見やる。投げ出されたようにテーブルにおいたオレの携帯が、たびたび待機モードから起き上がる。すでに通知機能は切っているが、切り忘れたポップアップが画面を蹂躙して止まない。大半は母親からのものだったが、なかには叔父のものもある。


「その駄目押しっていうのは」彼女は爪楊枝をとって皓い歯にあてる。きちんと並んだ美しい歯並びには、どこにも楊枝の先を差し挟む箇所もなく、依然として綺麗な光沢を放っている。「ボクがすべての連絡を、夕方からするな、と言った理由かい?」


「それは・・・・・・」オレは首をよこに振った。「ちがう。オレが知りたいのは、たったひとつだ」


 そういいながら、視線は自然と天春にむいた。そりあとから青くのびている薄眉がぴくりと動く。


「お前が知りたいってのは」天春はコップに入った水を一気に飲み干すと、薄眉をよせて探偵のほうにむいた。「兄弟子は誰に殺されたか、・・・・・・いや違うな。お前はそういうタイプじゃあない。お嬢のように、自分以外について、突き廻るような間抜けじゃない」


「なんだと!」


「そうじゃなくて、お前が知りてえのは、ただひとつ。・・・・・・自分が兄弟子を殺したのか? ただそれだけだろう」


 オレは頷いた。


 あの談話室には、オレ以外、誰も居なかった。――すくなくとも、オレ以外にはそう視えている。Alphaの怨霊などおらず、ただ密室に自分と和尚の二人っきり。たとえ、鎖で縛られていたとはいえ、犯行を出来たのは、オレ以外に誰がいるというのだろうか。


 はたして自分の手は、あの和尚の首をしめた感触を知っているのか。


 もしかしたら、Alphaが言うように、オレには何か、特別な力があって――。



「もしかしたら、Alphaがいうように、オレには何か、特別な力があって――なんて思ってるとしたら、それは大間違いだよ、巴君」


 ギョッとして顔をあげると、さらに息を呑んだ。伏し目がちなオレの前には、テーブルをこえて、こちらの眼球をのぞきこんでいる探偵がいた。切り揃えた前髪に、左右に垂れさがった濡れ羽色の黒髪。眉目がととのって、なにか男女とは違う、超然とした者のような神々しささえ感じる。――そんな彼女がいう。


「それにしても、ははん。やっぱりそういうことだったか。御眼畫教も手の込んだことをしやがるなあ。・・・・・・あ、やば、うどんに髪先がつかった」


 傷痕を舐める猫のように、探偵は髪の毛先をつくろうと、ぶふーと息をもらして、のけぞった。後ろ手に手をついて、上体をそらしながら、彼女はいう。


「いいかい、巴君。この世に不思議なことなんて何もないんだよ。あったとしても、それは解明されていない謎ってだけ。或いは解釈するにとどまった謎ってだけ。だから当然、不思議なことには解釈だけにとどまらない、厳然とした真実があるんだよ」


「あの事件にも?」


「あの事件にも」


「だが、そうなら、誰がどうやって和尚を」


「簡単なことさ。。だから殺し方はいくらでもあった。つまりこういうことさ」


 「は?」「は?」


 オレと天春はお互いにコーラスするように声をかさねた。


「どういうことだよ、和尚は、あの部屋にいて・・・・・・」


「居なかったんだよ、和尚は」探偵はふたたび、満ち足りたハラを撫でながら、平然という。「なんたって、彼は自ら

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