第10話 暗転の十分間について
本音声は、事件後、橘千代美が雑誌のインタビューを受けた際のものである。
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――それで、かれは被害者と一緒に談話室に入ったと。
橘「厳密には違います」
――というと?
橘「まず和尚様は私たちを談話室にいれて、部屋を検めさせました。どこかに人がいないか、機械的な仕掛けがないか、皆の目で確かめさせたのです。それから和尚様は、除霊の際に暴れかねないということで、鉄の支柱に渡すような、物騒な鎖をもちだして、それで息子の両手を肘掛けに固定すると、あまった鎖をそのまま脚まで伸ばして、椅子の脚に結びつけてしまいました」
――それも検めさせた?
橘「はい。息子だけじゃなく、私たちにも。考えてみてください。実の息子の腕に鋼鉄の縄をかける。考えるだけもゾッとするでしょう。私だってそうおもって、せめて軽い縄にしてはくれないか、と頼んだのですが、和尚曰わく、それでは破られる怖れがあると」
――破る? 息子さんが?
橘「どうなんでしょう。でも和尚はそういって、さらに南と東側にあるフランス窓の施錠をきちんとかけたあと、私たちを外に出して、扉を閉めました。それだけじゃありません。それからすぐに扉に、息子にかけたのと同じような鎖を駆け出したのだので、ギョッとしました。南京錠もかけるほどの念を入れようで。私たちは正直、目の前で除霊するのを見ると思っていましたので、まるで梯子を外されたようで茫然としましたよ」
――不安でしたよね。
橘「もちろんです。それに私たちは一階の食堂で待つことになっていたので、兄と話して、談話室から廊下を挟んで向かいにある貴賓室で待とうということにしたんです。貴賓室なら、廊下側の扉を開いたままにすると、談話室の扉が見えますから」
――それから少し時間が経って、千眼寺冬彦さんの声が聞こえたと。
橘「そうなんです。談話室に籠もって十分ぐらいあとのことでしょうか。それまではかすかに和尚様の読経の声が聞こえてたり、息子となにやら話す声がしたのですが、ふいに『どういうことだ!』と。それから私たちは慌てて、談話室にむかうと、和尚様はひどく焦った声を出しながら、それでも余裕をつくるようにして、我々に、ふたたび部屋に戻るように言いつけました」
――そのときの千眼寺さんのことを詳しく教えてください。
橘「くわしくと言われましても・・・・・・。なにか恐ろしいものを見たといった風でした、としか。まさにその、除霊の最中に、怨霊が飛び出してきたような、そんな真に迫った感じで。『少し手こずっている』と申しながら私たちを遠ざけたのも、あるいは本当に恐ろしいモノと対峙していたのかと、いまでは思います」
――千眼寺さんといえば、テレビやSNS、自分のYouTubeなどでも、除霊活動をされている、いわば除霊インフルエンサーのような方です。彼にはどう連絡を?
橘「兄を通じて、ご連絡をさせて頂きました。息子の現状をお伝えして、誠心誠意たのみましたら、快く引き受けて下さって。・・・・・・でも、まさか、あんなことになるなんて」
――話を進めましょう。そのあと十分ほど経った後、貴賓館の電気が一斉に落ちたときいています。そのときのことをお話しできますか。
橘「えーと。そうですね。本当に急に、バツンと消えて、それで――」
――すいません。お話しの途中に。そのとき、貴賓室には全員いらしたのですか?
橘「どういう意味です?」
――いえ、そのですね。おそらく世の読者はこう思っているはずなんです。密室で亡くなられた千眼寺冬彦さんが殺されたのであれば、つまり、そのブレーカーが落ちたとき、その間に、犯人がどうにかして、部屋を行き来したんじゃないかと思うです。
橘「なら、そのブレーカーをおとした人が犯人である可能性が高いでしょうね」
――そうなりますね。
橘「でも残念ながら、ブレーカーが落ちたとき、貴賓室には残りの五人、全員がその場にいらっしゃいました」
――では、そのあとは?
橘「あとと言いますと?」
――ブレーカーが落ちてから、復旧にいたるまで、およそ十分ほどあったと聴いています。つまり、そのあいだに不審な行動をされた方が、怪しいのではないか、と。
橘「たしかに、部外者の方は、そのような浅知恵を巡らすかもしれませんね。ですが、正直言って、ありえません。それというのも、ブレーカーが落ちたあと、一瞬、パニックになりましたけれど、みなさん、常識のある大人ですから、すぐに落ち着かれて。外をみれば、カーテン越しに眩いサーチライトがちかちかと点いていますし、窓をわずかにひらいて中洲をみれば、いまだ皎々とネオンが黒い河に絵具のような雑多な澱んだ光を流している。『停電じゃない。ブレーカーが落ちたんだ』。だれともなくそういって、兄と小説家の綿辺さんが席を立って、すぐに復旧のために一階に下りて貴賓館のブレーカーを探しに行かれました。そして残ったわたしと朝霧さん、麹町先生は席を立つことなく、どこか古い旧館の暗闇を愉しむような気持ちで他愛のない会話に華を咲かせ、携帯のライト機能で、扉を照らしながら、つつがなく扉を監視もしていました」
――つまりブレーカーが落ちた十分間、談話室に、誰かが出入りすることは出来なかったと?
橘「まさに、そのとおりです」
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【近くに放置された走り書き】
自分に知性があると思い込んでいる愚者ほど恥ずかしいものはない。
また、これはインタビュアーの落ち度でもある。
なぜ、賢しらに誇っているその心臓を、質問という理智ある杭で、ひと思いに突き殺してやらなかったのか。
「――あなたは停電のあと、席を立つべきじゃなかったのか?」と。
なぜ、こう尋ねない? あるいは又、
「――なぜ停電したあと談話室に声をかけなかったのか?」と。
あれほど心配していた息子と、直前に様子がおかしかった除霊師が鎖で閉ざされた部屋にいるというのに、なにひとつ声も掛けなかったのか。また、談話室から様子を尋ねる声すらなかったというのか。――その全く欠くべきでないところを述べず、彼女は自分が不測の事態にいかに堂々と立ち振る舞ったかという一点だけに汲々している。
ああ、馬鹿馬鹿しいじゃないか。
彼女は意図せず、このインタビューで公言したようなものなのだ。
停電した時点で千眼寺冬彦は死んでいたと。
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