第9話 呪詛

「よよ子ちゃん」


 ぼくは彼女に話しかけた。いや、かけてしまったというべきだろう。照門寺小学校が起きた事件はぼくが為し得た推測で一応の説明がなされたのだ。これ以上ほりかえす必要など何処にもない。


「・・・・・・はい」


 よよ子はふかい息をつくように返事をかえした。こうなることを予期していた。まるでそう示すかのように。


「君はすでにこの顛末ぐらい分かっていたんじゃないか。架空新聞を発刊していた君なら、三人の先生たちが父兄から報復にあっているというのは、さして突飛な発想じゃない。――怪奇という側面を無視すれば、当然の帰着のようにおもう」


「な、なんだ急に」

 

 ひとり蚊帳の外になった鍋島が、ぼくらの顔をみやった。まるで告解室の戸板を挟んで相対しているような雰囲気に、ただならないものを覚えたのだろう。遮るように話し出した。


「まてよ、雫石。たしかによよ子がしたことは、三人の教師を不幸な目に遭わせたかもしれない。だけれど、その死を彼女のせいにするのは、あまりにも酷だろう!」


「そうじゃないよ、鍋島」ぼくは彼女から目を離さないようにしながら、ゆるやかに首をふる。「事件のことを言っているんじゃない。そもそもぼくは他人の罪の懺悔をきく神父じゃないし、そういう人間として通っているわけじゃない。それにぼくを紹介したのは鍋島、おまえだろう? おまえはぼくを罪の呵責をいやしてくれる人間として紹介したのか?」


「まさか。おまえを紹介したのは、怪異とか妖怪とかに詳しいって・・・・・・」


 そういった鍋島は急に人が消えた光景を目の当たりにしたように、しきりに瞬きをして、自分の従姉妹をみやった。


「そういえば、よよ子。なんで、おまえ、こいつと会いたいんだ? たしかにこいつのいうとおり、おまえが新聞の制作者なら、呪いなんてなかったってこと、わかりきってるだろう。なのになんでおまえ、こいつと」


「ひとつ、訊いていいか、鍋島。おまえはぼくを、彼女にどんな風に紹介したんだ?」


「それは・・・・・・」かれは口内で舌をばたつかせるようにもごつかせたあと、観念したように明かした。「呪いについて、詳しいかもって」


「なるほど、おまえ、


「ちょっとだけだ。ちょっとだけ。ただ、その呪いに詳しいかもって。そしたら是非に会わせてくれっていうから」鍋島は重苦しい空気をはらうように、よよ子に話を差し向ける。「だけど、よよ子。おまえ、なんだって呪いなんて――」


「呪詛返しだろう?」


 ぼくがそういうと、よよ子は俯きがちな顔をあげた。こちらにそそぐ視線は怯えて濡れている。


「みたの。吉原育代が死ぬところ。あのとき、わたし、トイレにいってたの。でも同じ階の女子トイレをつかっていたら、何言われるか分からないから、一階下の三階のトイレをつかって、それから階段をあがろうとしたら・・・・・・」


「彼女が転倒した?」


「なにかすごい音がしたのが分かった。だから恐る恐る近づいていったら、階段の踊り場で、あのひとが倒れていた。まわりには、誰も居なかった。だれかが四階から、走り去る音もなかった。その直前まで、悲鳴はおろか、話し声さえなくて、まるで世界が寝静まっているような静寂のなかで、あのひとが転落したの」


 事故だったのだ、という。


 ほんとうに奇妙な、事故だったと。


「わたしは怖くなって、すぐに救急車を呼ぼうとした。でも、そのとき、不意に数時間前の情景が浮かんだの」


「情景?」


「その日の中休みのこと。わたしが貼り付けた学級新聞を、吉原育代が眺めてた。あのひと、男性と同じぐらい背が高くて、172センチあるって言ってた。そして、自分の目線にある文字を、とくに意識することなく読み上げてた。・・・・・・あの祭文を。そのとき思ったの。もしかしたら、あの呪詛が効いたんじゃないかって。そう思ったら、まるでわたしが殺したように思えて・・・・・・」


「通報できなかった?」


 よよ子は口惜しそうに肯定した。


「でもそのときはショックのほうが大きかったとおもう。大の大人が倒れて、意識も混濁している現状があまりにも非現実的だから、その場から立ち去ったの。それに、あの祭文もフランスの詩のように、とくに意図をもたずに、継ぎ接ぎのように付け加えただけだから、あまり大事に考えなかった。今日の、朝までは」


 目撃したのだ、という。


 木原教諭が交通事故にあっている現場を。


「かれの事故も誰も介在していない、ただの自損事故だった。べつになんの変哲もない一直線の道を、まるで風を切るようにわたしの横を横切って、そのままアクセルを踏みっぱなしで、住宅の壁面に突っ込んだの。まるでわたしに、その死を見届けさせるために」


「だけど!」鍋島は、言葉を発する度に魂を切り離して、どんどん衰弱するような従姉妹をおもんばかって声をあらげた。「それは偶然だろう。お前のせいだと決めつけることなんて――」


「でも!!」


 よよ子はヒステリックに叫ぶ。


「大牟田が途中で早退するとき、あのひと、わたしの顔をみて、怯えるような顔して去っていたの。いつもなら、莫迦にしたような顔をして、わたしを見下すのに」


「だけど、それだって偶然で」


「身長が、近いの」


「身長?」鍋島が首を捻る。


「みんな170センチから180センチ。事故にあった、先生たち。吉原も木原も大牟田も。それぐらい。だから、その位置は、その目線は、呪詛返しが書いてあった箇所のあたりだから。だから、もしかしたら、それが効いたのかもって」


 彼女の恐怖は真に迫っていた。傍から見れば突拍子もない憶測だが、なにもこの認識は彼女だけじゃない。おそらく今日、全校集会が行われている途中、渡り廊下に偽の学級新聞を垂らした人物も、おなじ恐怖の憶測を立てたのではないだろうか。


 その不躾な第三者は、おそらく父兄のうちの誰かではなかったか。よよ子の新聞の真意を読み取り、どうにか報復を加えてやろうと思った矢先、吉原が転落死した。


 その人物は吉原の件を、素直に事故と解釈した。歪んだのは事故をおこした原因が不運ではなく、なにか別の因果があるのだと盲信し、その根拠に新聞内でかかれていた『不動王生霊返し』に辿りついたのではないか。


 おそらく民俗学的な素養があったのだろう。加えて、呪術に期待する、やわらかく膿んだ精神性も持ち合わせて居た。そして朝の木原の事件を耳にして確信をつよめたその人物は呪詛の効果をたかめるため、書かれていない祭文の全文を書き写し、衆目を集める場所に貼り付けた。くしくも弔報をのべる全校集会のときだ。ひとり父兄がはいりこんだとて、目につくことは稀だった。


だが、その父兄の盲信は、またよよ子にも伝播したのではないだろうか。


 呪詛返しが効いた。


 呪詛返しは本当にあった。


 そう信じた彼女に待っていたのは、もうひとつの恐怖。


「それで、呪詛返しが、わたしの呪詛返しが効いたのなら、つまり、わたしは」


 少女は急に吹雪にふかれたように震えだし、あおざめ、ちいさい舌をこわばらせながら呻いた。


「あのおとな達に、呪詛をかけられていた、ってことでしょう?」


 そう。彼女の危惧はその一念だった。


 彼女は英雄的な志をもった子どもだった。おとなから虐げられている発達障害のあるクラスメイトのために一矢報いようと、あの架空新聞をつくった。それはまたたくまに生徒間にひろまり、またSNSで拡散されて、あるいは子どもらしく有頂天になっていたのかもしれない。


 だが、ひとり、ふたりと、まるで自分に見せつけるように、主犯の教師が事故にあって死んでいき、それが自分の呪詛返しによるものだとおもった瞬間、彼女はきづいたのだ。


 ――ほんとうに恨まれていたのは、自分だったのでは。


 と。


 彼女だって、発達障害のあるクラスメイトのことを、どこか軽蔑し、見下していなかったといえば嘘になるだろう。おとなでも建前と本音を分けるように、彼女だって彼等をうとましくおもい、ときに教師に迷惑をかけて、うとまれ恨まれているのは当然だと思っていた。


 その一方で、彼女の英雄的な素質が、これを見逃すべきではないとして告発という形をとったにすぎない。


 しかしながら、その英雄的な行動の果てに得たのは、もしかすると教師にとって、もっとも脅威であり、うとましく、ねたましく、恨みに思って心から呪詛するほど憎まれていたのは、ほかならぬ自分だったのではないか、という疑念なのだ。


 彼女にとって、教師が死んだことなど二の次なのだ。事故だろうか、事件であろうが、そんなものなどどうでもいい。


 彼女はなにがなんでも知りたいのは、自分が大人から呪詛するほど恨まれていたのか、という事実。どれだけ知能が高いだろうが、彼女は子どもだ。大人から明確な憎悪を向けられていると認めることは、あまりにも恐ろしく、立っても居られない。


 なぜなら、それが事実なら、彼女は猜疑心に食い殺されてしまう。自分を恨んでいる人間がはたして死んだ三人だけだなんて、そんな楽天的な発想は、ギフテッドの少女には出来るはずもない。――だからこそ、そんな懸念を一蹴して、そんなものありえない、呪詛返しなど起きるはずもないといって、こころから安堵できる専門家の提言が欲しかった。


 彼女の心は、ただ、自分のことを、憎まれていたかもしれない自分のことだけを、一途にじっと思っていたのだ。だが、歳も十一ばかりの彼女自身が、自分のみの悟性を頼りにして、完爾と恐怖をまえにして、泰然として心に胡座を掻くには、あまりにも幼すぎた。だから専門家をさがして、ぼくに、ひいては糺川女史にアポをとろうとしたのだ。


「あなたは呪いの専門家なんですよね」


 よよ子は尋ねる。心は濁流に呑み込まれんとする身を助けるため、藁さえ掴もうとする必死な救命の声だった。目元にくらくふちどった黒翳は、彼女がはじめて寝つけない長の夜をすごした証拠だろう。


「呪詛返しなんて、嘘ですよね。呪詛なんて、呪いなんて、この世にはありませんよね!!」


 悲痛な叫びが食堂に木霊する。さきほどからあまりの異様な熱気をかんじて、ひそめきあいながら、こちらをうかがっていたサークル同士の学生も、いまは固唾を呑んで、この顛末の行く末を見守っている。


 彼女には自己弁護が必要だった。あまりにも当たり障りのない嘘が。


 彼女はそれをぼくに求めた。だから言うべき事は決まっている。




   「あるよ」




「え?」


「呪詛はある。ひとはひとを呪い殺せる」


 溜め息のような声が、よよ子の口から洩れた。それは彼女にとって大切な何かが空気中に漏出しているかのようだった。


「ほかの誰かが否定しても、ぼくは頑なに言い続けよう。呪詛はある。なんたってぼくは、一度、恋人を呪い殺したからね」


 微笑みをたえさない。ぼくはこれだけは決して曲げれないのだ。たとえ家族が崖の突端にぶら下がって助けを求めていたとしても、自分が呪詛によって恋人を殺したということを認められないのなら、平然とその手を踏みくだせるつもりだ。


 もしも呪いによって人が裁かれるのであれば、ぼくは弁護士などつけず、極刑に処されるつもりでいる。


「だから、呪詛はあるよ。絶対に」


 よよ子は魂切れたように、ぼすりと椅子にすわった。


 強い子だ。泣くわけでもない。嘆くわけでもない。ただありのままの不可思議な怖気を受け入れようとしていた。むかしのときの僕のように。


【じゃあ、約束ね】


 そういって指切りをかわした彼女のことを思い出す。


 はじめて一目惚れして、はじめて告白して、はにかんだ笑顔で、ぼくのさしだしたを受け入れてくれた彼女。資産家であることを誇らず、健気であることを厭わず、つねに弛まず前を向いていた誇らしき、ぼくの恋人。


 糺川ただすがわあおい


 ぼくは彼女を呪い殺したことを、けっして忘れない。

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