第8話 雫石青年の推察2/2

「え、よよ子が!?」


 鍋島は跳び上がるように驚いて、となりにいる幼い従姉妹をみやった。


「でも、なんでよよ子が?」


「それは彼女に語るほかないが」ぼくは彼女に目を向けたが、本人はテーブルの汚れをじっと見下ろして、まるで親に叱られた子どものようだった。「これが児童による犯行であることはすぐにわかったよ」


「え、でもどうやって?」


「いいかい? ふつうあんな怪文書がたびたび貼り付けられたら、学校側はかならず犯人の特定をいそぐ。まずは部外者の可能性だが、小学校というのは、いわば閉鎖的な場所で、なおかつ、遮蔽物もなく、目がとおしやすい。だから部外者がたびたび学校に出入りしていれば、すぐに目につく。それでも見つからないとなれば、内部の関係者の疑いがでる」


「それなら、児童より教師のほうが可能性は高いんじゃないか?」


「そうだな。だが『架空新聞』を見て欲しい。そのどれもが1枚たりとも折られてないんだ」


「え?」


 そういって鍋島はまじまじと見て、たしかに月曜日から木曜日までに貼り出されたポスターが一箇所たりとも折り畳まれた痕跡がないことを確認した。


「犯人はこのポスターを折らずに、丸めて持ち込んでいる。ここで考えて欲しいんだが、もしも教師がもちこんだのなら、なんで、そんな30センチの長さになる紙の筒のようなものを折り畳まずに、丸めてもちはこぶ必要がある? 計画を着実に実行するなら、折り畳んで、なにかのファイルや鞄の隅に隠していた方が、丸めるより断然安全な筈だ」


「でもそれは、生徒だってそうだろう? それにたしか、持ち物検査があったんだよな? よよ子」


 まだ自分の従姉妹がこの架空新聞の発行者であるという確信を持てずにいる彼は、ちぢこまっている少女にかたりかける。彼女は糸仕掛けの人形のように、こくりとうなずいた。


「むしろ生徒のほうが、教師よりも有り得ないだろう。それに何度も繰り返されたのなら、しらべも徹底されていたはずだ。机のなか、ランドセル、ポケットからロッカーまで洗いざらい。それとも学校のどこかに隠していたとでもいうのか?」


「まさか。彼女は誰かに発見されるような、そんな危ないリスクはとらなかった。君の博識なる従姉妹もそこは折り込み済みだったんだよ。彼女はちゃんと目につくところに、つまり教室の中に、しっかりと持っていた。ちなみに。そうだろう、よよ子ちゃん?」


「・・・・・・・・・・・・」


 よよ子は沈黙をえらんだ。だが、きつく引き締めた唇は、いまにも開いて、すべてを吐きだしそうな震えをおびていた。


「開けるよ」


 ぼくは一言彼女にいって、彼女がテーブルの脇においていたワインレッドの水筒を手に取った。一リットルは入りそうな水筒の蓋をあけると、そこには内容物と蓋をわける中蓋はなく、かわりにきつく丸め込まれたコート用紙が顔をだした。


 ぼくはそれを取り出しながら、鍋島に事の次第をかたる。


「彼女が架空新聞をこのような奇妙な形にしたもうひとつの理由は、水筒に隠してもちこむことだったんだよ。おおかたの先入観にとらわれた人たちは、この水筒には飲料水が入っていると思い込む。紙は水分とは大敵だ。すぐには気づかない。――だけれど、すこし頭を働かせてみれば、少々おかしい。ようやく涼しくなってきた秋の日に、体育祭でもちこむような一リットルの水筒を、小学校五年生の女の子がもちあるくのは少々奇妙だ。それにさっき彼女が口走ったひとこともひっかかった?」


「ひとこと?」


 そういって、愁眉をよせていた顔をあげたのは、本人であるよよ子だった。


「ぼくらは吉原育代の死亡事故をきいたあと、これが犯罪予告だとひそめきあったとき、きみはそれを否定して、少なくともひとりの犠牲者は、学級新聞が貼り出されるまえに事故にあったことを証明した。そのときの発言を思い出して欲しい。きみは金曜日、つまり今日の学級新聞を『だれも見ていないのに』といった。しかし、本当なら、ひとり見ているだろう?」


「・・・・・・わたしのことね」


「そう。少なくともひとり、君が目撃者になっている。だが君は『だれも見ていない』と言ってのけた。だからぼくはこう思ったんだ。もしかして本当にはだれも見ていないんじゃないかと。――そしてこれがホンモノの『5年4組の学級新聞』だったんだろう?」


 ぼくは水筒から取り出した紙面をひろげた。おなじようにかかれたいざなぎ流の祭文とみくらべると、つかっている紙面の光沢や文字のインク、そして大きさまでもがまったく不適当であることがわかる。


 書かれている内容の形式は、ほかの曜日と同等で、最初に献立が書き込まれ、祭文の一部がかかれたあと、フランスの詩を挟みつつ、【本当のニュース】が書かれていた。

 

 だからおねがいします

 これをつたえてください

 5ねん4くみ および 

 たからじま よよこ

 

 献立から時系列を推測する必要もなく、そこに犯人の名前はかかれていた。

 五日目の張り出しを最後に、彼女は自白するつもりだった。


 よよ子は嘆息すると、口をひらいた。


「WISC《ウィクス》のこと覚えている?」


「知能指数をはかるテストだったか」


「あれってIQテストの側面もあるけれど、本来は一般的な学習児童とは逸脱した通常学習の困難児童を判定するテストなの。つまりは発達障害のある児童、およびギフテッドの判別。――ギフテッドってまるで素晴らしいことのように言われるけれど、実際は通常の授業を著しく追い越してしまうから、特別な措置がとられる。――この措置というのは、つまりギフテッド用の特別支援。いってみれば、わたしも病状がちがうだけの特別支援学級の生徒なの」


 範をおしたような教育からはみ出した学生。その逸脱の仕方が、どのようであっても、過剰な栄養と欠乏した栄養とが、ともに病として現れるように、知能指数がきわめて低かろうが、きわめて高かろうが、平凡という枠組からそれた児童はの対象となる。


「わたしもときおり5年4組に行くことがあった。彼等と授業を共にするわけじゃなくて、わたしだけのカリキュラムという名の中学校や高校の教科書を、そこで淡々とひとりでこなすだけ。――勘違いしてほしくないのは、別段4組のみんなといることは苦じゃなかったの。むしろ嫌だったのは元のクラス。ほかの友人達はどうやら劣等感が刺激されるらしくて、無用なやっかみや揶揄をたびたび受けたわ。それよりは4組で勉強するほうが、なにかと気が楽だった。・・・・・・あの日までは」


 彼女はいう。とある日、支援学級にいる三年生の自閉症の学生が、自分になにか訴えようとしているのに気づいたという。それはその三年児だけではなく、ほかのクラスメイト達もはっきりとした主張はしないまでも、ほのかに匂いたつような違和感をつねに彼女に発信していたという。


「先生たちのイジメに気づいたのは、わたしがきまぐれに4組で給食を食べようとおもった日だった。――いえ、そうね。本当は元のクラスの女子に、無用なやっかみとこれみよがしの陰口をたたかれたから。だから給食の胡桃パンと牛乳だけもって、4組をのぞきにいったの。あそこもわたしのクラスだから」


 でも、彼女は4組に入ることは無かった。とびらの窓から見えて居たのは、あまりにも惨い仕打ちの乱れ打ちだった。


「あの子たちが奇声を発することは度々あったから、悲鳴をあげたところで、無視されていたんでしょうね。それで腸が煮えくり返るような気持ちになって、怒鳴り込もうかとも思った。――でも、わたしの、あいつらから揶揄されている、この脳味噌はそんなことをしたところで、なにも報われないのだと囁いた。もっと効果的なことをしよう。彼等の犯罪を――担任の木原、副担任の大牟田、そして養護教諭の吉原。あいつらの所業をまわりに知らしめ、そして彼等自身を恐怖させる方法を」


「それがあの新聞」


 よよ子は首肯する。


「だけど、わたしも予想しないことがおきた」


「吉原育代の事件だね」


「そうだそいつだ」鍋島は泡を食ったように吼えた。「まさかよよ子がやったわけじゃないよな? な?」


「ああ、彼女の犯行じゃない。おそらく支援学級に子どもを預けている親御さんだろうね」


 よよ子は自分たちの学級に広まり、また5年4組の現状を知らしめたいと思っていたのだろう。だが、それは父兄にまで届いたのだ。彼等もたびたび学校から帰ってくる子どもの不審な様子には気掛かりであったのかもしれない。だが確証を得られず悶々としていたとき、あの学級新聞をみせられて、よよ子の意図にきづいた父兄が訴え出るという公的な方法をすっとばして、私刑に走ったのではないだろうか。


 父兄であるなら、学校の出入りも怪しまれない。そして階段をあがり、教室に怒鳴り込もうとして、養護教諭の吉原をみつけた。彼女も容疑者のひとりだ。そこで何かしら口論がおきた。吉原は保護者を振り払って四階にあがろうとしたかもしれない。だがそこで蹴躓き、ひかれるままに下におちた。


 運が悪かったといえば、そこまでだろう。彼女は階段にむかって転倒し、そして致命傷を受けてしまった。


 担任の木原、副担任の大牟田も、あるいはそれに類することか、あるいはひとつふたつは本当の偶然による事故だったのかも知れない。今日起きた事件である。時間が経過すれば、そのところが糸が自然にほぐれるように、明らかになっていくのだろう。


 この事件はいうならば、義憤にかられた少女の企てが、最悪な形として波及した、そんな不幸な一例なのかもしれない。



 ただし、これは推測にすぎない。


 もしそれが事実ならば――。


 信じるのは貴方次第、そんなお為ごかし。


 こんなもの、宝島よよ子も当然、分かっていたはず。


 だからわざわざ、ぼくに相談することもなく、彼女の胸の裡に収めればいい話。


 だから、これは前提であり、迂遠な目眩まし。


 彼女の本音は、別のところにある。

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