第11話 その怪談には裏がある

 紛失物というのは何とも憎らしい顔をしている。「なくした」と分かった瞬間のあせりといらだちを端から盗み見ては笑い、こちらが永久とも思える時間を探しまわり、探しあぐねて、ふて寝して、もう諦めようと決心した頃を見計らって、あれほど見つからなかったのが嘘のように、まるで平然と以前から其処にあったような顔であらわれる。ひとつだけではなく、ときに仲間のように昔なくしたものなども暢気に顔を出すこともある。


 そこは何度も確認した筈なのに。私たちはいつだって首を傾げる。 


 現場に出動した機捜隊以下、地元の消防団、複数の捜査員も同じ煩悶を覚えただろう。


 死体が発見された。三峯さとるのものだけではない。――白骨化したものをあわせると、都合六名ほどの人間が、すべからく著しく破損した状態で、河川敷の居たる場所から発見された。まるで河童の食い散らかしのような惨状で、異臭さえ放っているものもあったという。

 

 しかし、それ以上に捜査員に底冷えするような怖れを抱かせたのは、人定の特定があまりにも容易すぎたことだ。比較的だった一ノいちのせ七海ななみ、横山あおい、向島晃司、そして犯人の三峯さとるの四名のほかに、白骨化した二名の人定も明らかだった。その人物と特定する免許証や社員証が褪色こそすれ鮮明に、荷札のごとくその死体の傍に棄ててあったのだ。


 まるで手品の種明かしのように、その二名が二十年前に行方不明となった道尾啓介、および高沢直であることを示していた。事件当時、あれほど探していた二名が、河川敷の岩場の陰から、いまになって忽然と現れたようだった。


「私たちの頑迷な現代観に即して考えれば」と、翠はいう。「犬鳴隧道沿いで、死体を遺棄しようとする人物にとって、小さな支流にできた、すこしばかりの河の深みというのが、格好の遺棄現場にみえたのかもしれません。山に埋めたとて、鳥獣に掘り返されてしまう可能性もある。まして殺人が衝動的なものなら、孔をほる道具などなく、樹林のあいだに投げ捨てるしかない。――その点、河は海とは違い、流れによって、地下に渦をまく――馬の洗い場――とよばれる沈降箇所がある。そこに棄てれば、あるいは死体を隠せるかと思った」


 秋にいたり涼しく爽快な早朝にしては、彼女等のいる取調室はあまりにどんよりと重々しい空気の滞留していた。彼女の観客はもうひとり、渡部というCMタレントのような面立ちの整った青年刑事が一人ふえたが、この場をとりまく胡乱な空気を破る清涼剤としては、彼は到底役不足だった。


「道尾啓介と高沢直を殺して遺棄したのは・・・・・・」

 

 署長の問いに、彼女は難なくこたえる。


「向島晃司と考えるのが妥当でしょう。そして彼は二十年後の、ああ、ちょうど同じ9月25日に殺されて、奇しくも同じ場所に遺棄された。だが、彼を殺した人物も――三峯さとるも、同じような場所で死んでいましたが」


「お前は」叔父は姪の皮をかぶった悪魔を見据えるように言う。「どうして三峯さとるが、が分かったのだ」


「ひとつ誤解を訂正すれば、私はと予言したわけじゃありません。ただしく繰り返せば『犯人の三峯は巴くんを運んでいる河川敷でといったんです」


「同じ事だろう」火だねさえあれば、爆竹のように怒鳴る叔父とは思えないほど、慎重な口ぶりであった。「なぜ三峯が食い殺されると分かった?」


「当て推量で申し訳ないですが」翠はころころとわらう。「二十年前の向島が犯人だとすれば、彼は二人の男性を上手く隠し通せたことになる。ですが、かれひとりで鳥獣が掘り返せないほどの墓穴を、ふたつ分用意したとも思えない。ですから【馬の洗い場】に遺棄した可能性は十分あった。けれど、その河川の渦も万能じゃない。まして小さな支流で深さも不十分な可能性だってある。それでも見つからなかったとすれば、自然の自浄作用が働いたとみるべきでしょう」


「自浄作用?」


「食われたんです。鳥獣、あるいは野犬や熊に。なにせ河川だ。動物たちはたえず水をもとめてやって来る。そして水をもとめてやって来た獣が、時折川面から浮かんでくる餌を啄み、その自重を軽くして、ふたたび沈みやすくした。――そういうルーティーンが、今回の心中偽装殺人で殺された三名が遺棄された場所でも発生したんです。動物たちも人間の味を覚えた。彼等は昼な夜なに、獲物が浮かぶのを待っていた。だから、もしも三峯が夜間、その動物たちの狩り場に、のこのことやってこようものなら、あたらしいメインディッシュとして食い殺される可能性もありました」


「なるほど」


 そういう叔父の顔はまだ納得いっていない様子だった。


「ほかに何か?」


「もしもお前が『犬鳴隧道近くの河川敷をさがしてくれ』と吾輩に申し出たのなら、それも通る論理だろう。だが、お前は犬鳴川の、その支流の、特定の場所を指示した。なぜそんな場所を知っていた」


「ああそんなことですか」翠はあっけらかんという。「施餓鬼会せがきへです」


「施餓鬼会?」


 それから刑事三人に、施餓鬼会とは何たるかをこんこんと説明してやる。署長や叔父などは歳を経ているだけあって、精霊しょうろう流しの知識などは噛み砕く必要もなく、その名で済んだ。


「横山あおいのInstagramと思わしき画像が、私たちがこの事件を知る切っ掛けでした。あの地点では、なにものかが施餓鬼会を行っていた。しかも河川敷で、です。だから直ぐにあの供物がどこに行くか、どうなるかが予想できた」


 叔父ははたと気づいて手を打った。


「精霊流しか」


「はい。施餓鬼会の供物を置いた者は、おそらくそのまま河川に流し、精霊流しをしていたのでしょう。あの場所は、餓え苦しむ餓鬼界にささげる唯一の孔があった」


「唯一の孔?」


 署長と渡部という刑事が首をかしげるなかで、宗教者としても一家言ある叔父は啓蒙の光をみたように目を丸くした。


「なるほど、そういうことか!」叔父は感嘆に机を叩く。「【馬の洗い場】だな! 施餓鬼会の儀礼者は必ず流されたものが水底にしずむ【馬の洗い場】に、その餓鬼界への道をみたのだな」


 翠はうなずいた。


 施餓鬼会は仏教者や修験者が、功徳を得るために、月またぎに行う儀礼。犬鳴山に根城をもつ宗教者が、施餓鬼会に近い行事をしようとするなら、供物が【馬の洗い場】に吸い込まれるその川こそ、施餓鬼会の場として絶好の箇所と思っただろう。


「ですから、逆説的に、あの場に【馬の洗い場】のような供物が沈む場所があるだろうと思い到りました。もしも川下に流れるだけだったら、いずれ、どこかで詰まり、人に目撃されたか、あるいは新たな犬鳴の怪談になっていたはずでしょうから」


 夜が明け、朝日はまんまんと昇る。秋鳥のモズが鳴き、いそいそと獲物を狩るべく、朝日を背負って彼方に飛んでいく。


 取調室の戸口を背にして、三人の男たちは、戦慄する一大犯罪の自白を聴いたように、茫然として立ち尽くしていた。彼等の顔に、さきほどまであった張り詰めた緊張もしだいに抜けていき、ともすれば欠伸さえ洩れそうな安穏とした空気が、朝霧のように立ちこめようとしていた。


 誰が許可するわけでもなく、翠は立ち上がった。別段手錠をつけられている訳でもないので、最初から取調室の出入りは自由であったが、ここにいてようやっと彼女は解放されたと実感した。


 叔父たちも止めることなく、彼女がドアノブを捻る様子を眺め見ていたが、ふと言い残したことを思い出して、脚をとめた。


「そういえば、事件を調べているあいだに、おもしろい共通点がありました」


「共通点?」と叔父が眉をひそめる。


「今回、あの施餓鬼会供養場で殺された人物の共通点です。横山氏と一ノ瀬氏。そして犯人の三峯氏。彼等はみな、犬鳴川の施餓鬼会を撮影していました。彼等のSNSを探し当てて確認したので確かです」


「それが?」


「いやね、どうやら古いブログの書き込みから、どうも二十年前に殺された道尾氏と高沢氏、そして向島氏も同様に、当時のオカルトブームに乗って、彼等三人が運営しているブログで、同様の施餓鬼会の写真を撮影、投稿しているです」


 叔父はなにやら穏やかならぬ気配に気づき、円い鼻をひくつかせる。


「ずっと不思議に思っていたんです。なんで向島氏は暴行された三峯直葉を川に遺棄しなかったんだろうってね。ただ、まったくもって偶然ですが、彼女だけは、犬鳴川の施餓鬼供養を撮影したり、踏み込んだりはしていないんです」


「なにが言いたい」


「いええ、こう思ったんです。世の中には【憑き物筋】という、呪われた家系というものがありますが、ときによれば、その場に踏み入れた者をすべからく呪う【憑き物辻つじ】のような怪異があるのかもしれないと、ね。──ですから、もしかすると彼等はなにも誰かを殺そうとしたのではなく、二十年前から――いや、それ以上前から餓え苦しむ餓鬼を沈める霊場に、あやまって踏み入れたために【憑かれ】、いうなれば、彼等自身が【供物】として、ほかの【供物】を運び、また自らを【供物】として献げていたのではないか、ともとれると思いまして」


 清廉な朝に酔っていた男たちは、急に冷水をぶっかけられたような面持ちになった。有り得ない。そう断言したいのに、つめたい怖気が口を強張らせる。


 だれもが彼女の迷信めいた推理に狼狽えるなか、叔父が一歩進み出た。


「翠、お前はその迷信をどれまで真剣に考えている」


「ある程度まで」


「それは今日、昨日考えついたものか?」


「まさか。事件の証拠が揃ってきたときには、すぐに」


「では、ひとつ聴く」


 叔父の眼差しは、もはや姪をみるものではなかった。


「直方署が管轄している犬鳴隧道手前のカメラに、お前の雇っている、あのアルバイトの少年が映りこんでいた。一昨日の10月2日の正午頃だ」


「・・・・・・・・・・・・」


「実を言うとな、吾輩も失踪心中事件には何かよからぬものが関わっているのではないかと読んで、数人の所轄の刑事を、峠の立ち入り禁止区域を調べさせていた」


「越権では?」


「そのとき、あの少年をみたものがいる」叔父はこちらのはぐらかしを無視していう。「刑事は彼を呼び止めたが、彼はお前と、そして吾輩の名を騙り、調査としてとある河川敷の箇所の写真をいくつか撮影しにいたと曰ったそうだ。彼は衒いなく言ったそうだぞ。『敬愛している上司からの指示で』と」


「・・・・・・」


「むろん、彼が咄嗟に思いついた嘘ということもある。だが、あの雫石少年の言葉が真に虚実なく出たものであったとしたら、どうだ? お前の予測どおり、その半日後には、まったく接点のない犯人に捕らえられ、同じく【供物】になりかけたとしたら?」


 叔父は、一度も聴いたことのない、鋭い声でさす。


「お前は部下に敢えて【禁忌】を踏ませたのか?」


 私は取調室のドアノブを掴み、出ようとするこの瞬間に、はじめて黙秘権を行使することになった。叔父と交わし合う目線に、親類の情など一欠片もなかった。


「糺川翠――貴様の目的はなんだ」


 糺川警部は尋問する。


 だが、残念ながら彼の持ち時間はとうに潰えた。犯人たる女の右足は、すでに取調室の敷居をまたぎ、廊下へと進み出していた。 


 彼女は泰然とした面持ちに、冷たい眼差しを隠しながら、署のロビーにむかう。


 そこで待っている人に出会うために。


「所長!」


 彼は手を振る。なんら疑わない、朗らかな朝陽のような顔で。


「やあ巴くん、災難だったね」


 私は手を振り返す。


 この他愛のない関係が、永遠には続かないことを知っているから。

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