第10話 取調室3/3

「先に断っておくと、べつに私は安楽椅子探偵を気取るつもりはないのです、叔父様。まして論理という煉瓦をつみあげて真相という大伽藍をつくろうという気はまったくありません。たとえ作れたとしても、狼の吐息に破れるほど脆弱な藁の家。これはまったくをもって推理とはいわず、推測の域をでない憶測。真実というにはあまりにも論拠が貧弱で、語れるとすれば、あったかもしれないと仄めかす推察でしょう」


 ながったらしく言い訳めいた物言いに、なんら仄めかしや寓意などこめていない。けれども叔父や署長は、『名探偵、みんな集めて、さてといい』という標語が浮かんだかのように、私の拙い前置きを傾聴する。


「言ってみれば、ひどく稚拙な辻褄合わせ。それに一喜一憂するのは娯楽の範疇を超えません。これは言ってみれば、ひとつの思考ゲーム。一枚の画を完成させられない、あまりにも乏しい枚数のピースで、その完成画がどのようなものだったかを推測するようなものなのです。そして、まず最初に手元で想像の切っ掛けをあたえた欠片こそ、あの心中失踪事件でした」


 声は朗々とコンクリートに反響する。


「完璧なほど準備された練炭の密室。セダン式の2シートには荒れた様子もなく、また綺麗に目張りされて、中にいた自殺者がこの世最後の仕事して、勤勉で、神経質なまでにテープを貼る様子が目に浮かぶようです。ですがね、叔父様。勤勉で神経質っていうのは、視野狭窄と言い換えることもできる。こういう系統は、がいして大きな取りこぼしをやらかすものなのです」


「とりこぼし?」


「出口があったのですよ。あの車輌には」


「出口だと!? だが、どこに」


ですよ。あの事件を聞いたとき、すぐに思い当たり、巴くんに車種を調べさせました。するとやはり、心中で使われていた車種は後部座席の中央部のセンターコンソールからトランクにつながる――トランクスルー型になっていました。ですから、彼等が車輌から出てきたとあれば、それは後部座席の中央部からトランクを経由して、外に出たに違いないのです」


「じゃ、じゃあ、あの心中者失踪事件は悪ふざけだったとでも言うのか!?」


「まさか。あれほどきっちりドアの隙間を目張りして、練炭も燃えくずとなっていたんですから。ですが練炭自殺で、全員が死亡したとは、断言できません。現に三人は外に出ている。ですが、ここでもまた疑問が生じる。なぜ彼等は外に出たのに、目張りを破らずに、わざわざセンターコンソールから出ていったのか?」


「それは・・・・・・」叔父はコツコツとテーブルを叩く。「自力で外に出られなかったのか?」


「そうでしょう。そして、こうとも言える」


 彼女は叔父を真似るようにコツコツとテーブルを小突いてみせる。


「自力で出たようにと」


 夜明けの静かな取調室を、さらに不気味な静寂がとりまいた。さながら彼女の戦慄すべき仄めかしは、怪奇の峠でおこった悍ましい犯罪の再演を間近で見せつけられているかのようだった。


「ドアを四方から目張りした養生テープを剥がすなら、死体の指紋だけじゃなく、その粘着物に、さまざまなものが付着する。塵、煙草の吸い殻、衣服の微物、唾液、毛髪。貼り付ける時ならば、指紋だけで済むモノも、剥がしてしまえば、服についたり、肌についたりと、たった30センチ剥がされたテープですら、微物の宝庫となってしまう」


「で、ですが」と署長が戸惑いつつも声をあがる。「その車両にいた人物の微物なら、なんら問題ないのでは? みんなで逃げたときに、ついたとすれば、なんら問題は・・・・・・」


 そこまでいって、まるで悪夢でみた怪物の顔を、眼前の女の面差しに見たかのように、はっと息をのんだ。


「そうです、署長さん。剥がした際に、心中していた三人の微物ならば問題なかった。ですが、それは少々困ったことになる。だからが、車輌で死んでいる人物たちを、センターコンソールから出さなければならなかった」


「待て待て待て!!」


 叔父は巨大な獅子舞のようにのたうち、そしてポマードでしっかりとうしろに撫でつけた頭をかかえた。


「なにが何だかわからなくなってきた! 四人目だと? じゃあ車両のなかには四人が居たとでもいうのか?」


「それはありえないでしょう。犬鳴隧道にむかう立ち入り禁止区域には、直方方面、糟屋方面ともに監視カメラがそなえついています。そこで撮影されたら、犯行が露見したも同様です」


「この取調の前に確認したのですが」と、冷や汗をハンカチで拭きながら、署長がいう。「鮮明とはいえないまでも、監視カメラに映っていたのは、三人だと特定できています」


 叔父はそれを訊くとカンカンに怒り始めた。


「じゃあ、四人目は、どこから出てきたのだ!」


「簡単なことですよ、叔父様。三人目が、四人目なんです」


「はあ?」


 叔父は姪っ子が急にトンチめいたことを言い出して、まるで頭の病気を疑うような目でながめたが、傍らにいた署長はぐっと険しく目を細めた。どうやら署の長として登り詰めたことだけあって、こちらの言わんとすることが分かったらしい。


「偽装殺人ですか」


「はあ?」


 叔父は姪の奇病が署長にも感染したかのように胡乱に後ろをむいたが、署長は有力な線の筋読みをするかのように顎に手をあてて始めた。


「つまり練炭自殺をするつもりの三人のうち、ひとりは別の意図をもって乗車していた。おそらく練炭自殺ならば、練炭を焚いたあと、睡眠薬をのんで昏倒しようとする。それを敢えて飲まず、ほかの二人が昏倒したのを見計らって、うしろのコンソールから逃げ出した。トランクによってはあやまって中に閉じ込められないように、内部から開放でいる仕組みもある。もしも、なければ、事前にトランクを開けておけば良い。そして外にでた彼は、自分のかわりとなる人物――殺害対象を別の場所で昏倒させ、その人物をいれて、ふたたび練炭で燻蒸すれば・・・・・・」


 途端、澄んだ朝焼けに凄まじい霹靂を聴いたように、細面の茄子みたいな署長の顔に、するどい眼差しがやどった。


「心霊現象・・・・・・。まさか、あのSpotifyの怪談は」


 糺川翠はにこりと微笑みで肯定した。


「先日、確認が取れました。Spotifyの個人番組『ゆうじの怪奇スポット泊まっちゃいました』――仮称ゆうじ氏としましょう――彼が後ろ向きであるく怪人に出逢ったのは、9月25日で間違いにないそうです」


「やはりそうか。じゃあ、轢かれた横山あおい以外の、どちらかが・・・・・・」


「待った! 待った! 勝手に話を進めるんじゃない! 吾輩はいっちょん分からないぞ! ちゃんと説明しろ。なんで、そこで【後ろ向きの怪人】の怪談が出てくるんだ!」


 推理を先に進めていたふたりは顔をみあわせ、周回遅れの叔父に説明をくわえる。


「つまりね、叔父様。9月25日の立ち入り禁止区域でおきた練炭自殺の参加者のうち、ひとりは別の意図をもって参加していたんです。その人物は、ほかの二人が意識を失ったことを見計らった後、別の場所に待っていた四人目を昏倒、意識をうしなわせて、自分のかわりに練炭のこもった車輌に閉じ込め、練炭自殺をしたかのようにみせかけようとしていた」


「うむ。そこまでは分かった。ではなんで【後ろ向きの怪人】が事件に関わるんだ」


「叔父様、ゆうじ氏が【後ろ向きの怪人】をみたときの状況を思い浮かべて。登山道を午後三時に入山して、該当箇所まで徒歩で2から3時間。隧道を撮影して、おそらく食事もしたでしょう。そしてテントにこもった。つまり時刻は暗く、町の夜よりも闇黒になった午後8時ごろ。ましてテントの中から覗いたから、かれはまったく見間違いしてしまったの。――


 叔父は「あ」と言ったあと、気づけなかったことを悔しがるように唸った。


「おそらく犯人は犬鳴ダムか途中の登山道で呼び出した人物を昏倒させ、それを背負子に背負って登山道を駆け出した。――犯人にとって、監視カメラに映らず、他人に視られないように、目的の人物を運び込むことはできなかった。言ってみれば苦肉の策でしょう。ともすれば昏倒した被害者が目を覚ましかねない。あるいは半ば目を様しかけていたから、ゆうじ氏が、背負われた被害者をみて、後ろ向きであるいていると誤解したのかも知れない。――でも、犯人はやってのけた。そして練炭の焚いた車両にもどってみれば――」


「一人居なかったと言う訳か!」


 叔父は膝をうった。


「犯人は驚いたでしょう。まさか自分と同じく意識を取り戻した人物が、車外から出ていたとは。そして犯人は逃げ出している横山あおいを探し始めた。彼女がいなければ、計画が破綻する。だから彼は背負ってきた被害者を車両につめたあと、練炭をたきつつも彼女がどこに逃げたか、気が気でなかった。――だけど、ようやく見つけた彼女は、目の前で車両に轢かれてしまった。慌てたでしょうね。なんたって一酸化炭素中毒で死ぬはずだった横山あおいの死因が、まったく変わってしまったのだから」


 犯人は愕然としただろう。明らかに計画は破綻しかけていた。だが、頭を抱える前にすべきことがある。横山あおいを回収することだ。いまだ生死が定かではなく、もしも通りかかった車輌に救出されれば、横山の証言から自分の犯行が露呈する。まして轢いた車輌がふたたび戻ってくる恐れもあった。だから犯人は横山あおいを持ち帰り、そして悩みあぐねた。


「犯人ができた方法はふたつ。あらためて殺害した横山あおいを山中に埋めて、心中死体を放置するか。だが、そうなると、横山あおいという犯罪者を追うべく、犬鳴峠に捜査員が配備される。そうなれば、彼女の死体が発見されるおそれがあり、犯人は断念せざるを得なかった。だからこそふたつめの窮余の策をつかうしかなかった」


「全員を失踪させることか」


「殺人事件と失踪事件は捜査規模が違いますから。それに自殺するつもりだった二人のいずれかから自殺を仄めかすものが発見されれば、失踪理由も判明して、あとは近隣に顔写真の張り紙を配る程度のものだ。だから犯人は一酸化炭素中毒で死亡しているほかのふたりを車内からとりだし、そして横山あおいともども、山中に遺棄することにした。、それをおこなえる有用な立場でもあった」


「たしかになら巡視活動の一環として、死体の遺棄もおこなえる。しかし、よく彼とわかったな」


「ええ、心中死体のなかにがいましたから。彼は20年前、犬鳴峠で彼の妹、三峯直葉を死なせた容疑がありましたから」


 彼――三峯さとるをグリーンサポートスタッフの報告書で見つけた時、おおよそ事件の背景というのが飲み込めた。三峯さとるは、向島が妹を殺したと疑っており、それでいて何ら社会的な制裁を与えられて居ない彼を殺す機会をうかがっていたのだろう。


 そうして巡視活動で山々を廻っている内に、どこかの山で、練炭自殺をしている人物を発見し、あるいはこのような事件の青写真を思い浮かべたのかも知れない。


 気づけば、取調室の格子窓から朝焼けが差し込んでいた。古怪めいた空気が、清廉な朝日に払われようとしている最中、ひとりの刑事が取調室に駈け込んできた。


 渡部と呼ばれた、配達会社のポスターをかざりそうな精悍な男性は、翠を一瞥したあと、すぐに署長ではなく、叔父に耳打ちした。


「なんだと!」


 そういうと、自分の姪を、まるで悪魔憑きになった者をみるような険しい眼で見据えながら、うなるように言った。


「お前の言うとおりになったぞ」


 声にはやや怯えめいたものがある。


「三峯さとるが隧道近くの河川敷で。しかも――」


 叔父は口に出すのも悍ましいらしく、胸に垂れ下げた金の十字架を、そのあついパンのような手で握り締めつつ、悪魔祓いの呪言でも呟くかのように言い捨てた。


「何者かに、食い荒らされていた」

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