架空学級篇
第1話 とある小学校の怪事件
「紹介したい女性がいる」
昼間の学生食堂は、多くの在校生がつめかける。成長期も頭打ちになった二十歳前後の男女が、チャイムとともに欠食児童のように血眼になって詰めかけ、
しかしながら、おおかたの講義が終わった夕暮れ時となれば、状況は一変する。閑散とした田舎の駅舎のように人が絶えて、ひとつふたつ、小さなサークルがつきない四方山話に華を咲かせるのみだ。
そんな彼等からとおく距離をとった、片隅の長テーブルのはしっこで、鍋島がひそめくようにいう。
「お前の話をしたところ、実に興味をもってな」
「どう説明してくれたのか、不安だけど」と、言いつつ僕は期待に鼻をふくらませた。「ありがとうと言いたいね。君には」
「いいってことよ」と、鍋島宏大はいう。「オレとお前の仲だ」
親愛の証として向けてくれた拳に、僕も固く握り込んだ拳をあてる。
「それで、どんな子なんだ」
「実はもう来てる。お前と話したくて、居ても立ってもいられなかったらしい」
「素晴らしいね、まったく」
婦女子に関心をいだかれて悪く思う男はいない。容姿端麗眉目秀麗才色兼備――。彼が想うぼくの長所を、さながらつるべ打ちのごとく語り聞かせたのだろう。居ても立ってもいられなかったらしい件の女人は、すでにうしろからスタンバっていたらしく、推しのタレントにかけよるファンのように、ぱたぱたと靴音を響かせて、やってくる。
ぼくは襟をただして背筋をのばし、また居住まいを正して、にこりと紳士的な笑みをうかべて振りかけると、そこには黒毛長髪のあまり垢抜けた感じのしない大和撫子風の美女――を、十歳ばかり幼くして、胡散臭い変質者に向けるような小憎たらしい目つきをそえて、赤いランドセルを背負わせた童女が、真後ろに立っていた。
或いは、屹立していた。
仁王像の如く。
ぼくの影を踏みつけるように立っている童女は、贋作を見極めようとする古物商のような厳めしい視線で、こちらを頭の天辺から爪先まで矯めつ眇めつしたあと、お眼鏡に叶ったらしく、フンと鼻を鳴らしてみせた。――これが巷で言う【メスガキ】というのなら、僕の性癖とは一生縁なきものだろう。
ぼくは周囲を見回した。大学施設利用者のお子さんだろうか。迷子なら学生課の了簡だろうが、はたして彼等はまだ学内にいるだろうか。
「彼女だよ」と鍋島。
「彼女? おいおい止めてくれよ。彼女はどう見ても妙齢の、若い男性の奔放な性を玩ぶ蠱惑的な美女には見えないけれど?」
「そうだろうね。――よよこ。そこのお兄さんに自己紹介をしてやりな」
「よよこ。
童女は武張った役人のように吐き捨てる。
「オレの従姉妹なんだ」
「そうか。よよこちゃんというのか。良い名前だね。ところでお兄さんは人と会う約束があるんだ。だから、この300円をにぎって、あそこの売店のおばちゃんからプリンでも買って食べると良い。さあ言った。お兄さんはこれからめくるめく男女の世界に没頭するつもりだから。よよこちゃんのようなちびっちゃい子どもは、少しばかり過激すぎるから、それを平らげて、はやくお家に帰ることをオススメするよ」
彼女はようやく立場に気づいたのだろう。僕の掌から300円を掻っ攫うと、生クリームがたっぷりのったプリンアラモードを注文し、それを小さな手で抱えもって、ふたたび僕らのいるテーブルに――位置としては誕生日席に座って、ぎろり眼をこちらに向けたまま、匙でプリンをえぐる。
「うちの所長を見るようだ」
食べ物への意地汚さが、とは言わない。悪口というのは、瓶詰めされた手紙のごとく、いずれどこかの
「個人的には」と、鍋島はいう。「その所長さんにも聴いて欲しかったんだけど」
「所長に? おいおい。なんだか雲行きが怪しいな」
「怪しいも糞もない。お前のバイト先の案件だよ」
宝島よよこが、みずからを存在を誇示するようにむずりと身じろぎする。険しかった目元には、薄っぺらな虚勢がポイのように貼って、その下には動揺と不安の波紋が広がっている。
「申し訳ないが」僕は彼女から目を逸らした。「力にはなれないかもしれない」
「かも?」
「いま所長に会えないんだよ」
犬鳴峠の偽装殺人事件のあとから、ぼくは暇を出されていた。女史曰わく、バイトもいいが、大学生としての職務も全うすべきという、とってつけた理由だった。社会不適合者を自認する糺川女史において、ぼくというお節介焼きがいなければ、社会生活もままならないと思っていたのだが、彼女はそれを辞令のごとく紙にしたためて、事務所前の扉に貼り付けるほどの念の入れようだった。
つまるところ、ぼくはあの事件以来、彼女に会っていないのである。
「ついに見限られたか」
「どうだか」
一応、クラフトテープで乱雑に扉に貼り付けた紙面の下にちいさく『所要が終わり次第、呼び出すので日々弛まず生きるべし』と書き付けてあったので、解雇ではないのだろう。しかしながら、ぼくとしては、急にバイト先から暇をだされているのである。
「つまりお前は暇なんだろう」
「そういう見方もある」
「この際、お前でもいい。オレが見ても、あの不気味な掲示物は、変だが、変てこじゃない」
いささか依頼を受けるほうとしては、気乗りしない言われようだが、不気味な掲示物というワードには興味を引かれるものがあった。――大濠公園の怪文書事件。その顛末において深くかかわっていた鍋島宏大自身が持ち込んできたものという点でも、大いに関心をひくものだった。それに彼の口ぶりも気になる。
「変だが、変てこじゃない?」
「ああつまりだな――」
「すごく気味が悪い癖に、滅茶苦茶じゃない」
鍋島の言葉をとって継いだのは、むっつりと黙り込んでいた宝島よよ子だった。
「ピカソの描くキュピズムは落書きみたいだけど、意図をもって書かれてる。それと同じ」
「なんだこいつ。随分と学のあるガキだなあ」
「よよこはWISC《ウィクス》-IVでIQ128を叩き出してるからなあ」
鍋島は自慢げにいう。WISCは「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」の4つの検査指標からIQ(知能指数)を算出する知能検査のことである。これは子どもの発達障害の検知のほかに、ギフテッドを見つけ出すこともできる。
検査対象の2%しか居ないとされているギフテッド。そんな特異的な知能を示すIQは130。よよ子はそれに限りなく近い。そんな類い稀なる知能をいだく彼女が、自分が目撃したものに、なにか、奇体な意思が織り込まれているという。
彼女はランドセルをテーブルにおくと、ぺらりと帯のような上蓋をあけてスマフォを取り出した。驚くべきことに、いまの小学生、とくに高学年の携帯所持率は40%を超えるらしい。彼女は手慣れたふうにスワイプして、その画像をみせてくれた。
「学級新聞?」
彼女が見せてくれたのは、手洗い場の横に張り出された一枚のポスターだった。全体を映すように撮影された画像から、そこに書かれている文言は見えなかったが、コート紙と呼ばれる光沢のある一枚の上部に、黒マーカーで、でかでかと『5年4組 学級新聞』と記されているのは分かった。
すぐに異様だと分かったのは、そのポスターの幅である。小学校で用いるポスターは子どもが両手をひろげたぐらいの幅がありそうなものだが、これは目算で30センチほどしなかい。そのくせ、縦の長さは十分にとられているので、まるで一幅の巻子本を上から吊しているかのようである。
「月曜日から貼り出されるようになった。だれが、なんのために書いて貼っているのか分からない」
「はりだされるようになった?」
「金曜日の今日までに五枚。立て続けに一枚。絶対におかしい。なにかある」
よよ子は断言する。たしかに帯のように伸びたポスターは見るからに怪しい。その観をさらに強めたのは、よよ子が月曜日――つまり、最初の掲示のときに詳しく近づいて撮影したポスターの文言である。
「・・・・・・こいつ、定規で引いてるな」
ポスターには狭い幅を埋めるように、一行12から13文字の文字が書かれていたが、そのどれもが定規でひいたように、筆致にぶれのない、線だけで構成された文字で、それらは四行ごとに平仮名と片仮名を切り替えていた。内容はその視読性の悪さから読みづらいが、なんともとりとめのない奇体な文言がかかれていた。
定規で文字を引くだけあって、制作者は筆跡を恐れているのだろう。悪ふざけにしてはやや手が込んでいる。これらは五日間――つまり今日まで徹底されているという。
広いデコに大人のように皺をよせているよよ子はこれをもって、妙だと言いたいらしいが、この程度は、少々ませた悪ガキがやったとしても不思議がないのだ。たぶん、ここに書かれた『5年4組』の誰かが――。
「先にいっておく」よよ子が先を読んだように言った。「こんなクラスない」
「こんなクラス?」
「わたしの学校は3組まで。5年4組は存在しない。それと」
「それと?」ぼくは吊りこまれるように尋ねた。
「名前が書かれた先生が呪われた」
「呪われた?」
「かならず大怪我したの」
――それは偶然だろう、そう言おうとしたぼくを制するように、彼女はこちらを睨んだ。黒い、まっすぐとした瞳には隠しきれない恐怖の色がにじんでいた。
「立て続けに三人。ポスターに書かれたその日に、みんなして」
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