第7話 Instagramに投稿された画像に関する一幕


 本投稿は2023年10月09日現在、Instagram上から消去されている。

 また投稿者のAoi_Horrorloveは、現在も行方がわかっていない。




「これなんですけど」


 研究室とは名ばかりの物置のような一室で、ぼくはスマートフォンを差し向けた。教授はアルミのケースから眼鏡を取り出して、まじまじとSNSの投稿写真を眺める。時代のついた鼈甲眼鏡の奥で、教授の目がきらりと光るのがわかった。


「施餓鬼棚だね」


「せがきだな?」

 聞き慣れない言葉から、なにか一つでも栄養を得ようとするように反芻する。だが、その言葉は耳馴染みのない外国語と大して変わらなかった。


「君の家は仏壇があるかな?」


「はい」


「なら盂蘭盆会うらぼんへ――お盆の供養はしているかい」


 それなら記憶にあたらしい。夏休みに実家にかえると、ささやかながら盆行事を催す。13日に玄関に提灯を出し、精霊馬をかざり、迎え火を焚く。普段、煎餅や干菓子がおかれている佛前には、13日から15日までのあいだ、ミニチュアのような小さな膳に御飯、煮物、油揚げなど精進料理がならぶ。


 ぼくがはたと目を丸くしたのは、そのときで、そのとき佛前の手前には、折りたたみの机をだして、船桶のように藁をあしらい、そのなかに果物や野菜をそなえた。


「疑問に思ったことはなかったかい?」


 スマホから顔をあげた教授は、まるで生徒が興味をもつトピックスを話すかのように、にたりと微笑んだ。


「なぜそのようなものを用意するか」


「え? でもそれも先祖に対する供物で」


「なら、なぜ藁につつむ必要があるんだい? 御盆の上にでも置けば良い。御盆行事なだけに」


「それはたしか」ぼくは記憶の弁が突っかかっているかのように側頭部を小突いた。「そうだ。あれは精霊流しをするためですよ。といっても海や川に流すわけじゃない。ぼくの地域では近くの河川敷にいくと長机を横にひろげた台が準備されていて、そこにのせた供物をのちのち自治体が回収してくれるんです」


 そこまで来て、はたと虚空をみやった。まるで自分の影が勝手に動き回っているのを目撃したような驚きだった。


「あれ? なんで流すんだ?」


 先祖の供物であれば、そのまま塩でも振って処分するなり、直会なおらいとして食べれば良いのだ。しかしぼくはそのようなことなどせず、粛々と供養台にあげて、自治体がかわりに供養する。


 家で完結するはずの儀式が、そとに持ち出されているのだ。


「気づいたらしいね。そうだね。いまだ仏壇があり、また雫石家のように、古い行事をつづけている家ならわかると思うが、祖霊をまつり、迎える盆行事に、ひとつ、まったく先祖と関係ない行事が含まれている。――それが施餓鬼せがき、施餓鬼供養というものだよ」


 教授はむくりと立ち上がり、書棚の脇に置かれていたホワイトボードに立った。毛糸のベストと別たれがたい宿縁を結んでいる彼は、夏でも薄手のベストを着る狂信者であるが、十月に入り、秋の寒さがやってくると、嬉嬉として夏用の紺ベストの上に、さらに厚手のベージュベストを着込んで、まるで冬毛の羊のようであった。


 かれはペンを鳴らして【施餓鬼せがき】と字をあてる。


「きみは忘れているようだけれど、おそらく御盆の時期になると、鬼灯なんかを飾っている花瓶のよこに段だら紙で下部に緑・黄・赤・白・紫が横縞にならんだ紙旗があたっとおもう。あれは施餓鬼旗といって、施餓鬼の供物だという証の旗なんだ」

 

「なるほど」 するとようやくぼくのあたまに、ぼんやりとした煙のようなものが、しっかりとしたくろい輪郭を持ち始めた。「餓鬼がきですか」


「そう。いわゆる仏教の輪廻転生観における、ひとつの地獄、あるいは徳のないものがいたる世界――餓鬼道に棲まうとする鬼」


 くろいボンヤリとした像が、餓えて頬がこそげおち、かわりに腹水がたまって妊婦のように腹のふくらんだ小鬼のような姿にかわった。


 餓鬼。餓えに苦しみ、さまよう悪鬼。


 これはひとえに、餓えにくるしむ人々の幻影であり、それに苦しむあの世の恐怖図のひとつ。施餓鬼は、それにほどこすとある。


「僕も仏教には詳しくないけれど」と、専門家特有の他の畑に踏み入る挨拶のようなものをふまえながら、教授はいう。「いつしか、ひとは盆における先祖供養と同時に餓鬼道で苦しむものたちへ、施しをするという【施餓鬼会せがきへ】供養もおこなうようになったんだよ。いわば恵まれない人々への募金をおこなうことで、徳をつむ、という観念だろうね。だからお寺などでの仏事では、御盆にかぎらず、月ごとに【施餓鬼会】をおこなう宗派がある」


「なるほど」


 ぼくらは示しあわせたように、あらためてスマホをみやった。


 そこに映っているのは荒い岩と石のあいだを、しみ出すように流れる清流だった。いわゆる山の小川といった風情で、画面の奥では、湾曲した河が深みをしめす濃緑の水面をうつしている。撮影者が立っているのは、それより手前の比較的浅く、沢ガニでも居そうな、こまかく枝分かれした小さな支流で、こずえで翳る川面をまたぎながら、パンツスカートの女性がレポーターのように間近のものを指さしている。


 それは苔むした岩石の上におかれた、そまつな茶托だった。岩は女性の腰ほどの大きさで、頭頂部が意図されたように平たく風化している。そこに小さな茶托がおかれ、キュウリ、熟したバナナ、赤々とした林檎、白瓜、茄子が放射状にならんでいる。


 投稿者はこれを『餌スポット発見』などと揶揄しているが、恐怖や驚きはその顔からはうかがえず、戯けているようだった。


「しかし教授、これがなぜ、施餓鬼棚なんですか?」


「よくよく供物をみてみなさい。キュウリ、熟したバナナ、赤々とした林檎、白瓜、茄子。これが何かに似ていると思いませんか?」


「似ている?」


 ぼくは茶托にならんでいる五つの野菜と果物をにらんだ。国旗だろうか。いや、いまの話の流れとして、あまりにも突拍子もない。これが施餓鬼会だと示す根拠は・・・・・・。


「あ、色か」


 はたと気づいた。これらの野菜や果物は施餓鬼旗をあらわしているのだ。


 つまりキュウリ――緑、熟したバナナ――黄色、赤々とした林檎――赤、白瓜――白、茄子――紫。施餓鬼旗をなす五色、緑・黄・赤・白・紫が綺麗にそろっている。


「でも、なんで」


「雫石くん、ここはどこが撮影地なんですか」


「それなんですが、たぶん、この45分あと、この写真を投稿しているんです」


 ぼくはスワイプして、その画像をみせた。


「おやおや。これはこれは」


 教授も、苦々しい笑みを浮かべていた。


 写真はうらびれた山道の片隅、粗雑に封鎖されたトンネル、つまれたブロックにはスプレー缶でやたらめったら落書きされて、もはやここが心霊スポットであると示す一種の標識である。


 犬鳴隧道。トンネル全体をうつす画角で、投稿者の女性がちいさく、落書きのひとつかのように映って、ピースサインをしていた。 

 

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