第6話 糺川女史の推察 1/2
「これは怪談ではなかった」
糺川女史は期待外れだといわんばかりに、数枚のレポートを投げ捨てた。塵紙を放るようにデスクに広がったA4用紙は、しかし綺麗な扇状にひろがった。
彼女はコルクのコースターの上にのせられたグラスに手を伸ばす。僕の煎れたアイスコーヒーをストローから飲みこむたびに、デスクの最前におかれた白い小型スピーカーから、ごくりごくりと、クーラーの壊れた事務室に嚥下音がひびく。あたらしく購入した咽頭マイクは、旧型とことなり雑音をよりわけて、とてもクリアに聞こえた。
首にかけた咽頭マイクの位置を調整している彼女は汗ひとつかいていない。それもそのはず。彼女のふんぞり返るデスクの下には、氷屋から買い付けた塊氷がたっぷり入った水ダライが備え付けてある。彼女はそこに素足をつけて、ぴゃぷりぴゃぷりと涼しげな音をたてる。
「今回の『天竺鏡』について時系列順でながめてみようか」
彼女は僕の書きだしたレポートの一枚を、赤い血のようなマニキュアの爪が、ディーラーのように弾いて寄越す。
「まずは百年町屋で聴いた古老の話だ。こいつは当時の博多で発生した『天竺鏡』の謂われを教えてくれた」
「ええ。警告としての『怪談』でしたよね」
「警告としての『怪談』を成り立たせる絶対条件。わかるかい?」
「絶対条件? そうですねえ・・・・・・。コワいことですか?」
「恐怖はたしかに警告を効果的に波及させるために必要な要素だろうね」
だが、違うという。
「絶対に意図を見抜かれてはいけない、ということだよ。これが『警告』のための『怪談』だと知れたら、その時点で『怪談』という恐怖の効果が消滅する。おそろしい『怪談』だから『警告』になる」
「なるほど」
「だが、それは一方で弱点となる。博多大仏が建立される明治後期はまだ【警告としての怪談】だった天竺鏡は、時代を経ることに『怪談』であることが強調されて、警告の内意が消失していく。つくられた当初は警告を孕んでいる怪談から、その寓話性がかけて、ただ奇怪、ただ不安を煽るような『怪談』になっていく」
彼女はつぎにR小学校のおまじないのレポートをつまはじく。
「ただ『怪談』は風土病のようなものさ。ある時期、その区域で猛威をふるって、急に身を隠したと思ったら、忘れた頃に再発。そして拡散されて変異する。そして『天竺鏡』も【警告としての怪談】から【ただの怪談】、【お
R小学校の少女たちの口にあがった『天竺鏡』は、鏡に対する警句とはかけ離れた、恋愛占いの一種となっていた。僕はレポートを取り上げて、あらためて目で文面をなぞった。
「このレポート内ではT美という少女が『地獄鏡』によって呪われたということが語られていましたよね」
「いいや?」
「え?」
「明示されていたのは四つ」
女史はいやに長い指を四つ立てる。
「『天竺鏡』の変異譚が生まれていたこと。T美が頭部に怪我を負っていたこと。そしてT美が学校に通わなくなったこと。あとはそう。彼女の家が二階建ての商家であったこと」
「・・・・・・はあ、そりゃあそうですが」
「では次にいこうか。なおみという少女が体験した『天竺鏡』の怪談」
「はじまりの怪談ですね。たしか、なおみちゃんが祖母の葬式で『天竺鏡』について聞いて、洗面台でみつけた古鏡で『天竺鏡』をつくる話でしたね」
「そうだ。そして急に、まったく知らされて居なかった伯母が登場し、なぜか、彼女は『天竺鏡』を所持している。そして、伯母は『天竺鏡』の隠し場所にむかった彼女をおいかけて、「ありがとう」と述べる」
ぼくは初読時のゾッとする感覚を思い出した。見ず知らずの投稿者の伯母の顔が、脳裡に明確に立ち現れるようで、すぐに糺川女史にみせたのだ。
彼女はそれを一読した後、胡散臭い商売文句を聞いたかのように、鼻頭をぽりぽりと搔いて、ひとこと。
「こいつは殺人だよ、巴くん」
と、言い放ったのだ。
「三年前の話だ。確証もない。まして証拠は彼女によって隠滅された」
彼女は蒼と白のストライプのストローを摘まみ、氷と氷の間に溜まった底のアイスコーヒーをずずっと吸う。
「待って下さい。彼女?」
「なおみちゃんだよ。彼女は『天竺鏡』を作るとき、赤錆が水に広がったと言うだろう。考えてみてくれよ。錆びた銅を、擦りもせず、水にくぐらせただけで、錆がひろがるとおもうかい?」
「じゃあ、あれは・・・・・・」
「血だろうね。彼女の祖母、美優さんの。だから犯人は感謝をしたのさ。証拠を隠滅してくれて『ありがとう』ってね」
「まさか。じゃあ彼女の祖母を殺したのは・・・・・・」
「十中八九、なおみさんの伯母だろうね」
「ですけど、でも。え、ええ?」
僕は頭のなかがこんがらがった。難解な証明問題の、その答えとなる結論だけ教わったようなものだ。そこに至る経路が、まったく分からないのだ。
ましてその経路というのが面妖である。僕は取りあえず思いついた疑問を投げかけた。
「犯人が伯母だとして、彼女はどうして凶器となる鏡を、洗面台の隙間に隠しておいたんですか?」
「わたしは一度たりとも、鏡が凶器とは言ってない」
「へ?」
「そもそも犯人は直接的には何もしていないじゃないかな」
「へえ!?」
「いいかい? 警察というのは優秀なんだ。もしも鏡を鈍器に頭を殴っていたら、すぐに発覚するはずだ」
「百歩譲って鏡による殺害じゃないとしても、突き落とすことは出来たんじゃないですか?」
「それも検視から分かることだよ」
女史はグラスに残った氷をさもしく囓る。
「もしも故意に突き落とせば、身体の前面、つまり顔や胸部、膝などに顕著な打撲痕ができる。そして不意に階段から転落した場合、ひとは腰からこけたり、身体の側面をうちつける。だから比較的、顔や胸部の骨折は少ない。これを見分けられない鑑識がいるとは思えない」
「な、なるほど」
「それに鏡自体は、被害者自身が持っていた。それをもって彼女は一階におりていったんだ。片手にスロープ。そしてもう片方に古鏡をもってね。そしてそこで転倒した」
「ああ、だからスロープの反対側の羽目板やステップに、傷があったのか」
「そう。あれは被害者が古鏡をもっていた」
「ん? じゃあ、その古鏡はどこから? なんで彼女はそれをもって下に?」
「忘れたのかい。彼女の寝所には水桶があっただろう」
「まさか」
女史は猫が鼠を見つけたように、にたりと笑った。
「そう。あの水桶には古鏡が入っていた。そして入れたのは伯母だった」
「でも、どうしてそんなこと・・・・・・」
「告発だよ。むかし『天竺鏡』を利用して、自分を地獄の世界に追いやった、憎き母親に対してのね」
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