第15話 懐郷(五)

 十月二日、私は朝早くホテルを出発して万葉線に乗った。


 最終日も快晴で、港町は早朝にもかかわらず蒸し暑かったが、日本海から吹く磯の香りのする風が私を爽快にした。


 仁美伯母は私が来るのを待っていた。朝早い時間に、神棚と仏壇にお供え物をしてお経を唱えるのが習慣になっていて、私もその手伝いをした。お供え物を買うため近くの乾物屋に行った時、伯母が「妹の息子です」と言って私のことを店主に紹介した。すると店主は、「ああ、よっちゃんの息子さんね」と懐かしむように答えていた。よっちゃんとは母親のあだ名であった。昔からここに住んでいる年寄りは母親のことをよく知っているらしい。


 仁美伯母が仏壇にお経を唱える前、私は、母親がいつも身に着けていたネックレスをそっと仏壇のなかに置いた。仁美伯母は、お経を唱えている途中に亡くなった親、兄弟、姪の名前を一人ずつ読み上げていた。


 伯母が読経を終えると、私は「じゃあ、もう帰るよ」と言って伯母に別れの挨拶をした。すると、伯母は私に握手を求めてきた。私が右手を差し伸べると、伯母は、両手で私の右手を強く握りしめた。私が手を引こうとしても離そうとしないで、私の右手をずっと強く握りしめていた。


「元気でいるんだよ。東京に着いたら連絡するんだよ」


 仁美伯母が目に涙を浮かべながら言った。


「東京に着いたら連絡するから」と伝えて私は仁美伯母の家を離れた。


 ホテルに着いた私は、高岡市内を観光するために自電車をレンタルして、高岡市内の地図を見ながら鋳物資料館いものしりょうかん高岡大仏たかおかだいぶつ高岡古城公園たかおかこじょうこうえん瑞龍寺ずいりゅうじを見学する計画を立てた。


 新高岡駅が出来たことによる影響か、駅前の商店街は荒涼こうりょうとしていた。昼食を商店街のどこかでとろうと思っていたのに、半数近くの店がシャッターを下ろしていたのである。駅周辺はわりと賑わっているが、地下街に入るとやはり店はまばらであった。


 一六〇九年(慶長けいちょう一四年)加賀藩かがはん二代藩主前田利長まえだとしながが高岡を城下町とした際、町を繁栄するため金谷町かなやまちを中心に鋳物いものの生産を盛んにした。以来高岡市は、鋳物産業の町として知られるようになったのである。鋳物資料館で、鋳物の製造道具や製造の様子、製造した鋳物の展示を見学した。


 高岡大仏は、大佛寺だいぶつじにある高さ一五・八五メートルの阿弥陀如来座像あみだにょらいざぞうである。大佛寺の山門の前に立つと、鎮座している荘厳な高岡大仏が忽然こつぜんとして姿を現す。この高岡大仏は、奈良大仏、鎌倉大仏と並んで日本の三大仏と称されている。高岡大仏も、一九〇〇年大火によって焼失した際に、鋳物職人によって再建された銅製の大仏である。丸みを帯びた大仏の顔の頬は嬰児えいじのように美しく、ころもは本物の絹をまとっているかのようである。


 高岡城は、前田利長によって一六〇九年(慶長けいちょう一四年)に築城された。しかし、一六一五年(元和げんな元年)一国一城令により高岡城は廃城となり、現在は高岡城跡の石垣が残るだけである。そのため高岡古城公園は、金沢城公園のような復元された城門が現存しているわけではなく、広漠こうばくとした物静かな公園は、私の興味をそそるものではなかった。


 特に長く見学に時間を費やしたのは瑞龍寺であった。瑞龍寺は、前田利長を弔うために、三代藩主前田利常まえだとしつねによって創建された。仏殿・法堂・山門が国宝に指定されており、その敷地は思っていたよりも広大である。まず、総門から山門まで広く、山門をくぐると鮮やかな緑の芝生、そして厳かな空間が広がっている。左側に禅堂ぜんどう、右側に大庫裏だいくり、前方に法堂ほうどうが建造されていて、それぞれの建造物は回廊でつながっている。仏殿の中の荘厳は言うまでもなく、いにしえの建造物がさらにその荘厳を際立たせているようである。


 高岡市内を観光した私は、ホテルをチェックアウトして新高岡駅に向かった。新高岡駅に着いたら海鮮料理を食べようと思っていたが、駅から周辺を見渡しても食事が出来そうな店は見当たらなかった。駅周辺はまだ開発中で、ショベルカーやブルドーザーやクレーン車が土埃を上げながら騒がしく工事を行っている。工事現場の重苦しい槌音つちおとがこだまして駅のところまで響いている。商店街らしき景観はまだ見られなかった。とはいうものの、新幹線が発着する駅なのだから、食べ物屋は豊富にあるだろうと思っていた。


 駅構内を歩いているうちに、売店で北陸名産の蟹弁当が山積みされているのに気がついた。立ち止まって眺めていると、売店の店員が「蟹弁当はすぐに売り切れてしまいます」と言うので、蟹弁当を購入して待合室のなかに入った。


 午後六時、私は東京行きの新幹線に乗り込んだ。

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