第14話 懐郷(四)

 仁美伯母の家に帰ると、伯母が弁当を取り寄せて私の帰りを待っていた。曳山が通る時間までまだ二時間ほどある。弁当を食べた私は、外の様子を見に行った。町のそこかしこで握り飯を作ったり、大鍋で汁物を煮たり、祭りの準備をはじめている地元の人達はいるが、見学する人の気配は感じなかった。本当に今日、曳山祭りが行われるのかと思われるほど町中は閑散かんさんとしていた。


 私は仁美伯母の家から外に出てはもどり、外に出てはもどりを繰り返し、私と仁美伯母はその都度、「来たか」「まだ来ない」を互いに言い合うのであった。


 午後二時だか三時だか、町中をしばらく歩いて、ある町角をまがると、


―見えた。曳山だ―


 遠くの方に二階建ての建物ほどの高さの曳山が見える。三色の鮮やかな花傘をあしらい、堅牢けんろうな車輪に支えられた曳山がゆっくりとこっちに向かって来る。その奥にもう一基、さらにその奥にもう一基。少しずつ大きく聞えて来る笛の音、太鼓の音。


 ピーヒョロローピーヒョロロ―、ドンドンドン。ピーヒョロローピーヒョロロ―、ドンドンドン……。


 曳山の前後に若い男が三人ずつ立っている。二人ははたきのような物をふりながら声をあげ、ひとりは拍子木ひょうしぎを叩いている。


 アイヤサーイヤサー(カンカンカン)。アイヤサーイヤサー(カンカンカン)……。


 私が立っている町角の所に来るとゆっくりと止まった。すると、今度は急に勢いよく走りだした。二十人ほどの男が曳山を支えている。勢いよく走りだした曳山は、車輪のきしむ音とアスファルトを削る鈍い音を伴いながら、角をその勢いのまま直角に曲がって走り去って行く。私は、スマホでその様子を録画した。


 アイヤサーイヤサー(カンカンカン)。アイヤサーイヤサー(カンカンカン)……。


 仁美伯母の家では、伯母が夕食の用意をしていた。家の前にも曳山が通ったそうだ。私がスマホで撮った曳山の動画を伯母に見せると、曳山よりもむしろスマホに興味を示したようで物珍しそうに眺めていた。動画を見た仁美伯母は、曳山囃子の音色を口ずさみながら若い頃のことを語りはじめた。伯母が若い頃、兄弟も曳山に乗っていたらしい。伯母の話によると、四男岳士たけしが笛を吹いて五男末義すえよしが太鼓を叩いていたのだそうだ。


 曳山祭りは休憩に入ったようだ。この間に曳山全体に提灯がかけられる。これからが曳山祭りの醍醐味だいごみである。外が騒がしくなってきたので、私も家の外に出て行った。やはり昼よりも夜の方が好評なようで、見学者の数が多くなってきた。自由に歩けないほどであった。


 私は曳山と並行して歩いた。暗闇のなか、明るく照らされた提灯に彩られた十三基の曳山が、列をなしてゆっくりと流れて行く様は、まるで幻想の世界で、大きな蛍が舞い踊っているかのようだ。


 夜も昼間と同様に町の角を勢いよく直角に曲がって行く。


 アイヤサーイヤサー(カンカンカン)。アイヤサーイヤサー(カンカンカン)……。


 絢爛けんらんな夜の曳山を堪能たんのうした私が仁美伯母の家に帰ると、伯母が玄関の前に椅子をだして人待ち顔に座っていた。奈呉町の曳山が家の前を通りかかった時、伯母は札の入った封筒を、法被はっぴを羽織っている年輩の男性に渡すように私に依頼した。私がその封筒を、法被を羽織っている男性に渡すと「何でこんなしきたりを知っているのか」といったていで私を見ていた。私は「あちらの方から」と仁美伯母の方を指さした。伯母は、年輩の男性を素知らぬ顔で厳然と椅子に腰かけている。その伯母の姿を瞥見した年輩の男性は、封筒を掲げながら曳山に乗っている若者に向かって大声で叫んだ。


「もろたぞお」


 その刹那、曳山の進行が止まって辺りは静まり返った。曳山に乗っている若者のひとりが声を張り上げる。


 ア、イヤッサア、イヤッサー


 若者の声がこだました。他の若者が合わせるように拍子木を叩く。


 カン、カン、カン


 アイヤサーイヤサー(カンカンカン)。アイヤサーイヤサー(カンカンカン)。


 一瞬、曳山が揺れて三度お辞儀をしているように見えた。


―きっと、これがお礼の挨拶あいさつなのだろう―


 そして曳山はまた、前進して前方に去って行った。


 夜の十時になった。十一時になると帰りが混むので早めにホテルにもどることにした。


 仁美伯母が、明日のスケジュールを私に聞いてきた。伯母は恵美子に頼んで車でどこか観光に行くことを考えていたようだ。


「おばちゃんも一緒に行くんでしょ」


 私は、仁美伯母に尋ねた、


「私も行きたいけど腰がちょっと痛いから」


 叔母が残念そうに答えた。私が富山行きを仁美伯母に伝えた時から、恵美子に観光についてお願いしていたらしい。


「おばちゃんが一緒でなければ行けないよ」

「二人で行ってくればいいじゃないか」

「俺と富山の親戚との関係を結びつけているのは、もうおばちゃんひとりだけなんだよ」

「……」


 仁美伯母は、私の話すことを黙って聞いて言い返してこなかった。


「それにね、恵美子にしろ、加代子にしろ、俺が物心ついてから二回くらいしか会っていないんだから」


 仁美伯母は、その場で恵美子に電話した。


「明日はパートの仕事があるので行けない」と恵美子が答えていたようだ。


 恵美子も状況を察した様子であった。


「とりあえず、明日の朝ここに別れの挨拶をしに来るから。挨拶したらホテルにもどって高岡を観光してから東京に帰るよ」

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