第24話 朝焼けと夜闇が示す未来


 早朝、目を覚ましたエクスは急に立ち上がろうとして盛大にこけた。こけながらも重いドアを開け、医療ボックスへ這い寄った。


「イ、イリス!!居ますか!?」


「うん、いるよ」


 エクスは逸る胸を撫で下ろした。


「今朝のは夢だったのですね」


「ううん。夢じゃない。思い出してみて」


 子細に思い出してみる。態度、一人称、声色。雰囲気、全てが違った。


「パーカー……、羽織ったときに腕がありました……!」


「あの後、熱が四十度近く出て分裂が起こった。名前はレイ。あれから私の中にあったものが確かになくなった」


 イリスは本能による声が聞こえなくなったという。本人の性格と対をなす凶暴な感情。たまに聞こえたと思えば自我を出し、命令をしてくる。その本能こそがレイだと言った。


「でもイリスはイリス。それは変わりませんし!」


「そうだね。私は学校に行ってくるね」


 イリスは登校。そっけない反応に違和感を憶えつつも様々な要因から、違和感を特定することができなかった。イリスの口数が減ったときは考え事をしているか、単に一人になりたいときだ。脅威は日中に訪れない。いつもイリスについて回るエクスも今日は自分を優先することに決めたのだった。



                 *



 イリスは黒板に書かれた日本語に落胆した。黒板にはテストの文字。指を折り数えど一向に辿り着くことのない日数ぶりのテスト。大学卒業以来、学校に暫く通っていない、つまり学力が低下しているということ。テストの結果は甘受しなければならない。普段ならどうでもいいことまで悩む様になってしまったことに酷く頭を抱えた。


「教材……どこにもない。大人しく零点取るしかないのか」


 対策をできる手段もなく、諦めて机に突っ伏した。


「おっ、君が舞月さんかぁ」


「だれ」


「出席番号十三だから……しがないクラスメイトMと名乗ろう!舞月さん、いいや兎影さん。モデルとかやってるの?」


「やってないよ。そういう君はどうなんだ」


「私はやってる。出席日数とか、単位危なくない程度にね。過去二回兎影さん来てたみたいだけど、仕事で学校これなくてさぁ……」


 兎影元いイリスはクラスメイトMの顔を両手で挟み、強引に近づけた。だいぶ困惑した表情で、急激に赤面へと変化。眼も泳いでいた。


「確かに人気ありそう。というか、せっかく早く来たんだし、私に構ってないで勉強しなよ」


「っ、ちょ……まっ。イケメン過ぎるんですけどぉっ!?」


「ふふ、うれしい」


「っあ、そうだね……!!勉強しよっか!分からないとこある?よければ教えるけど」


 彼女の教材が堆く机に積まれた。その中でも彼女は、得意科目と思われる教科の参考書を山から引き抜いて顔の横に並べた。モデルなだけあって顔が小さい。ゴミの山でも映えそうな笑顔の持ち主。


「国語とか、社会?を主に教えてほしい……かも。他はさらっとでいいからさ」


「暗記科目じゃん!!どうしよう。えっと、百ページから百五十ページまで読んでこの、クラスメイトM御用達の単語帳を見てからこの問題解いてみて」


「これが日本の歴史……」


「ファイトだ!」


 Mはイリスに問題を出題後、国語の問題作りに勤しんでいた。すると五分後、恐ろしいことが起こる。


「終わった……これで合ってるかな」


「どぇぇぇぇぇ!?速いっ……得点も九十点台。じゃあ次は国語の教科書の七十三ページから百六ページまで読んで、この問題を……」


 そしてイリスは指定範囲を速読。問題を解き終わり、Mに問題作りの時間を与えなかった。


「おっけ、終わった」


「はいはい。もう驚きません」


 Mは赤色のボールペンをノック。同じような形の丸を機械の様につけていく。


「どうよ」


「おや……八十点だね。ボーナス問題で落としてる。日本語は苦手?」


 対義語を答えよ。作者の心情を答えよ。次の文中のひらがなを漢字に直せ。そのどれもが空欄となっていた。逆に難しい文の読解は得意だそうだ。


「難しい言葉は分からない」


「まあ、静謐せいひつとか難しいよね」


「疲れた……テストまで寝よう?」


「うへぇ……余裕ですなぁ」


 何を考えたか、Mはスマホでカメラアプリを起動して本人の許可なしに撮影を始めた。シャッター音は出ないよう細工がされていた。


「あっ、ちょ。やめ」


「イケメンは目の保養になるんだぁ……癒してくれぇ」


 イリスはMのスマホが心配になった。以前、シャーロットが口にした写真が消失。カメラが原因不明の故障。机に一滴、冷や汗が落ちる。


「んん」


「風邪?」


「いや……写真」


「ん……?って、あああああああああ!?スマホ点かない!!」


 スマホは破壊に終わった。モデルのMのスマホが破壊。Mにとっては一つの生命線だろう。イリスは代替品をMに手渡した。スマホより遥かに高性能なデバイス。その気にさえなればものの数分で他人の機器を破壊するボタンを作成できる悪魔のデバイス。


「疫病神でごめん。悪用しちゃだめだからね」


「そんなこともあろうかとインスタントカメラを用意してあるっ!!」


 素晴らしい執念だ。イリスは感嘆して小さく素早い拍手をした。


「壊れるにワンコイン賭ける」


「大丈夫だ、行ける!!」


 迫真の表情。Mは全力でシャッターを切る。


「どうだった……。結果は!?」


「……やったっ。イケメンの写真げっとぉぉぉぉぉっ!!」


 Mは勝利の雄叫びを放つ。テストで赤点を回避した時のような甘い蜜の味を舌に刻み込んだ。厄介な呪いとも呼べる現象を跳ね除けての勝利。そして性能ではなく、機能的に勝利した奇跡の一枚。


「……った!」


「これは一生もののお守りだね」


「うんっ!」


 どんな神社のお守りでも勝ることのできない青春の思い出。自信と勇気が詰まった最高の一枚。二人は止まない感動の波に満足以上に揉まれ、HRが始まるまで寝てしまったのであった。



                 *



 テスト終了。イリスは「冷静の対義語を答えよ」というボーナス問題を解くことができなかった。冷静の反対、つまり冷静ではない状態。様々な言葉が頭の中で巡る。愁嘆、憤慨、焦燥。どれも意味合いが問題が欲している解答とはかけ離れている。「注文と同じテイストでスープを提供する。曲解せずに解答しなければならない」テスト開始前に国語教師が残した言葉。


 イリスはとてもブルーになった。校舎裏から委員長の声。当然ながらHR教室でのテストのため、校舎裏付近の教室、化学室には誰も寄り付かない。そして相槌を打つ声の主はイリス、ではなくレイの声だった。イリスは身を隠した。


「話ってなんだよ」


「夢というものは美しい。夢というものは希望でもあり、絶望でもある。ジャネーの法則によれば二十歳で体感、人生の半分が終わっているという」


 レイは首を傾げながらも沈黙していた。そして委員長は言葉を繋ぐ。


「小学生で、あのアイドルの様になれるかな、って夢を持った。中学三年の、夢を叶え始めた頃に見える世界が灰色になった。親からは無理だ、諦めろって」


「成れるのは一握りだけ。抱いたものを捨てて残る物は後悔と未練。今更諦められないってか」


「うん。他の人に夢はあるかって訊いても分からないの一言。できるなら私も分からないって言いたかった。でももう遅い。絶対にアイドルになる。絶対に夢を叶える。お願い、一緒にアイドルになって!!」


 レイは委員長の手を取った。


「目指すなら頂点だ」


 高校生ながらモデルやアイドル業に就いている者。イリスは気が付いた。二十歳で体感、人生の半分が終わっている。この世界の人間の寿命は短い。夢について深く悩むほど、大人になってから夢を追いかけるのは遅いという思考に陥る。委員長の様に夢を叶えたいという願望が強く顕れるほど夢という絶望に心を蝕まれていく。


 人生百年時代、百年を日数に直すと三万六千五百日。イリスにとって、この世界の人間の生はたった三十六年の出来事に過ぎない。時間を無駄にしている暇はない。


 イリスは涙を溢しながら校舎の壁を駆け登った。



                 *



「……ただいま」


「お帰り、イリス」


「帰ってきたか、イリス」


「なんで居るの」


 戦乙女ヴァルキュリア、カンナ、嘉多奈が基地でくつろいでいた。


「遊びに来た」


「ああ、そう」


 イリスは一人になる為に屋上に逃げ込んだ。


「随分そっけないじゃない?」


 カンナや嘉多奈はバトル以外では仮面を外しているが戦乙女ヴァルキュリアは顔を隠したまま。


「なに戦乙女ヴァルキュリア。いいや、松井さん」


「やっぱり、気が付いてた?」


 松井さんは手に持っていたホットコーヒー入りのカップを置いて仮面を取った。イリスの、この世界での初めてのお友達。そして電気屋さんの店員。松井さんが怪盗バトルに参加し、エクスをボコボコにした事実が面白くなってイリスは微笑した。


「まさか、ね。松井さん、妹いるって言ったっけ。嘉多奈は家族?妹?」


「そうよ。嘉多奈、嘉奈は妹、次女。その下にも四人いる。ついでに私の名前は椿っていうの」


 六人姉弟。一度目の大怪盗バトル時、嘉多奈がお金を必要としている理由があると、イリスは推測。お金が必要な理由、それは下の子たちの学費であろう。戯曲時に宝石を一人二つ。計四つ美術館から奪った。四つ以上宝石を奪えていなければ現状は平行線。一つでも多く奪えていれば解決といったところだ。


「お宝まだ一回も奪えてないけど大丈夫?宝石要る?」


「こう言っては何だけど施しは受けないわ。……でも、グッズを展開したのは洋介さんみたいで、ストロベリーの分、収益を頂いたのよ。それだけでも問題は解決しちゃう額で、とても感謝しているわ」


「やっぱり洋介がやってたのか……。武器とかお金かかるもんね」


 椿はカップを一つイリスに手渡した。


「あれからゲームはやってるかしら?」


「ごめん……あれからあの家に帰ってなくて、ゲームもやってない」


 イリスはコーヒーを飲み干して扉に手をかけた。


「気にすることはないわ。明日も頑張りましょう」


「おやすみなさい」


 その言葉を残して早い時間から床に就いた。

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