第34話 もえきゅん☆
『モエは自らの意思で、私たちのもとへ来てくれました』
自らの意思。
ケートスとの対話をし、もえきゅん☆はその場で即断。誰にも何の連絡もしないままで旅立った。
「どうしてわたしたちには何も言ってくれなかったのでしょうか……」
一言「いってくる」と声をかけてくれれば……。「心配しないで」と事情を話してくれれば……。
また目の奥から涙が溢れてくる。
『アクアをないがしろにしていたとは考えにくいです。ケートスとモエの間で、時間に関する認識違いがあったのが原因でしょう』
「時間の認識違い……?」
『モエには人間の代表として、わたしたちの意思を伝える使者となってもらいたいと考えました。ケートスを通じて、「私たちの話を聞いてほしい。短い時間で帰れるように配慮するし、準備もいらない」とそう伝えました』
「それが5年も……」
『それは大変申し訳なく思っています。モエが空間転移の仕組みを理解したいと言った時に、そのルールについてしっかりと説明しておけばこんなことにはならなかった』
さっき聞いた干渉に関するルール。
一度干渉してしまったら、やり直しは聞かない。
『空間転移の指導をしている中で、モエとケートスは、誤って地球の衛星である月に近づいてしまったのです』
「昨年、月周回軌道上で正体不明の信号をキャッチしたという報告は受けています。それが関係していますか?」
『関係しています。モエとケートスが地球時間でいうところの昨年末に、月に存在していたことが記録されてしまった。5年前から見れば、未来に干渉してしまったことになります。つまり、昨年末より以前の地球にモエが戻るわけにはいかなくなったのです』
そっか……。早くても4年経った後でないと地球に戻れない。それ以前に戻ると、もえきゅん☆が2人存在してしまうことになるから……。
「事情は理解しました。ですが心情的にはもっと早く知らせてほしかった。人間の寿命はあなたがたが考えるよりも短い。5年という時は永遠とも思えるほど長いのです」
ライトお姉ちゃんが言うとおりだ。
本当に長い。
わたしにとってみれば永遠だよ……。
『モエとの対話の中でそれは理解しました。理解が足らず申し訳なく思っています。その憂いも今日までの話です』
「というと?」
『先ほどお伝えしたとおり、私たちには人間を死の概念から解放する手助けができます』
さっきのとんでもない話に戻ってくるわけね。
死からの解放、か。
想像もできないけれど、きっとまじめに言っているのよね。
『肉体を捨て、死から解放されることで、時間に対する憂いも、愛する者を失う悲しみからも解き放たれることでしょう』
肉体を捨てる……。死の恐怖。時間、愛する者を失う悲しみ……。
「その話を聞いて、モエは何と答えましたか?」
もえきゅん☆はどう答えたんだろう。
「人間は生きているから楽しいの」かな。それとも「やった! 永遠の命バンザイ」かな。うーん。想像がつかない。
『モエは私たちに対して――』
「ゼロ。そこからは自分で答えるんだぞ♡」
背後から聞こえてくる声。
懐かしい声だ。
ああ、ずっと聞きたかった声……。
「もえきゅん☆!」
わたしは振り返る。
溢れた涙ではっきりとその姿を見ることはできない。でも、そのぼんやりとしたシルエットに吸い寄せられるように身体が動く。わたしはもえきゅん☆にタックルし、腰あたりに縋りついた。
「お~よしよし♡ アクア様どうしたの~? こんなに泣いちゃって~」
もえきゅん☆だ。
わたしの頭をやさしく撫でてくれるのは、妄想じゃない、本物のもえきゅん☆だった。
「だってもえきゅん☆が急にいなくなるから……。淋しくて……うわああぁぁぁぁぁぁん」
さっき枯れたはずの涙がとめどなく溢れてくる。
紅茶ね、さっき紅茶を飲んだからまた涙が作られて……。
「こんなところまで迎えに来なくても、夕飯までには帰るつもりだぞ♡」
もえきゅん☆は、わたしをからかうように、おでこに軽くデコピンをしてくる。
「モエ。無事で良かった。あなたが食べるつもりだった夕飯は、とっくの昔に冷めてしまいましたよ。あなたが少しのつもりで出かけてから、地球ではもう5年の時が経っているのです」
「あれ? お姉ちゃんがいる~。わざわざお姉ちゃんまで迎えに来たの? うん? ねえ、5年ってどういうことなの? ゼロ? ゼロ?」
もえきゅん☆がたくさんのことに驚きすぎて、小さなパニックを起こしていた。
わたしは立ち上がり、正面からもえきゅん☆を抱きしめる。
『伝えるのが遅くなり申し訳ありません。モエとケートスが月軌道を経由したことが原因で、モエがシカゴと呼ぶ場所へ送り届けることができなくなりました』
「月軌道……。あ~あの時の。そっか~」
心当たりがあるのか、もえきゅん☆は確認するように何度か小さくうなずいた。
「そっか、5年かあ。モエの体感的には半日も経ってないんだぞ……。そっか……ずいぶん待たせてしまったのね。麻衣華、つらい思いをさせてごめんなさい……」
わたしは名前を呼ばれ、アクア様のアバターを解いた。
「お~、麻衣華だ♡ 5年だ~♡ すっかり大人っぽくなったね♡ 背もちょっと伸びた?」
もえきゅん☆は、一度わたしから体を離してつぶさに観察してから、再び背中に手を回して抱きついてきた。
わたしもそれに応えて強く抱きしめ返す。
「背はちょっとだけね……。わたし、もう21歳になったよ。もえきゅん☆と同い年になっちゃった」
「年齢の話は秘密なんだぞ♡」
「お姉ちゃんは29歳になってしまいましたよ……」
ライトお姉ちゃんが悲しそうな声を出す。
もう少しで30歳だけどね。
「もえきゅん☆だけ年をとってないなんてずるいんだー。お姉ちゃんなんて、出会いもないし、このままオールドミス一直線だよ? 良い人紹介してあげてよー」
「お姉ちゃんは結婚できないわけではなく、していないだけです! 勘違いしないでください!」
と、いつもの義姉妹トークを繰り広げていると、もえきゅん☆の手がわたしの背中からスッと下に移動し、お尻をつねってくる。
「ふ~ん? 麻衣華とお姉ちゃんはずいぶん仲良しになったのね? モエに内緒で? ふ~ん? ふ~~~ん?」
あれ? これってもしかして……嫉妬⁉
もえきゅん☆から嫉妬されちゃったー! いやーん♡
わたしはもえきゅん☆の首筋にそっとキスをした。
「お姉ちゃんとは師弟関係なだけだよー。Sランク冒険者になるために鍛えてもらってるのー。わたしにはもえきゅん☆だけだから、心配しないで♡」
スンスン。
これが嫉妬の匂い。忘れかけていた懐かしいもえきゅん☆だー。
「そうですよ、モエ。心配するような関係ではありません。お姉ちゃんとマイカは義理の姉妹の契りを交わしただけです。そして同じ屋根の下に暮らしていて、毎日ご飯を一緒に食べ、毎日ダンジョンに通っているだけの関係です」
「へ~そうなんだ~。ふ~ん? ずいぶん仲良しさんだこと~。ふ~ん?」
ああ! 余計な情報を!
もえきゅん☆の声がどんどん低く冷たくなっていく!
「わわわわたし! Aランク冒険者になったんだよ! 日本のダンジョンは全部制覇したし、今は海外の難しいダンジョンを回って実績を作っているの!」
なんとか話題を変えないと!
「麻衣華はがんばってるのね~。……お姉ちゃんと一緒に!」
そ、そうなんだけど。そうじゃないんだよぉ。
「でも5年でAランクはとてもすごいことなんだぞ♡」
「あ、うん。でも実はAランク認定を受けたのは5年前なの。もえきゅん☆がいなくなってすぐ、冒険者協会に呼ばれて――」
この5年間のことを掻い摘んでもえきゅん☆に説明した。
ケートス討伐のために世界規模でチームが編成されていること。その目的でAランクに認定されたこと。お姉ちゃんと出会ったこと。Sランクを目指すために活動していること。
「モエがいなくなったばっかりに、麻衣華には心配と迷惑をかけてしまったのね……」
「いいの……。もえきゅん☆が無事なら、そんなのどうだっていい!」
こうしてもえきゅん☆がわたしの前にいる。
それだけで、これまでの苦労なんてすべてどうでもよくなるんだから。
「もうどこにもいかないで……。離れずわたしのそばにいてよ……」
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