第13話 センパイが隣にいてよかった

 俺の肩で、萌仲が顔を隠していた時間は、五分もなかったと思う。


 その間、彼女がどんな顔をしていたのかは知らない。見えなかったから。

 そういうことにしておこう。


 だから、顔を上げた萌仲の目元が少し赤くなっているのも、気づかないことにする。


「ごめん、取り乱しました」

「いい匂いだったよ」

「ほんと~? キモいけど嬉しい」

「なかなか同時に達成することない評価だな」

「ふふっ。よかったじゃん」


 萌仲はなにごともなかったように、明るく笑った。


「そうやって冗談風に言って、私が気にしないようにしてくれるとこ、好き」

「……考えすぎだ。俺だって男だぞ」

「いーの。私がそう解釈したんだもん」


 真面目な話が嫌いなだけだ。


 萌仲は立ち上がり、膝の土汚れを手で払う。


「センパイ、ありがと」


 彼女は腰を少し屈めて、俺に手を差し出した。

 俺はその手を取って、立ち上がる。


「なんもしてない」

「センパイは今回もそう言うんだね。優しすぎ」

「本当になにもしない。というか、なにもできなかった。特に今回は」

「そんなことない。……私一人じゃ、きっと受け止められなかったもん。センパイが隣にいてくれてよかった」


 萌仲を救えるなんて、驕るつもりはない。

 生徒会長だなんて言っても、俺のできることはたかがしれてる。所詮は一人に高校生。ガキだ。


 でも、微力でも助けになれたなら、嬉しいと思う。

 自己満足に過ぎないけど。


「そういえば、白旗は……」


 木の陰から顔を出して、辺りを見渡す。

 見える限り、白旗の姿はなかった。


「いない、な」

「よかったぁ」


 タバコを吸っている時間なんてせいぜい数分のはず。勤務中だし、もう戻ったのだろう。


 俺に続いておそるおそる周囲を確認した萌仲も、ほっと息をつく。


「落ち着いたら腹立ってきた! 白旗め~」

「諦めちゃった、とか物憂げに言ってなかったか?」

「女心は秋の空、だよ。パイセン。わかってないなぁ」

「めんどくさ……」


 口ではそう言いつつも、表情は明るい。

 気持ちの切り替えは済んだようだ。救えなくても、落ち着くまでの一助にはなれたみたい。


「そろそろ戻るか」

「うん。お腹空いたからまたコンビニ寄ってこ。やけ食いに付き合え~」

「しゃーねえな」

「中身はあげるからさ。私は殻だけでいいよ」

「チョコエッグのチョコの部分、殻って呼んでるの?」

「卵だもん」


 くだらない話をしながら、生徒会室に戻る。

 時間も時間だし、このまま帰ることになるだろう。


 生徒会室があるのは三階。

 やや重たい足取りで、階段を上る。


「面倒だし、ジャージのままでいいや」

「私もそうする~」


 うちの高校は、部活帰りの生徒も多いため、ジャージでの下校は容認されている。


 わざわざ着替える用事もないのでいつも制服で帰宅しているが、今日は正当な理由がある。

 ジャージで帰っても問題ない。ちょうど、体育で使って洗濯したかったところだ。


「生徒会室に来たの二日目なのに、なんか帰って来た~って感じする」

「俺はもう家より居心地いいよ」

「わかる。なんか落ち着くよね。センパイもいるし……」

「いや、萌仲がいるとあんまり落ち着かないかも」

「ひっど~。泣いちゃう。肩貸して」

「やめろ。鼻水で汚れるだろうが」

「おい!! そんなわけないじゃん! ……え、ないよね?」


 萌仲が俺の肩を凝視する。

 別についても責めやしないが、おそらくついてないだろう。


 荷物を取って、いつも通り施錠する。

 職員室に鍵を返し、そのまま連れたって校舎を出た。


「あ、一個言い忘れてた」


 隣を歩く萌仲が一歩俺に近づいた。その拍子に肩が触れる。

 彼女は俺を横から覗き込むように、顔を近づけた。


「センパイもいい匂いだったよ」

「……柔軟剤の匂いかな」

「ううん、汗」

「てめえ……」


 あはは、と陽が沈みかけた街に、高笑いが響いた。


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