第12話 センパイ、待って

「……そういうことか」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


 昨日、この場所で萌仲は退学の危機に瀕していた。

 タバコの箱が置いてあり、そこに丁度彼女が居合わせてしまったことで、喫煙していると疑われたからだ。


 未成年の喫煙は、法律で禁止されている。

 ましてや、ここは学校の敷地内。それが本当なら、厳罰は免れない。


 だが、それは冤罪だった。見ていたから間違いない。


 では、そのタバコは誰のものだったのか?

 それは結局、分からず仕舞いだった。


 タバコは……そう、白旗先生が回収していったのだ。その後のことは知らない。


 だが、昨日と同じ場所で、タバコを吸っている姿を見れば、簡単に答えが導きだせた。


「白旗のタバコだったのか」


 隣で、萌仲は絶句している。


 みぞおちの奥が、ずしりと重い。

 この感情は何というのだったか。そうだ――怒りだ。


「自分のタバコだったくせに、生徒のせいにするつもりだったのかよ……ッ」


 理解できない。

 納得できない。


 それをする理由も、動機も、メリットも、なにもかもが意味不明だった。


 いや、理解したくないだけかもしれない。


 一定数、醜く愚かな人間というのは存在する。

 他人を貶めることを楽しむような人間だ。気に食わない相手、嫌いな相手、自分より成功している人間……それらが落ちぶれていく様を見て、喜ぶのだ。そんなことしたって、自分が上に上がるわけでもないのに。


 珍しくもない。ネットニュースのコメント欄でも見れば、むしろそっちが多数派なのだと勘違いしてしまうほどいる。


 それが、白旗だっただけだ。


 なまじ、学校内では生徒指導という地位にいるのがタチが悪い。

 彼が黒といえば、状況証拠だけで生徒を処分することも、不可能ではないから。


「クソ野郎……」

「センパイ、待って!」


 一歩踏み出した俺の腕を、萌仲がぐっと掴んだ。

 そのまま、腕に抱き着くように俺を止める。


「なんだよ」

「センパイ、怖い顔してる」

「そりゃ、するだろ。だって、あいつは自分の罪をなすりつけてお前をッ」


 途中まで言って……萌仲の顔を見て、言葉を詰まらせた。

 泣きそうな顔をしていたからだ。それでいて、優しく微笑んでいる。


「ありがとう。私のために怒ってくれてるんだ」

「そんなんじゃない。ただムカついてるだけだ」

「こっち来て」


 一呼吸して、気持ちを落ち着かせる。

 萌仲に引っ張られたので、木の陰に移動した。


「……すまん。萌仲を差し置いて俺が怒る資格なんてないよな」

「ううん。怒ってくれて嬉しかった」


 木の幹を背にへたり込む。萌仲は、俺の前で膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 まだ、腹の奥が煮えたぎっている。しばらく収まりそうにない。


 自分が気持ちよくなるために、人の足を引っ張る。俺が一番嫌いなタイプの人間だ。

 あいつ、自分のタバコだと知っていたくせに、なんであんなガチギレできたんだ?

 考えれば考えるほど、怒りが湧いてくる。


「萌仲のことは別にしても、そもそも教師であっても校内は禁煙だ。それだけで、十分に処分の対象にはなる」

「生徒会長としては見過ごせない?」

「……当然だ。校内の治安維持のために……」

「嘘だね。センパイはそんな正義感溢れる人じゃないでしょ」


 それは、そうだ。

 俺は別に、規則やルール、慣習なんてものを重要視していない。


 俺が見過ごせないのは、誰かが不当に被害を被ることだ。正義なんかじゃない。ただ、ムカつく。


「ここで白旗先生を糾弾することに、センパイのメリットはある? 先生と揉めたくないでしょ?」

「……だから、見逃すと?」

「私のせいでセンパイの迷惑になるのは、嫌」


 萌仲がまっすぐ俺の目を見て、そう言った。


「私だってムカついてる。今すぐ行って殴り飛ばしたい。……でもね、いいんだ。もう、諦めちゃった」

「諦めた?」

「昔からこんなことばっかりだからさ、私」


 切なそうに、目を細めて。


「センパイが代わりに怒ってくれた。今はこれで十分。だから、あざすっ」


 そして、おどけたように、右手で敬礼した。


「……ごめん」

「なんで謝るの」

「だせえな俺、と思って」

「ううん、嬉しかった」


 勝手にキレて、後輩に気を遣わせて。


 萌仲が止めなかったら、どうしていただろう。

 面と向かって問い詰めて、校長にでも報告して、白旗を処分させて……。萌仲のことがなかったら、絶対やらないことだ。

 恨みを買うだけで、俺にメリットがない。俺に怒る権利も、ない。


 でもそれを、ほかならぬ萌仲に指摘させてしまったことがダサすぎる。

 彼女にはそれをする正当な理由があるのに、俺よりも冷静だった。


「……一個だけ、いいカッコしてもいいか?」

「んー?」

「実は、こっそり写真撮ってた」


 スマホを開いて、カメラロールを開く。

 そこには、校舎をバックにタバコを吸う白旗の姿がはっきり映っていた。


「おっ、さっすが~。もしかして盗撮のプロ?」

「不名誉すぎる称号はやめてくれ」

「もしかして私のことも盗撮してる?」

「その手があったか」

「どうせなら今度一緒に撮ろうよ。今は……私がぶさいくだからダメ」


 萌仲のおかげで、なんとか平静を取り戻した。

 さっきまでの俺は、冷静じゃなかったと思う。


 ただ糾弾しても意味ない。その場の勢いで怒るなんてもってのほかだ。

 せっかくのカードだ。一番有効なタイミングで切らないとな?


「ねえ、もう一個、いいカッコしてよ」

「もう一個?」

「うん。ちょっと胸、貸して」


 言うが早いか、萌仲が倒れこむようにくっついてきた。

 ジャージを強く掴んで、俺の肩に目元を押し付ける。


「汚しちゃうかも」

「ジャージだから大丈夫」


 そのまま、萌仲は声を押し殺すように、わずかに嗚咽を漏らした。





〇作者コメント

白旗は絶対許さないのでご安心を(?)

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