テルの物語 -8

 帰ると奥に明かりがついていた。親父っさんの部屋だ。幸司は静かに自分の部屋に戻った。順一は親父っさんの部屋を覗きに行ってみた。

「おう! お帰り。座れ、寒かったろう」

 部屋が暖かい。

「おい! 戻ったぞ」

「あいよ」

 少しして甘い匂いが立ち込めた。

「明日出すつもりだったんだけどね、味見しとくれよ。砂糖が足りないとか甘すぎるとか」

 しるこだ。餅も入っている。手も体も冷えている。椀は熱い。けれどちょっと啜った。火傷をしそうだが甘い。心の中に沁み込んでいく。ふう、ふう、と息を吹きながらしるこを啜った。餅を頬張る。

「あふい」

 熱い、と言いつつでも美味しくて。空になったのが残念で、椀を置いた。

「ご馳走さまでした」

「どうだった? 美味かったかい?」

「美味しかったです、このままがいいです」

「寝る前だからね、続きは明日お食べ」

 椀を持って女将さんが出て行く。

「俺、働きます。別に給料がどうのって言うんじゃなくて。当番もちゃんとやって。普通に生活したいです。大丈夫とかじゃなくて、そうした方がいいって思います」

「そうか。いいよ、そうしたいと思うならそうしていいんだ。お前が選ぶことだからな。どうする? 和泉んとこに通うか?」

「……したいことかどうか分からないです。それでもいいのかな」

「やってく内に道が見つかることもあるさ。勉強だって自分で考えりゃいい。学校に行きたきゃ行け」

「学校は……行きたくないです。でも本を読んだり自分で勉強したりしたいです。学校って追っかけられる…… ちゃんと戦っていけないから」

「戦いたいのか? 誰と?」

「俺を…… 見張ってるやつと」

 意味は伝わらないだろうと思った。何を言っているのかと。

「そいつぁ難儀だ。誰も手助けなんぞ出来ねぇ。でもな、誰でもそいつを自分のうちに持ってるよ。逃げ出すことを決めるヤツ。戦うことを決めるヤツ。どっちも自分の決め事だ。誰にも分かるこっちゃねぇ。戦うことから手を引くことだって出来る。自分の思う通りにやってみろ」


 分かってくれた…… それだけで良かった。


「当番はお前たちに任せてあることだ。話し合ってやればいい。お前のお蔭でだいぶみんな楽してるからな。当番復活だって宣言してやれ。俺ぁ…… 嬉しいよ。『ここ』を認めてくれたんだってな。お前の中でいてもいい所だって思ってくれた。ありがとよ」

「親父っさん」

「時々な、俺だって考えちまう時があるのさ。俺のしていることに意味があるのかってな。所詮は自己満足じゃねぇか、悪さしてることを正当化してるだけじゃないかって。俺も本当はおんなじだ。俺も戦ってる。所詮はヤクザなんだ、人さまに認めてもらえるようなもんじゃねぇ。だから、迷う、失うもんと引き換えにして生きてるんだって」

 それは…… 幸司のことなんだろうか……

「だが、俺はこうやって生きる。そう決めている。三途川勝蔵の背負うことだ。俺はこの荷を道端に捨てるつもりはねぇんだ。お前は俺に勇気をくれたよ。だから礼を言うんだ」


 二十歳になった。境界線のどちらにいるのか自分で決めていい。順一はこの家に留まることを選んだ。親父っさんには「決めたので」そう言った。親父っさんは「そうか」と言った。

「でも盃はやらねぇぞ。お前は真っ当に生きてくんだ。居場所がここだっていう、ただそれだけだ」

 笑うだけで順一は頷きはしなかった。


 テルと呼ばれるようになる。チラッとコンプレックスが生まれた。頭を鏡に映して手でふわっとしてるところをお嬢に見られた。

(しまった!)

そう思った時には遅い。お嬢はにやっと笑った。

「そう! 気にしてんのね。そうよね、まだ二十歳なんだし。じゃ、気にしないで済むようにしてあげる! 今日からあんたは……『テル』! それならいいわね?」

 何がどういいのか。

「薄いから禿げることを気にしてるんでしょ? どうせそうなっちゃうならウィークポイントをアピールポイントに変えなさい。だから『はげてる』っていう言葉の中から『てる』を抜き出して、『テル』。ね? いいと思わない?」

 開いた口が塞がらない。自分のコンプレックスをアピールポイントに変える……

 お嬢が頭を撫でた。

「テル。愛すべき禿げよ。堂々となさい」

 その後姿を睨んだ。お嬢が決めた。ならこれからはそう呼ばれる。

「冗談じゃねぇや、俺はまだ二十歳なんだ、頭を笑われて堪るか!」

 だが定着してしまった。受け入れるしかない、みんなが自分をそうとしか呼ばなくなってしまったのだから。

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