テルの物語 -4
とは言っても、金額を見ると怯んでしまった。机も本棚も思ったより高い。
(父さんも母さんも俺にこんなにあれこれしてくれてたんだ……)
自分で選ぶとなるとそのことが真っ先に頭に過ぎった。
「どれ? 気に入ったのある?」
「ここにあるだけなんだよね?」
「あとはデパートとかに行かないと」
慌てて首を振った。
「そんなとこいい、デパートなんて母さんがお世話になった人に何か買う時くらいしか入ったこと無い」
庄田がくすっと笑う。
「あんた、真面目そう。じゃ値段とか見て決める口だね。別にさ、贅沢しろって言ってないよ。あんたがきれいに使ってくれりゃ、あんたの後に入ったヤツ喜ぶだろうし。そう思って買ってくんない?」
そう言われれば楽になる。そうすると使い勝手で選ぶべきだ。後から使う人にも使いやすいもの。
選び方の基準が出来たことで選びやすくなった。
「本棚はこれがいい」
「机はこれかな」
「椅子は」
「椅子って座ってみて選んだ方がいいって小林さんが言ってた」
「小林さん?」
「たまに来る弁護士さん」
そう言えば何もあの家のことについて教わっていない。
「庄田くん」
「『カネ』でいいよ。みんなそう呼ぶから。ウチの親ってがっついててさ、俺の名前にまで『金が生まれるように』ってつけたんだって。馬鹿だろって思うよ。俺はコソ泥やって取っ捕まったんだ」
「じゃ、少年院出たってこと?」
「違う。ガキだったからさ、もっと緩いとこ入った。親がひでぇからここに預けられたんだ」
とすれば、こうやって笑っているが望みがあると三途川さんが思ったから引き取られたんだろう。
「三途川さんって、慈善家?」
「まっさかぁ!」
カネは笑い出す。
「あの人さ、ヤクザの組長だよ。かなり変わってるけど」
「ヤ……」
固まった。世界が違い過ぎる。
「引いちゃった? でも親父っさんの言うことにはいつも嘘は無いよ。お巡りより確かなことを言ってくれる。あの家にいるヤクザは親父っさんと板倉さんだけ。他はみんな居候」
カネはいろいろ教えてくれた。当番の仕組みのこと、食事に決まりごとがあるくらいで後は自分で考えなくちゃいけないこと。
「食事の決まり事って言ってもさ、朝7時に食いそびれたら台所の小さいテーブルで食わなきゃなんないってくらい。後は夕食もみんなで食うよ。外で食ってもいいんだ。でも団体行動ってのは食事くらいのもんだから」
「自分で考えるって、例えば?」
「それも考えんの。取り敢えずそれについちゃ3日間は教えちゃなんないことになってるからさ、自分であれこれ考えてみてくれる?」
あれこれ考える。考えるのは得意だがあまりにも漠然としている。
(3日経ったら教えてくれるのかな)
夕食の時に驚いたのは、こんなに人がいたのかと言うこと。三途川さんには奥さんと娘さんと息子さんがいた。娘さんはありささんと言って19歳の大学生。ITを勉強しているのだと聞いた。息子さんは幸司さん、16歳の高校生。ありささんはとてもきれいで元気のいい人。みんなが一目置いているし、堂々としている。幸司さんは自分の一つ下で、儚げに笑う人だ。とてもカネと同い年には見えない。奥さんはピシッとしていて三途川さんも時々丁寧に話しかけたりすることがある。
他には6人の知らない人。そんな大勢が座ってもまだ部屋の中は余っている。テーブルは家族の分の小さいのと、みんな用の大きいのを2つ繋げてある。どこに座らされるのかドキドキしていたが、一番末席、カネの隣だったのでほっとした。
食べる前に三途川さんが喋り出したので、みんなが静かになった。
「八木順一。今日から俺が預かった。順一、手を上げろ」
恐る恐る手を上げるとみんなが自分を見る。どの顔も恐ろしげに見えて下を向きそうになった。
「順一、私、ありさ。よろしくね!」
「は、はい!」
「よろしくな、俺はでかっちり。ケツがデカいからそう呼ばれてる」
「俺はチョビだ。最初の頃ちょび髭を生やしてたんだ。それがイヤで髭を剃ったんだけどあだ名はそのまんま」
吹き出しそうになる。『ちょび』はずんぐりとした40くらいの人だ。
「イビキ。隣の部屋のヤツまで起こすって濡れ衣をかけられた。それがそのままあだ名になって」
「嘘つけ! お前のせいで俺は安眠したことが無いんだからな! あ、おれはドナ。すぐ怒鳴るから」
(まともに呼ばれてる人がいない…… 板倉さんくらい?)
どれも碌なあだ名じゃない。『カネ』くらいだ、マシなのは。自分になんというあだ名がつくのか怖くなってくる。
(今のとこ、順一だから大人しくしとこ)
近くに座っているゴネが教えてくれた。
「あだ名はな、最初はいろいろ変わるんだ。で、お嬢が呼んだあだ名で定着する。一応、決まりだ。というより、お嬢には誰も逆らえないんでな」
(お嬢、ありささん? あの人が決めるの?)
どう聞いても面白そうなあだ名が選ばれている。何となくありさという人が分かったような気がした。
買い物に行った二日後には荷が配送されて来た。いくつかは組み立て式で、カネが手伝ってくれたが上手く行かない。ガタガタとやっていると次々と手伝いの手が増えて行った。
「順一、なんか届いたぞー」
下から誰かの声がする。
「はい!」
駆け下りて行くと本屋から届いたものだ。買うときは良かったが重い。
「なんだ、そのへっぴり腰は。先に上がれ、持って行ってやる」
でかっちりが本を運んでくれた。実は順一はこの人にだけはあだ名で呼んでいない。『でかっちり』その言葉を口に出来ない。『ちょびさん』『イビキさん』『ゴネさん』くらいは言える。ちなみに『ゴネさん』はすぐにゴネるからそう呼ばれるようになったそうだ。だが『でかっちりさん』はだめだ。だから「あの」とか「すみません」とか呼びかけてしまう。
重い段ボールを運んでもらい、思わず「あの、ありがとうございました」と礼を言った。
「俺さ、『あの』さんじゃないんだけど」
「いえ、えっと」
「言いにくいんだろ、順一」
そばで組み立てをしながらイビキが言う。
「でかっちりなんてそりゃ順一みたいな真面目なヤツには言えねぇよな」
からかわれているのか、お高く止まっていると思われたのか。この家に来ても自分を受け入れてくれない人が出来るのは嫌だった。
「……っちりさん」
「ん?」
わざとでかっちりが耳に手を当てて順一の口元に近づく。
「……でかっちりさん、ありがとうございました」
蚊の泣くような声で言うと背中をバンバンとでかっちりに叩かれた。
「俺にも慣れてくれよな。俺がいるの、あと1週間だから」
「どっか行っちゃうんですか!?」
「田舎に帰るんだ。俺さ、家出してきてこんな年になるまで連絡も取らなかったんだよ。この前親父っさんに葉書見せられたんだ、お袋からの。とっくに親父っさんは田舎とやり取りしてたんだよな、参るよ。でも祖母ちゃんが腰がだめで入院するって書いてあってさ。だから帰ることに決めた。親父っさんからも『逃げてても何も解決しねぇぞ』って言われたし」
家出の原因が何か知らないが、帰ることを嬉しそうに言うでかっちりに微笑ましくなった。確か26歳くらいだ。若いのにそんなあだ名で気の毒だと思っていたが、それは考え過ぎだったようだ。
(後1週間だけどたくさんあだ名で呼ぼう)
そう決めた。
それから半年の間に何人も人が入れ替わった。すぐにいなくなる人もいれば全然動く気配のない人もいる。
ある日順一は親父っさんに呼ばれた。この頃にはもう他の人と同じように『親父っさん』と呼ぶようになっていた。
「お前、親のことどう思ってる? 一度もお前の口から家族のことを聞かねぇが」
実はずっと悩んでいた。気持ちがだいぶ落ち着いてきている。少年院のことも思い出してそんなに胸が痛くない。だが父と会うのが怖い。
「俺がどうのと言う筋合いじゃねぇだろうが、せめて葉書くらい書けよ。親父さんだけじゃないだろ? 母ちゃんだってお前のことずっと気にかけてるだろうよ」
その通りだ。父のことばかり考えてしまうが順一は一人っ子だ。二人はきっと寂しく暮らしているに違いない。自分はここで賑やかに暮らしている。自分が黙っていても周りが騒ぐから一人になった気がしない。けれど両親は?
次にいずみ自動車整備で保護司の椎名と面談した時に思い切って聞いてみた。
「両親とは…… 連絡取ってるんですか?」
椎名が訝し気な目で順一を見た。
「君は? 取って無いのか?」
「なんとなく…… 父さんと会うのが怖くて」
「優しいお父さんじゃないか、いつだって君を心配している」
「そういうんじゃなくて。俺、顔向けできないことしたから」
肩に手を置かれた。
「そういう自覚があるのなら自分で連絡を取りなさい。早い方がいい」
(早い方がいいって言ったって)
たった10個の番号が押せない。携帯をポケットから出したり仕舞ったり。それを2日繰り返した。
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