テルの物語 -2

「もう人を殺すことなど考えません」

そう答えて、少年院を出られることになった。


 出てからはあっという間にことが進んだ。保護観察官と保護司との面談。まだ17歳後半。20はたちまでは保護観察と言うことになる。その間に何か罪を犯せばすぐに少年院に逆戻り。元々の性格が真面目な順一に保護観察員も保護司も心配をしていなかった。好意的に見てくれる二人だった。

 親元には帰りたくない、それだけは嫌だ。強固に言い張った順一は、住み込みで自動車修理工場で働けることになった。


『いずみ自動車整備』。

(なんかぱっとしないとこだな)

 第一印象はそんな感じ。そこで保護司同伴でいろんな説明を受ける。この工場では何度かそういう未成年を引き受けているとのこと。アットホームで過ごしやすいこと。技術を身につけられること。

 型通りの話が終わって保護司に「頑張れよ」と肩を叩かれて頭を下げた。振り返ると和泉社長がにこっと笑った。

「歓迎するよ。車に乗れ、行くところがある。あ、荷物、持ったままでいいから」

 そこから30分ほど走った。着いた屋敷の駐車場に入る。

「ここ、なんですか?」

 デカい家。屋敷だ、家じゃない。

「おいで」

 言われてついて行った。


「和泉です!」

 大きな声に「はい」と野太い声が応えて出てきた。ちょっと圧倒される。顔というより、『面構え』と言う方が合っている。迫力のある男だ。

「こいつがそうですか?」

「はい。親父っさんには」

「後は任せてください。後のことは和泉さんの方で?」

「大丈夫です、よろしくお願いします」

 振り向いた和泉社長は笑顔だった。

「じゃな、頑張れよ。時々俺んとこに来ることになっている。サボらずに来るんだぞ」

 そのまま帰っていく社長を呆然と見送った。


 なにがなんだか分からない内に怖そうな男に「上がりなさい」と言われ靴を脱いだ。

(怖い)

「ついて来なさい」

 逆らうなんて気持ちが頭にも過ぎらない。本能的にバッグを胸に抱き、大人しくついていく。バッグが守ってくれるような気がして。

 奥に行くと閉まっている襖の前で男が膝をついた。

「親父っさん、連れて来ました」

「入れ」

 座ったまま男が襖を開ける。8畳くらいの部屋、掛け軸の前に座布団に貫禄のある男性が座っていた。もう一つ、座布団がその前にある。

 連れてきた男が無言でその座布団を手で指す。そのまま操られるように座ると男はすっと出て行き襖の閉まる音が聞こえた。


 威圧感のある目が自分をじっと見ている。目を逸らせない、胸に抱いたままのバッグにしがみつくように拳に力が入って行く。ふっと相手の目が柔らかくなったような気がした。

「名前を言ってみな」

 すぐに返事が出来ない、まるで喉が硬く絞まっているような気がした。男はそのまま待っている。

 やっと口が開くと、自分でも思っても見なかった言葉が飛び出た。

「先にあなたの名前を教えてください」

 なんてことを…… 言っておきながら自分が蒼褪めて行くのを感じていた。だが男は笑い出した。

「そいつぁ済まなかった。礼儀がなってなかったな。俺は三途川勝蔵と言う。この家の主だ」

 声を聞いてなんだかほっとした。怖い声じゃなかった、温かい声だ。

「八木順一、です」

「そうか。ちょっとは力が抜けたか?」

 言われてみて確かにそんな気がした。

「良かったら荷物を置かねぇか? 誰も取らねぇから」

 胸のバッグを見て、慌てて脇に置いた。

「おい! 千津! お茶だ!」

 少しすると襖が開いて、立派な女性が出てきた。畳の上に茶托に載ったお茶を置いた。

「初めての子だね。しっかりおやり」

 にっこり笑って出て行く背中を目が追った。

「惚れるなよ、俺の女房だ」

「そ、そんなつもり……」

 思わずお茶を取りガバっと飲んでしまった。

「あつっ!」

「落ち着け、冷たいもんが良かったか? ジュースとか」

 首を横に振った。舌が火傷したようでちょっと声が出ない。


「いきなりこんな所に連れて来られて魂消てるんだろ。だが怖がることはねぇからな。経緯いきさつってヤツを話すから黙って聞いてろ」

 頷いた。それを一番聞きたい。

「保護観察官の竹田も保護司の椎名も俺とは懇意だ。訳ありの年少出は俺んとこに回される。望みのあるヤツだ。直に俺んとこに預けるわけにはいかないんでな、和泉んとこでまず預かる。保護司との定期的な面接は和泉んとこで受けるが、それ以外はここで過ごす。きっちり二十歳はたちまでは決まりを守って過ごすことになる」

 ちゃんとした説明をされているのだ、目を見て頷いた。

「お前は真面目だな。いい子だ。今日から俺が親代わりだ。少しお前のことを聞いた。親父さんに会いたくねぇらしいな。まずそれを聞かしちゃくれねぇか? どうして会いたくねぇんだ?」

 そこから時間が空く。勝蔵は急かさない。順一が話すのをただ待っていた。ここに来る者で訳ありじゃない者はいない。相手によっちゃ食い潰すような勢いで畳みかけるが順一はそうしてはいけない子どもだと感じた。

「俺…… 父さんを…… まともに見れなくて……」

 また間が空く。

「父さんはゴミ収集の仕事をしてました。誇りを持って。俺もそれを恥ずかしいと思ったこと、無いです。父さんは…… 立派で、堂々としてて…… けどその仕事のせいでイジメに遭って…… でもそんなのどうでも良かった。何言われたって恥じることないんだから。恥じたら父さんに対する裏切りなんだ。小学校ん時からそんな目に遭ってたけど、気にしてなかった、相手が馬鹿に思えた」

 勝蔵はじっと聞いていた。

「でも高校に入って…… 好きな子が出来て…… 俺じゃなくってその子がイジメられて…… 別れました。それでその子へのイジメが終わると思ったから。……思ったんだ、俺だけの問題だし別れたんだから。でも終わんなかった、その子はイジメられ続けた。だから転校していった。俺、悪いことしてない、なんでその子がそんな目に遭うのか、なんで父さんを知りもしないくせに悪く言うのか、俺にはてんで分からなかった、ゴミ収集は世の中で大事な仕事だって胸張って言う父さんはいつも眩しくて、俺は父さんが大好きで、でも誰もそんなこと認めちゃくれない! 俺は…… 怖くなった、俺と仲良くなるとそいつがどんな目に遭うか分からない、でもどうして? なんで? みんなが敵になった、俺はそんなつもり無かったのに」


 唇が震えていた。声は途中で上ずったり涙交じりで変な声になったり。でも勝蔵は静かに聞いていた。


「体育館の用具入れで突き飛ばされて……背中と腕に……『ゴミや じゅんいち』って彫られた」

 勝蔵の体がピクリと動いた。ギリっと歯ぎしりの音が聞こえる。

「父さんは俺のせいであんなに頑張ってた誇りを持っていた仕事を…… 辞めたんだ。俺がそんなことをされたせいで父さんは仕事を捨てた……」

 順一の声は途切れ途切れだったが、勝蔵は決して急かさなかった。

「なのに…… 俺に『済まなかった、悪かった』って言うんだ。父さんは何も悪くないのに。それが凄く辛かった。勉強も頑張ったんだ、けどみんな笑う、誰もが笑う、階段で笑い声が聞こえた時俺のことを笑ったんだと思ったんだ、だから殴った、もう笑われんの嫌だった、俺じゃない、父さんが笑われてる、父さんが…… 俺だけじゃない、あの子まで、父さんまでそんな目に遭わせた連中が憎くなった、殺してやりたいと思った」


 激情が迸った。涙も鼻水も流れていた。拳が膝の上で固くなり震える。静かな間が空き、その手から力が抜けた。


「でもそいつ、俺のこと笑ったんじゃなかったんだ…… 俺のことじゃなかった…… 俺は…… 怖くて、すごく怖くなって。俺はそいつを殴った時に父さんを裏切ったんだ…… 言われて笑われて腹が立つって…… 認めたようなもんだ。そうじゃなきゃ怯えたり怒ったりするわけ無いんだから…… 俺は何がいけなかったのか今も分かんないです。俺が取り返しのつかないことをしたせいでまた父さんは仕事を変えることになって…… 会わせる顔なんか無い、どう謝っていいのか分かんない、どう償えばいいのか分かんない…… 会えないよ、父さんに……」

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