第7話 テルの物語

第7話 テルの物語 -1

 八木順一、15歳。中学を卒業し高校へ。そこでやっと自由になれると思っていた。もう解放されるのだと。


 小学校の後半からイジメに遭うようになった。最初は軽いものだったが中学になってエスカレート。

 原因は父親の職業。ゴミ収集員だと言うこと。順一の父は明るくて気さくで、よく遊んでくれる大らかな人だった。近所の子どもにだって人気があった。大工仕事など、よくご近所に手伝いに行ったものだ。母とは恋愛結婚。仲のいい夫婦。


 小学校5年の国語の時間、『お父さんの仕事のことを書きましょう』という作文の宿題が出た。順一は父に仕事の話を聞きながら色々書いた。大変なのは台風の中でも回収をして回ること。ゴミ袋の中身がひどくて、時には頭から生ごみのしぶきを浴びることもあること。でも職場にはシャワーがあるから帰りにはきれいになっていること。

 それが最初は好奇心の的になり、あれこれ聞かれ、あれこれ言われた。その内それが蔑みに変わっていく。そうなると早かった、一気に日常が今までと引っ繰り返った。


 順一は父が自慢だった。どう言われようが父が揺らぐことは無いからだ。

「世の中にはな、無くていい仕事なんて無いんだ。ゴミ収集なんてその典型だ。糞尿処理もな。この二つの職業が無くなればまず国は成り立たなくなる。それくらい世の中に影響を与える仕事なんだよ。恥ずかしいわけがあるか。そんなことを言うならゴミを出さない生活をしてみろってんだ」

 だから自分が恥ずかしがっては父を裏切ることになると思った。そうならないために順一は真っ直ぐに生きようと頑張った。勉強も頑張った。


 順一が折れなければ折れないほど嫌がらせは加速していった。机の引き出しへの生ごみ。置いている体操服がゴミ箱に入っていたり。順一は決してそれを両親に言わなかった。言ったら認めることになるような気がした。嫌がらせと感じたら負けだ、そう思っていた。


 高校に入るとそこには何人かの同級生もいた。相変わらずくだらないことを言われるが、新生活だ。きちんとしていれば分かってくれる人はちゃんといる。友だちが増え始め、嫌がらせをする一部の学生は逆に肩身が狭くなり始めていた。


 そんな順一を好きだと打ち明けてくれる子がいて、つき合うようになった。高校1年の時だ。いつも堂々としている順一が好きになったと言われた。

 そして標的が変わった。順一に何をしても何を言っても無駄だ。そのグループにもくだらない女子がいて、つき合っている女の子に昔順一がされていたようなことが起きるようになった。体育の授業から帰ってきて着替えると制服が生ごみ臭い。引き出しから異臭がする。椅子にべっとりとバナナの皮が張り付いている。

 彼女は耐えられなかった。無理だと順一に泣いて謝った。順一は仕方ないと笑って別れた。本当に仕方ない…… だが彼女へのイジメは止まなかった。とうとう順一は相手とケンカになり、それが大ごとになり彼女は転校した。その頃から順一の中で何かが崩れ始めた。


 嫌がらせが堪える。全てが気になり始めた。父にそれとなく聞いてみた、転職を考えてみることは無いのかと。

「俺は恥ずかしいことをしてるわけじゃないからな」

 単純明快な答えをする父は、順一の状況を全く知らない。知っていたらきっと学校側に抗議もしていただろう。だがそうはならず、順一は少しずつ陰にこもるようになっていく。自分のせいで誰かが…… 彼女が傷ついたことが辛かった。それが怯えに変わり、人を自分に寄せ付けなくなる。

 嫌がらせの度合いはさらにひどくなる。


 ある時、体育館の用具入れの掃除をしている時に後ろから突き飛ばされ、奥に頭から突っ込んでしまった。気が遠くなる。笑う声がいくつも重なって聞こえた。上半身を脱がされた。朦朧とする。痛みが走った、背中に腕に。そのまま放置された。

 次の朝、順一を見つけた女子が職員室に駆け込んだ。順一の両親からも帰宅していないと連絡があったばかりだ。すぐに救急車で運ばれ手当てを受けた。

 脳震盪。そして背中と左右の上腕部に深い切り込み。

『ゴミや じゅんいち』

「傷が深いですから痕が残るかもしれません。ですが、うっすらとなるでしょうから文字と言う形では残らないと思いますよ」

 両親にはなんの慰めにもならない。父は仕事を辞め、転職した。


 父に対して負い目を感じた。真っ直ぐ目を見られなくなった。傷は体に残った。まだ『ゴミや じゅんいち』という文字がはっきり読める。背中はどうにもならない。だが鏡を見なくても読める上腕部の文字。

 父の『済まん、悪かった』という言葉が順一を苦しめた。父を責める気なんかずっと無かった。だが父は順一に負い目を感じ、順一は父に。家庭がギクシャクし始める。母はどうしていいか分からず、泣くことが増えた。

 いたたまれなかった、何もかも。何が悪かったのか何度も考えたが分からない。どうしたらいいのか。どうして自分が、彼女が、両親が泣かなければならないのか。

 突然、一気に天頂部がら髪が抜け始めた。ストレス性の脱毛、薄毛。それがまた嘲笑のネタになる。誰もが自分を笑っているような気がした。


 タイミングが悪かった。階段を下りている時に上から笑い声が聞こえた。見上げると何人かの男子と目が合う。上から見下ろした自分の頭を笑ったのだと思った。

 駆け上がって殴りかかった。周りが止めても暴れた。2人が階段から落ち、それでも叫んで暴れ続けた。大騒ぎになり誰かが警察に通報してしまった。それが誰なのかは分からない。あの連中なのか、一般生徒なのか。学校とすれば警察沙汰にはしたくなかったのだから。

 到着の早かったパトカーはやっと教師から引き剥がされた順一の前に立った。怒りが渦巻いていた。だから叫んだ。

「どいつもこいつも殺してやるっ!!」


 階段から落ちた一人は骨折。一人は打ち身。二人はたまたま冗談を言った友達の言葉に笑っただけだった。順一への嫌がらせとは一切関係無かった。

 調査が入りイジメの事実は明るみに出たが、停学処分になっただけ。一部は転校していったが、停学に何も感じない者は残った。


 いったん留置所に入れられた順一は少年鑑別所に送られた。そこで少年審判を受ける。

 有利だった。学校側は状況を説明し、怪我をした被害者2人は示談に応じると言い、それも多額ではなかった。順一の状況は知れ渡っており、治療費だけを請求された。周りの証言からも非は相手にあると立証されていた。

 だが、たった一人、順一を許さなかった者がいた。それは、順一だった。


 鑑別所で諭された。

「君の状況はみんな分かっているんだ。こんなことを言ってはいけないだろうが、今回のことは事故であるとも言える。君は自分のしたことを反省すればいいだけだなんだ」

 順一のしたこととは、暴れたこと、怪我を負わせたことだ。

「それは悪かったと思ってます。関係の無い人に怪我させました」

 その言葉にほっとするのも束の間、次の言葉で厳しい顔になる。

「でも、仕返しが悪いことだと思ってません。ここを出たら転校したヤツでも追いかけて殺してやります。悪いことだと思わない、絶対に復讐してやる」


 両親の説得、教師や友人の説得も効果は無かった。特に父と話した後は罪悪感から顔つきまで変わっていた。

「会いたくないんだよ、父さんには! もう来ないでくれ! 俺のことなんか忘れればいいんだ!」

 後から自分のことが発端でまた父が転職せざるを得なくなったと聞き、さらに態度が硬化した。

 全て自分が悪いと思うから、罰が欲しかった。許すと言うならあの連中を殺しに行く。

 弁護士には何も話さなかった。心を閉じた。


 処分の結果が出るのは早かった。少年院。児童自立支援施設への送致は出来なかった。出入りが自由で比較的制度の緩やかな施設だが、出れば殺人をすると公言する順一には不向きとなった。

 そこで半年を暮らした。イジメが無ければ真面目できちんとしている順一は模範生だ。母が泣いて頼みに来た、もう人を殺すなどと言ってくれるなと。父は来ない、順一が会うことを拒んだから。

 順一はとっくに復讐の気持ちなど捨てていた。空しいだけだと思う、それで何か救われるのかと。ただ父に会うことは出来ない。勇気が無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る