のんのと源の物語 -4
「誰か来てくれっ! 源太が出て行った!」
すぐに来たのはテルだった。
「どうした! 出て行ったってなんで!?」
「分からないが多分あの兄貴が絡んでいるんだと思う。あいつ謝りながら俺の財布持ってった」
「財布? だって、お前の財布には……」
「いつもの通りだよ、買い物する分しか入れてない。あいつほとんど空の財布持ってったんだ! どんな目に遭うか……」
後はテルの暴走チャリの後ろに乗った。普段なら絶対に乗らない。バイクより危ない。だがそんなことを言ってられなかった。源太は駅に向かっているだろう、急げば間に合う。
「俺はこっちから!」
「俺はこっちに行く!」
駅のホームには2ヶ所階段がある。どっちを上がるか分からない。テルとのんのは携帯を通話状態にして源太を探した。
(クソっ、人が多い!)
源太は小柄だ。人に紛れたら見つけられないだろう。
『見つけたっ!』
テルの声でのんのは反対側に向かった。もうすぐ駅に電車が入ってくる。
『俺が見つかった、そっちに逃げてる!』
人をかき分けて来るのが分かった。他の乗客が怒鳴っている。
「おいっ!」
「押すなよっ!」
「きゃ!」
そして源太はのんのの目の前に飛び出してきた。
源太はのんのを見て(もうだめだ……)と思った。良くしてくれたのに。心配もしてくれたのに。なのに財布を盗んで、忘れろと言われた兄の元に行くつもりだった。
(ごめん……ごめん)
自分が謝っているのが、兄になのか、誰になのか分からなかった。
「源太、帰ろう。兄貴のところに行くつもりだったんだろ?」
「のんの、さん…… なんで怒んないの?」
「お前が困ってるの、見て分かるのにどうして怒れる?」
ホームに滑り込んできた電車に、どんどん人が飲み込まれていく。やっとテルが源太の肩に手を置いた。
「つ、かまえ、た……」
息を継ぐのがやっとだ。
「テルさん、それ捕まえたって言えないよ」
のんのが笑うのを見て源太の頬に涙が伝う。
「ごめんなさい……ごめん……」
「いいんだ。訳も何も言わなくていい、分かってるから」
「源太、俺、言いたいことが、ある。ちょっと、待ってくれ」
テルは息を整えるのに一生懸命だ。源太の後を追って小突かれ、女性のハイヒールに踏まれ、悪態を突かれ、その人込みをかき分けてきたのだ。
「あのな、戻るな、兄貴んとこ。いいか、お前がしてること、これ以上は兄貴をダメにする。分かんないかもしれないが、償うとか従うとか、やり過ぎると逆効果になるんだぞ。これから厳しいことを言うからな」
ようやく息を整えてテルは源太の俯いている顔を上げた。
「お前が兄貴をダメにしてるんだ」
「テルさんっ!」
「黙ってろ! 源太、償ってるつもりかもしれないけどお前は自分が安心したいんだよ。兄貴に従っていれば気が楽になるんだろ? 痛みも痣もお前に取っちゃきっと赦されるための証なんだ。だが兄貴はどうだ、救われやしない。お前に恨みを持ったままずっとそんな自分を抱えていくんだ。お前が兄貴を解放しなくちゃだめだ」
「……俺が?」
「そうだよ。お前が兄貴から離れるのは悪いことじゃないんだ。互いのためだ。今はまだいいがその内兄貴は物足りなくなっていく。人間ってそういうもんなんだよ。そうなったら行きつくとこまで行っちまうんだ。お前、兄貴を殺人犯にしたいのか?」
見透かされたような気がした。もう兄に殺されるのならそれでも仕方ないと。テルの言葉で自分がどこかでそう思っていたのだと気づいた。
「俺、死んでもいいって……しょうがないって……それで兄ちゃんの気が済むんならって」
「だから当たり屋を止めなかったのか? バカだなぁ。テルさんの言ったこと分かったか? 今日はゆっくり考えろよ。な、無理強いする訳には行かないんだと思う。でも俺は兄貴のところに戻ってほしくない。俺たちと一緒に帰ろう」
「あんなことしたのに……」
のんのは源太の額を弾いた。結構痛い。額を押さえた源太の背中をテルがどやしつける。
「これでチャラだ。そうだ、お前さ、財布覗いてみろ」
テルに言われるままに手に持っていた財布を開いた。目が丸くなる。
「いくらある?」
「1,266円……」
「のんのはあまり金を持ち歩かないんだよ。最初っから予算を決めてその範囲で買い物をしてくるんだ。こんなはした金持ってったって兄貴は怒り狂うだけだ」
いっぺんに源太の体から力が抜けた。今になって体が震える。
「これ……ごめん。ありがとう」
のんのが財布を受け取ってくれたのが嬉しかった。そのままのんのに抱きついて小さく肩を震わせた。
「お前らさ、今日は二人で飯食って来い。当番は俺が替わってやる。ほら、金」
テルが二万出してくれた。
「飯食って遊んで来いよ。のんのはパチンコとかは嫌いだよな。町ん中、源太を案内して来い」
「……テルさんの言ったこと、俺考える」
のんのから離れてきちんと言う源太にテルは頷いた。
「お前、真面目過ぎるんだよ。だから余裕が無いんだ。のんびりしてこい。のんの、頼んだぞ」
「ありがとう、テルさん」
玄関を開けるとイチが奥から出てきた。
「何かあったのか?」
「イチさん、親父っさん帰ってきてる?」
「さっき電話があった。そろそろ着く頃だ」
「じゃ、一緒に話聞いてくんないか?」
親父っさんが着く前に夕食の下ごしらえを済ませた。そこまでやって後は戻ったばかりの増田にやらせることにした。
「俺、昨日当番やったのに」
「次の当番俺がやるから」
「メニューはなに?」
「ハッシュドビーフ」
「それってのんのさんの定番でしょ。俺の方が上手く作っちゃったらどうします?」
「大丈夫だ。誰もそんな期待持ってないから」
「なんだよ、それ! 他は?」
「切ってある野菜使って適当に作れ。お前そういうの得意だろ?」
「はいはい」
親父っさんが落ち着いた頃にテルは部屋に行った。イチももう待っている。テルは今日あったことを全部話した。
「源太は納得したのか?」
「どうでしょう。また兄貴が連絡取って来たらどうなるか。戻らない源太にきっと腹を立てるでしょうから。ただ本人はよく考えてみるとは言ってました。今、のんのに源太を連れ回らせてます。携帯は預かってきました」
親父っさんに源太の携帯を渡した。小さく親父っさんが何度か頷く。
「カジ!」
「はい!」
すぐにカジが入って来た。
「お前、源太の家にイチを連れて行け。懲りないらしい、兄貴は」
「あんだけ痛めつけたのに」
イチがヤクザの顔になる。悪そうな顔だ。
「どうします?」
「確かあの辺りにはウチの『休憩所』は無かったな」
「ええ、そうですね」
「じゃ、家を取れ」
「幾らまで出しますか?」
「二本だな」
「はい。生で?」
「ああ。千津子に言え」
この辺りは親父っさんの世界の話だからカジたちにはよく分からない。イチは奥に行って女将さんと話している。
「親父っさん、源太に何かするんですか?」
「源太に?」
「財布抜きましたから」
「あいつはもうしねぇよ。だから忘れろ」
「はい」
テルはほっとした。親父っさんを信頼してはいるが、怒られたら可哀そうだと思ったのだ。どうしてもほんの子どもにしか見えない。
「そんなに安心したような顔をするな。俺はそれほど理不尽に見えるってことか?」
その言葉にニヤッと笑う。
「たまにそうなりますからね」
イチが奥から出てきた。ビジネスバッグのようなものをぶら下げていた。
「カジ、行くぞ」
この頃、イチにはずい分貫禄がついて来ている。すっとカジは従った。
源太の家には明かりが灯っていた。荒っぽくカジが玄関を叩く。こういう時にチャイムは鳴らさない。ドンドン叩く方が効果的だ。案の定、ドアがそっと開いた。そこに靴を突っ込む。そのまま力任せにドアを引いた。
「わっ!」
兄は慌てて奥に逃げ込んだ。それをカジが追い、床に俯せに押さえ込んだ。
「お前、懲りねぇな。あいつは俺たちにくれたんじゃなかったのか?」
「おれは、なにも」
「何が『なにも』だ! 甘く見やがって!」
その間に靴のまま上がって来たイチが押さえ込まれた兄の目の前にガタン! と椅子を置いた。
「ひっ!」
「俺と会うのは初めてだな。俺はイチと言う。その筋の組のもんだ。今日は話をするために来た。お前、この家を俺に売れ」
「え、家を?」
「繰り返すんじゃねぇっ!」
すかさずカジが腕を捩じり上げる。
「おい、カジ。売主に乱暴は止めてやれ。これはスマートなビジネスだ」
乱暴に体を引き上げて床に座らせた。
「これで対等だな?」
イチが有無を言わせないように、椅子から見下ろす。床に正座させられた兄はイチを見上げて仕方なく頷いた。
「さて。ここは幾つ抵当に入ってる?」
「幾つって……」
「銀行ローンは終わってるのか?」
「親父が死んだときに」
「ローンを組んだ時の保険で完済か」
「はい」
「他には?」
「なにも」
イチの顔付が変わった。
「嘘言うんじゃねぇ、あのガキがちっと働いたくらいで4年も暮らしてこれるはずがねぇ。どこに借りた? 担保にするもんはこの家くらいなもんだろ」
「あの、少し借りてて」
「サラ金か? 振り込みの紙を持って来い」
這いつくばるように隣の部屋に行って引き出しから何枚かの紙を掴んできた。その間、じっとカジが見張っている。
「これです」
観念したのか、素直で大人しい。
「こりゃぁ……」
イチが含み笑いをした。
「イチさん?」
カジが聞く。
「笑えるよな。これ、
「はあ?」
東井組というのは三途川一家に所属している組の一つだ。その場でイチは電話をかけ始めた。
「イチだ。お前んとこの客で『
「あの……富雄は父です。俺は謙一って言います」
「『東謙一』だと。おい、生年月日は?」
謙一の生年月日からすぐに割り出せた。
「幾ら貸した?」
200万と150万だった。
「それ、俺んとこに借用証書を回してくれ。ウチでもらう。親父っさんの指示だと言ってくれ。もう取り立ては無用だ」
あっと言う間に話がついたが、謙一にはよく分かっていない。
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