のんのと源の物語 -2

「ここって……ヤクザ?」

「そうだよ」

「あんたも?」

「いや、本物のヤクザはお前を嫌ってた板倉さんとイチさんだけだ。他の連中は、そうだな、居候ってヤツだ」

「ヤクザの家に? 将来ヤクザになるってこと?」

「考えてないよ」

「でも、そのつもりなんだろ? あの組長。だから面倒見てるんだよな?」

「親父っさんなら何も言わないよ。ああしろこうしろっていうのも言わない。俺たち居候は自分で考えて動いてるんだ。掃除したり飯作ったり。合間に働いてるのもいるよ」

「働くって……ここに世話になるから金払ってんの?」

「俺は払ってない。他の連中のことは知らないよ。したいようにやれって言われてるし。そのまま貯金してるのもいるって聞いた」

「へぇ…… あの人、ヤクザの組長なのにもの好きなのかな……」

「俺もそう思う時がある」

 源太が吹き出した。

(笑うと子どもだな……)

「ここに来て長いの?」

「まだ一年だ」

(意外とお喋りじゃないか。好奇心丸出しか)

 笑いたくなるのを抑える。せっかく話しているのだ、聞いてやりたい。

「一番長い人でどれくらいいるの?」

 そう言えば考えたことが無かった。

(カジさんは3年目だって言ってたな……組員以外で長いのって誰だ?)

「分からない、考えたこともなかったよ」

「ふぅん」

 さり気なく言った。

「今日は泊っていくか?」

 明らかに喜んだ顔だった。まるで友だちの家にお泊りに行く子どものような。その嬉しそうな顔が一瞬で曇った。首を横に振る。

「帰んないと」

「そうか。その時間になったら言え。送ってやるから」

「一人で帰れるよ」

「だめだ。近くまででもいいから送る」

 今度は素直に頷いた。


 訳ありなのは見て分かる。カジに帰ることと源太の様子を知らせに行った。そばにイチもいる。

「なんかあるな。ホントは帰りたくないんだろう」

「俺もそう思います。帰すの気が進まなくて」

 仕方ないという顔でカジが言う。

「だからと言って帰るところがあるヤツに何が出来るわけでもないだろう。後で送るから」

「お願いします」

 部屋に戻ると源太はぐっすりと眠っていた。腹いっぱいになったし、のんのと喋ったことで気も解れたのだろう。

(とても当たり屋やるようなヤツに見えないな)

毛布をかけてやろうとして、それが見えた。少しめくれているTシャツをそっと上げる。

(なんだ、これ!)

色取り取りの痣が所狭しと広がっている。もっと上を見ると乳首の下辺りに明らかな煙草の痕……

(どうしてこんな……)

「虐待だな、それ」

 いきなりの声に飛び上がりそうになる。テルが後ろから源太の体を覗いていた。驚き過ぎて後ろにテルが来ていることに気づかなかった。

「悪い、脅かした。その上の煙草の痕は最近のもんだな。下のはかなり古い」

「こいつ、帰りたく無さそうだった」

「俺も帰したくないね」

 滅多なことでは怒らないテルの声に怒りを感じた。

「虐待する家族なんかの元に帰して堪るか」

 そう言って出て行った。

(テルさん、昔何かあったのかな……)

そう言えばテルは人に肌を見せたことが無い。夏でも長袖だ。愛想が良くて人一倍気遣いの出来る男。

(テルさんにも暗い過去があるんだな)

だからここにいるのだろう。親父っさんが手元に置いたのだから。

 源太のTシャツを戻して毛布をかけてやった。まだ3時。少しはここでゆっくりさせてやりたい。のんのは静かに襖を閉めた。


 パッと源太は目が覚めた。普段は眠りが浅いのにこんなにぐっすり寝たのはいつ以来だろう。携帯を見て慌てた。6件の着信。恐る恐る留守電メッセージを聞く。

『殺すぞ、どこに消えやがった! 逃げるつもりじゃないだろうな!』

 他のメッセージもどうせ似たようなものだろうと思う。時間は5時半。

(どうしよう……殴られるだけじゃ済まない……)

帰りたくない。だが帰るしかない。起き上がって布団を畳んだ。

(世話になったけど)

 源太はそっと廊下に出た。誰もいない。そのまま玄関へ。痛む足を靴に突っ込む。表に出て、思い出して包帯と湿布を取った。

(こんなの見せたら何されるか……)

「帰るのか?」

 体がビクリと震えた。のんのだった。

「送ってやるよ」

「い、いいよ」

「カジさーん、源太が帰るって!」

「ちょっと……」

 慌てる顔に笑いかける。

「気にすんな。足が痛いだろ? 送るだけだ。近くに行ったら下ろすから」

「ほんとに下ろしてくれる?」

「ああ。大体の場所を言ってくれりゃいい」

 カジが出てきて庭先の駐車場まで源太を肩に担いだ。

「下ろしてくれよっ、一人で歩けるよっ」

「いいから。この方が楽だろ?」

 カジの力には勝てない。諦めて車の中にそっと入れてもらった。


「いいのか? ここで」

「後はたいしたことないから」

「湿布、はがしたんだな」

「大袈裟だし。……ほら、家のもんに心配かけたくないから」

 一緒には下りなかった。そのことに源太がホッとしている。

「じゃな。もう当たり屋なんかするなよ。体あっての人生だからな」

「……ありがとう」

 ぼそっと呟くように言って、源太は足を引きずりながら帰って行った。

「カジさん」

「のんの、間空けてついて行け。取り越し苦労なら帰ればいいだけだ。俺は近くのパーキングに止めてくる。携帯で連絡くれ」

 頷いてのんのは下りた。

 余計なお世話なのかもしれない。だが自分たちは親父っさんの『余計なお世話』で救われた。この目で見たあの体を忘れることなんかできない。


 源太はかなり歩いた。

(あのバカ、すぐ近くだなんて言っておいて)

今はカジと合流していた。やっと着いたのは古い家だ。源太が中に入って時間を置いてから家の前を二人でゆっくり通り過ぎた。ポストの表札には乱暴な字で『あずま 富雄』と書いてあった。

「東源太、か」

 古いが普通の家に見える。その時家の中から凄い物音が聞こえた。罵声も聞こえる。

「またよ」

「全くねぇ」

 行き過ぎる買い物袋を下げた近所の奥さんの話が聞こえた。のんのがすぐに追いかけた。

「すみません!」

 二人の女性に頭を下げる。

「実はこの家のもんの従弟なんですが、来たら凄い音が聞こえて」

「従弟って……何も知らないんですか?」

「なんかあるんですね?」

「源ちゃんがお兄さんに虐待されてるのよ。2度ほど近所で通報したんだけど源ちゃん本人が否定するから警察も帰っちゃって。もう学生じゃないしね」

「虐待……」

「ほら、お父さん事故で亡くなったでしょ? あれからお兄さん荒れたんだけど。知らなかったんですか?」

「今日たまたま東京に来たんで寄ったんです」

「じゃ止めてあげてよ。あのままじゃ源ちゃん、いつか死んじゃうかもしれない」


 のんのは手短にカジに話した。その間も怒鳴り声が続いている。周りを見回して二人で横側に入り込み、窓から様子を窺った。

「……けんじゃねぇぞ、このヤロー! 失敗しただ? 飛び込むのにビビったんじゃねぇのか!?」

「うあっ、やめ、やめて、兄ちゃん、や、あうああ……」

「カジさんっ!」

「行くぞ!」

 玄関を蹴破った。中の音がピタッと止み、聞こえるのは源太のうめき声だけ。

「誰だ?」

 ちょっと怯えたような声だ。構わず二人はズカズカと入って行った。

「の、のんのさん……」

 口と鼻から血が垂れている。上半身剥かれて2ヶ所が真っ赤にただれていた。初めてまともに見た、煙草の痕がいくつもいくつも。

「お前ら、なんなんだ!」

「お前、こいつの兄貴だよな」

「だから何だってんだ! 他人にとやかく言われる覚えは」

 カジが兄貴をぶん殴った。細い体がふっ飛ぶ。その上に源太が被さった。

「やめて! やめて、兄ちゃんは悪くないんだ、俺が悪いんだ!」

「源太……」

 源太の涙を見て、のんのは何も言えなくなってしまった。源太の前にカジが立った。

「来い、ガキ。お前を連れて来いって言われてる」

「お前ら、なんの権利が、あって」

 兄の方がだらりと垂れる血を拭いながら唾を飛ばして喋ろうとした。

「ああ? じゃ、お前でもいい。このガキャよりによってヤクザの組長の車に当たり屋なんぞしやがって。逃げたのを追いかけてきたんだ。そいつを寄越さないならお前でいい、来い!」

「いや、俺は、その、関係なくって」

「兄ちゃん!」

「連れてっていいから、好きなように、言うこと聞かねぇヤツだから俺は仕置きしてただけで」

 腹が煮えくり返っているのんのは、普段荒事などしないのにカジの殴った口をさらに殴った。

「のんのさん!」

「何、対等な口叩いてんだ! 殺すぞ、ガキ!」

 ビビっている兄はそのまま後ずさりしていった。

「そいつ、いいです、好きなようにして」

 のんのは今度は腹を蹴り上げた。カジがちょっと目を丸くする。呻いてる体に唾を吐いた。

「こいつ、貰っていく。必要なら返すが?」

「いらねぇ、やる、あんたらに」

 後は何も言わずに源太を支えて表に出た。


「なんで……」

 外に出てのんのは上に羽織っていた薄い上着を脱いで源太の体にかけてやった。

「車取ってくる。ゆっくり歩いて来い」

 のんのに任せてカジはパーキングへと向かった。

 少し歩いて「うっ」と源太が呻いたからそこに止まった。青い唇が震えている。すぐに察して道路の端に引っ張って行った。壁に手を突かせて背中を擦ってやった。

「うげ…… うぇ……」

「出しちまえ、全部。これから車に乗るんだ、我慢しない方がいい」

 周りを見回してちょっと離れたところに自販機を見つけた。

「すぐ戻るから待ってろ、いいな?」

 走って水が無いのを「チッ」と舌打ちした。冷たいお茶を買って戻った。

「水が無かったからこれで口を漱げ」

 蓋を開けてペットボトルを持たせた。吐き気がやっと治まって来たのか、涙目でお茶に口をつけた。何度もすすいでゴクッと2口飲んだ。まだ肩で息をしているが、さっきより良さそうだ。

「大丈夫か?」

「よけいな、こと、」

「何がだ? あんな兄貴が大事なのか?」

「なにも、しらない、くせに」

「ああ、知らないよ。お前を人間扱いしてない兄貴がいるってこと以外はな。当たり屋はあの兄貴がさせてたのか」

「兄ちゃんは……前はまともだったんだ…… サッカーがすごく上手くて、それで大学、行くことになってて」

「その時に事故で親父さんが亡くなったのか?」

「なんでそれ……」

「近所の奥さんたちが話してたのを聞いたんだ」

 源太の声が途切れた。下を向いたままぽたぽたと涙が落ちていく。カジの車がすぐそばに止まった。

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