第6話 のんのと源の物語

第6話 のんのと源の物語 -1

 のんのの本名は『野々のの之夫のりお。なにせ『野々』と呼びにくい。だから三途川一家では『のんの』と呼ばれている。

 朝の当番。のんのは掃除をしながらのんのは去年のことを思い出していた。飲み屋で大学の友人をコテンパンに言い負かした時に見知らぬ年配の男から説教を食らった。

『お前さん、世の中に武器がたくさん転がってるっての、分かってなさるかい?』

『なんですか、俺に用ですか』

『まず、拳。ナイフ。そこらに転がってるものなら何でも相手を傷つけることができるんだ。だがな、それはいつか治る。忘れることだってできる。だが言葉の暴力。これはタチが悪い。特に『正義』とか『正しさ』とかが入り込んだ言葉はね』

 男を追い払うことが出来なかった。その言葉には力が籠っていてとても押し返すことなど出来なかった。

『あんたの今振るった暴力は、まさにそれだ。あんたはこれからも自分の抱える『正義』ってヤツの上でお山の大将になってりゃいい』

 なぜ自分にそんなことを言うのか。赤の他人じゃないか。そう思っても、口に出せなかった。

『自覚も無く責任も取れねぇヤツが、口先の屁理屈で世の中を甘くみるんじゃねぇ! 分かんねぇか、相手もあんたも、ただの『人』ってヤツだ。レッテルを貼れるほどの何様なんだ、おめぇは」

 出て行った男の後を必死に追いかけた。そばに置いてくれと必死に頼んだ。そして、ここにいる。三途川勝蔵と言う男の家に。

(まさかヤクザの組長だとは思わなかったよな)

あの時のことを思い出してクスリと笑う。かなりみっともなかったと思う。

「や、ヤクザになるつもりで来たんじゃない」

 正体を知っていっぺんに腰が引けたのんの。それを見て親父っさんが鼻で笑った。

『おめぇがヤクザに? 少なくとも俺はおめぇを組員にしたいとは思わねぇ。いいか、今のおめぇはヤクザにすらなれねぇってことを頭に叩き込んでおけ!』

(あの時に充分堪えたと思ったんだけどな)

 時が経って思い返すと自分があまりに稚拙で馬鹿げた男だったのかを思い知る。

(俺のしたことは……許されないことだった。親父っさんの言う通りだ。藤田、俺はお前に謝りたい……でも……)

 そんな勇気は無かった。どう謝ればいいのかも分からない。まだ21。人生というにはあまりにもヒヨッコだ。イチやカジ、テルに比べると自分が幼く見えてしまう。

『自分に出来ることを考えろ』

 ここでそう言われたが、いまだに出来ることが浮かばない。



 親父っさんが若い男の首根っこを押さえて帰って来た。

「お帰んなさい!」

「ご苦労さまです!」

 後ろから板倉が入って来た。若い男をじろっと見下ろす。

「親父っさん、そいつ俺にください」

「ならねぇ」

「ですが!」

「俺が『ならねぇ』と言っている」

「……はい」

 イチとカジが目を合わせた。珍しく板倉が気が立っていた。ここでそんな顔を見せたことが無い。事務所にいる時の板倉だ。

 親父っさんは出迎えた顔を見回した。仕事に行っている連中もいるから今日いるのはイチ、カジ、テル、増田、のんのだけだ。

「のんの」

「はい」

「こいつ、お前に預ける」

「親父っさん! のんのはまだ来たばかりです!」

 板倉の抗議に親父さんはキツイ目を見せた。

「だからだ。ここに染まっちゃいねぇ、のんのに任せる」

 のんのが改めてその若い男を見ると……

「子ども、じゃないですか」

「子どもなら連れて来ない、交番にでも放り込んでくる」

 にべもない板倉の声。

「こいつ、一体何をやらかしたんですか?」

 イチの質問に答えたのはやはり板倉だった。

「当たり屋だ。こいつ、車の前に飛び出して治療代と慰謝料寄越せって言ったんだ。じゃなきゃお巡りを呼ぶってな」

 のんのは驚いてそっぽを向く若いのを見た。カジが親父っさんから男を受け取った。廊下を歩く時ひどく痛そうに足を引きずっている。

「お前、ケガしてんのか?」

「そいつ、足を出したんだよ、わざとな。だが計算がミスったらしい。ホントにタイヤが足を轢いた。骨折までは行ってないみたいだが自業自得ってヤツだ」

 板倉の声が冷たかった。


 板倉は親父っさんに逆らったらしい。3日間、便所以外は部屋から出るなと謹慎を喰らった。板倉はこすっからく金を稼いでる小僧が気に入らなかったのだ。

 のんのは親父っさんに呼ばれた。

「俺はな、あいつが飛び込んできた時の目を見たんだ。ありゃ、ただの小遣い稼ぎじゃねぇよ。自分を捨ててやがった。だから連れて来た。何も言わないがまともに歩けるようになるまで頼む。もし帰らなくちゃならない家があるなら放っておいても帰ろうとするだろう」


 その男は1階奥の、のんのの部屋に運ばれていた。のんのは結構広い部屋に寝ている。布団が敷かれ、そこに横になっている男のそばに座った。痛む足には氷の入った袋が乗せてある。

「痛むか?」

(返事無しか)

「お前、帰んなくちゃならないんなら俺が送ってくけど」

 やはり答えない。男の頭を抱えて痛み止めの錠剤を口に突っ込んだ。それを吐き出して男が怒鳴った。

「なにすんだよっ!」

「なんだ、喋れるじゃないか。今のは痛み止めだよ。ちゃんと飲めよ」

「……要らねえ、放っといてくれ、帰る」

 起き上がろうとするのを胸を押さえた。

「もうちょっと休め。まだ痛いんだろ? そうだ、腹減ってないか?」

「別に」

 向こうを向くからのんのは「ちょっと待ってろ」と言って台所に行った。今朝の残りの味噌汁を温めてお握りをいくつか作る。冷蔵庫を覗いて卵と小さく切ったウィンナーに醤油を垂らして簡単に炒めた。

「ちょっと素っ気ないか?」

 冷凍庫からほうれん草を出して流水で解凍してさっと茹で、薄めたうどんつゆをかけた。二人分の軽食を持って、部屋に戻る。

 向こうを向いているのを尻目にして、のんのは黙ってその横で食べ始めた。みそ汁の匂いが部屋に立ち込める。卵とウィンナーの炒めた匂いがそれに混じる。若者の腹がぐぅっと鳴った。笑いたいのを堪えてのんのは食べ続けた。腹の鳴る音が大きくなってくる。

「いい加減、意地張るのやめたらどうだ? 美味いぞ」

 少し身動きしたがまだこっちを向かない。その鼻先に海苔を巻いたお握りを置いた。必死に我慢しているらしい様子が可愛い。

 とうとう、のんのは箸を置いて笑い出した。

「頑張るな! たいしたもんだ、その意地っ張り。な、食ってる最中だけでいい、休戦しないか? 俺が作ったんだ、簡単だが美味いぞ、ホントに」

 ほんの少しの間を置いて、若者はガバっと起き上がった。背中を見せたままお握りをパクついている。

「おい、喉につかえるぞ。みそ汁も飲め」

 今度は開き直ったようにこっちを向いて、すごい勢いで食べ始めた。あっという間に消えていくから、のんのは自分のお握りも若者に差し出した。のんのの目を見る。

「食えよ、俺はもう腹いっぱいだ」

 ちょっと頷くとそのお握りも掴んで食べ始めた。

「お前、いつから食ってないんだ?」

「おととい」

「金が無いのか?」

 それには答えない。

「家、あるか?」

 今度は頷いた。

「じゃ、家の人が心配するだろう。夕方までいろよ、その後送ってやる」

 箸が止まった。のんのは話題を変えた。

「名前は?」

「……源太」

「俺は野々之男だ。言いにくいだろ? 『のののりお』こんな名前、俺は親を恨むよ。ここでは『のんの』って呼ばれてる」

「……すごい名前なんだね」

「漢字ならいいんだけど、ひらがなじゃ書きたくないんだよ。フリガナを書けって時にカタカナだと余計始末が悪い。『ノノノリオ』。締まりがない」

 想像したのだろう、源太の顔に笑みが浮かんだ。

 笑った顔が可愛い。まだ学生なんじゃないかと思う。当たり屋をやるってことは金に困ってるってことだ。あれは危険な商売だ。相手の車のスピード、自分の飛び出すタイミング、角度、ドライバーの目の動き。一つでもミスると今回の源太のような目に遭う。

「お前、いくつだ?」

「18」

 お新香をカリカリと噛み砕きながら言う。

「18? もっと年下かと思ってた」

「……ガキに見える?」

「まあな。18なら働くことだって出来るだろうに」

「なんだよ、説教かよ! そんなん聞く気ねぇからな!」

「バカヤローっ! 危ないって言ってんだ、その内命落とすぞ!」

 さっきまでの穏やかな声が一変したから源太は息を呑んだ。

「今日はそんなもんで済んだが取り返しのつかないことになったらどうするんだ!」

「……あんた……本気で怒ってんの?」

「当たり前だ!」

「なんで?」

 その質問でのんのの怒りが消えた。

「悪かった。俺の立ち入るところじゃなかったな」

 そのまま言葉が立ち消えた。

 源太が動かずにいるからのんのは食器をお盆に片付け始めた。ハッとした源太が慌てて正座になる。痛いのを忘れていたらしい、慌てて足を崩して頭を下げた。

「ご馳走さまでした! 美味かったです!」

 上げた顔を見てのんのは苦笑した。

「おい。頬っぺたに飯がついてる」

「え?」

「ほら」

 飯粒を取って自分の口に放り込んだ。呆気に取られて源太が目を見張る。

「あ、ごめん、つい」

 のんのが立ち上がると源太も立った。少しよろめく。

「おい、まだ無理するな。それとも帰るのか?」

「あの、食器洗おうと思って」

「いいよ。そんなことするくらいなら休んでろ。そこの机の上に湿布があるだろ? 自分で取り替えられるよな?」

 こっくりと頷くのがひどく子どもっぽく見えた。童顔だ。目は二重でぱっちりとして瞳がくりっとしている。

(こいつ、女の子みたいだ……)

そう思って、バカなこと考えたと部屋から出た。


(ケガは足だけみたいだな)

そのことに安心しながら食器を洗い終えた。

「おい、あいつ、食ったのか?」

 カジだ。それなりに心配だったのだろう、つっけんどんな言い方だが気にならなければ聞きはしない。

「ええ、一昨日からなにも食ってないって言ってましたよ。出したもの全部食べました」

「そうか……なんだか気になってな。捨て猫みたいな顔してた」

 のんのは驚いた。普段そんなことをカジは言わない。

「帰るんなら声かけてくれ。歩けないだろうから」

 そう言って奥に行った。


 部屋に戻ると源太が苦労して包帯を巻いていた。

「なんだ、上手く巻けないのか?」

 不器用なのだと思っていた。よく見ると手つきがおかしい。のんのは源太の左の手首を掴んだ。

「いてっ!」

「手もやってたのか? 言わなきゃ分からないだろう! 寄こせ」

 皺になっている湿布を足にきちんと張り直して包帯を巻いてやる。次は手首。

「骨をどうかしたんじゃないんだな…… 捻ったのか」

 こっちも湿布と包帯。

「……ありがとう」

「我慢はするな。治りが遅いと痛みがずっと残るんだぞ」

 のんのに兄弟はいない。年下の扱いも上手いとは思っていないが、この家に来てから自分の中の何かがどんどん変わってきたような気がする。

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