優作の物語 -21

 三途川一家から来た伴野は、優作の目が覚めてから二日目の昼に病室に入って来た。ケガをし、杖をついている。廊下で見咎められることはなかったろう。

「よっ!」

「伴野!」

「しっ、表にはサツがいるんだ、長居は出来ない」

 優作は黙って頷いた。

「先に伝えなきゃいけないことを言う。黙って聞いてくれ。若は無事だ。あんたが望んだとおりに事は運んだ。親父っさんからだ、『今回のこと、頭を下げて礼を言う。元気になって帰って来い』」

 優作の目にじわっと涙が浮かび、手の甲で慌ててぬぐった。

(若、親父っさん…… 良かった、俺、役目果たしたんだな)

「イチさんとカジさんからは『バカヤロー』」

 優作は笑った。愛情のこもった『バカヤロー』だ。

「東井のところは終わった。柴山さんたちがあの日の内に片付けた。これでしばらく桜華組も手を出せないはずだ。他の連中も大人しくなった。親父っさんに逆らったらあんなデカいとこでも潰されるってことが身に沁みたらしい」

 優作は目を閉じた。大きな荷が肩から下りたような気がする。ほぉっとため息が漏れた。

「傷に響くからな、これで行くよ。みんな見舞いに来たがってる。それまで待っててくれって話だ。大人しく養生してくれ。じゃな」

 これでゆっくり眠れる。

(先生、ごめんな。一緒に暮らすのはまだまだ無理みたいだ)

『いいんだ、それで』

 塞いだ目を開けた。そんな声が部屋に響いたような気がした。


 全治2ヶ月。そう言われた。背中の銃創が悪さをしている。それが治まれば歩くためのリハビリが始まる。

 親父っさんの息のかかった弁護士が動いている。優作は単なるとばっちりで撃たれたという方に傾きつつあった。誰かに間違えられたのだと。すぐそばに東井の事務所があった。それがあの日、慌ただしい動きを見せていた。殺気立っていたという証言も出た(作った)。

 優作が何も刑事に言わなかったのはそれによる報復が怖かったからだということになった。


 そして、池沢家が見舞いに来た。

「優作……あんたには感謝しかない…… ありがとうございました!」

「お嬢……」

「優作さん、俺もこの通りだ。もっと早く来れなくて申し訳なかった」

「隆生さんまで……、やだなぁ、俺、照れるって!」

 本当に真っ赤になってしまった。そしてその後ろから穂高が飛び出してきた。抱きついて、体を震わせて泣いている。一瞬、痛みに目を閉じたが、そのまま穂高の背中を撫でた。

「穂高! そんなに優作にしがみついちゃだめ!」

 はっとした穂高がすぐに離れた。

「ごめん、優作…… 僕……あの時すごく怖かった。最初殺されるんじゃないかって、自分のことが心配で心配で…… でもその後、優作がどうなったかって思ったら…… ごめんね、僕、自分のことを先に心配しちゃって」

優作は優しい顔を穂高に向けた。自然にそんな顔になった。

「若。俺、若の顔見て、ほっとした。俺ね、死にかけました。もう死んじゃった人だけど大切な人がいるんです。学校の先生。俺に勉強ずっと教えてくれて、でも俺ってこんなバカで。誰だって俺のこと諦めるんだ。なのにその先生だけは算数や理科を一生懸命教えてくれた。その人が言ったんですよ、いいのか? って。俺について来るのか? って。俺さ、行きたかったんだ、その先生と一緒に。そのつもりだった。けど……小さな手が俺を離さなかった」

 池沢とありさが顔を見合わせた。怖いのとは違う、ただぞわぞわとしてくる。

「若の手でした。若が俺を助けてくれたんです。ありがとうございます」

「僕、優作の役に立ったの?」

 穂高が涙を零した。それを見て優作の頬が濡れていく。

「俺を救ってくれたのは若です。命をもらった。若のためならなんでもする、そう決めたんだ」


 その日から何人も面会に来るようになった。カジやテル、洋一は大っぴらに。イチは日を空けて、夜ひっそりと一度だけ。けれど親父っさんは来ない。

「今お前のところに来るわけには行かないんだ、サツが張り付いてるからな。東井のこともあるが、跡目相続の披露目式がある。何度も『申し訳ねぇ、優作に済まねぇと伝えてくれ』って言ってる。『許して欲しい』ってな」

 イチの預かって来た伝言は優作を奮い立たせた。

「親父っさんに心配無いって伝えてくれよ。俺は大丈夫だって。若も来てくれた。まだしばらくは病院の中だけど、俺は親父っさんと若のもんだから」

「そうか。ありがとうな、優作。お前、足はどうなんだ? ちゃんと歩けるようになるのか?」

「分かんねぇ。なるようになるって」



 天気が良かった。そろそろリハビリが始まる。

「やだなぁ、このまま病院、バックレたいなぁ」

 独り言にしては大きな声だ。親父っさんのお蔭で特別室に入っているが、それも正直くすぐったい。

「誰がバックレるって?」

「花!? お前、何しに来たんだ?」

「何しにって、見舞いだけど」

 大きな花束と花瓶を持っている。さっさと花瓶に水を汲んで来てその花束を活けた。

「お前、見舞いに花束?」

「定番だろ?」

「定番って、俺に嫌がらせか?」

「まあね」

 花がニヤッと笑う。応じるように優作も笑った。

「優作、今日からリハビリなんだって?」

「ああ」

「だからバックレたいんだ」

「歩きから覚え直すって、ガキじゃあるまいし」

 花は優作のそばに穂高の写真を置いた。

「これ……」

「この前穂高を預かったろ? あの後、河野さんとジェイのところにすぐ預けたんだ。一番安全だと思って」

「そうか! 俺、花に迷惑かけたかと思って気が気じゃなかった……いや! 俺はお前のことなんか心配してねぇ!」

 花が苦しそうに笑う。

「いいって。そうか、そんなに気にしてくれてたんだ。嬉しいよ」

「バカ言えっ、お前なんかどうなったって」

 いきなり花が優作を抱き締めた。

「な、なに、お前、俺はその、そんな趣味、ねぇし」

 あたふたする優作から離れず花は呟くように言った。

「良かった……優作が無事で。危ないって聞いた時辛かった。帰って来てくれて嬉しい」

「花……」

 やっと体を離してもう一度写真を取り上げ優作に渡し直した。

「ジェイが写真を取ったんだよ。で、優作さんに渡してくれって預かって来た。みんなさ、優作のこと思ってるよ。あんまり自分のこと、バカだバカだって言うなよ。そんなの超えるくらいに優作はみんなにとって大事な人だってこと、もう分かれよ」

 気がつけば泣いていた。花の言葉が本気だと伝わってくる。組んず解れつして来たからこそ分かることもある。

「俺……1人じゃねぇんだよな、今」

「優作の周りにはたくさんいるじゃないか、心配してくれる人。そういうの1人って言わないんだ」

 花の中で『1人』という言葉ですぐ浮かぶのはジェイの顔だ。

「俺、1人じゃない……」

「改めてさ、友だちにならないか? 今までと変わらなくたっていいんだ。だって気持ち悪いだろ? いきなり肩組むっていうの」

「肩組もうとしたらどうせ投げるんだろ?」

『友だち』。この年になって初めてだ、友だちになってくれなんて。しかも相手は花。

「いい土産になったろ? それ見てリハビリ、頑張って。穂高の運動会、来年は優作も参加したら? PTAのリレーとかさ」

「俺が!? 出れんの!?」

「池沢さんも三途さんも歓迎すると思うよ。誰よりも穂高が喜ぶって」

「……この前、若が来た時にさ。『若』って呼ばないでくれって言われたんだ。『穂高』って呼んでくれって。簡単には変われねぇのにさ、そう言ってくれたんだ。これからは『優作兄ちゃんって呼ぶから』って…… 花、そんな大それたこと、いいと思うか?」

「いんじゃね? 本人がそういうんだから。それにさ、穂高は堅気だろ? 若なんて呼んだら周りが引くって。そうか、優作兄ちゃんか」

「お前が言うと気持ち悪い」

 次は食べる物を持ってくる、そう言って花は帰った。


 優作にはこれまで、それほどの夢は無かった。本当にただ生きてきただけ。

シンプルに考える優作だからこそ、辛いリハビリも乗り越えるだろう。きっと来年は穂高の学校でグランドを走っていることだろう。

(友だちかぁ! あいつと友だち。頭のいいお坊ちゃんなのに。俺を友だちにするって? ……友だち、か……)

 少しずつ欲が出てくる。生まれたことのない、欲が。

(わ……穂高が恥ずかしくないような人間になりてぇ)

 天井を見た。独り言が出た。

「久保木先生。俺さ、頑張るよ。もっと頑張る。頑張って頑張って、もっと頑張る!」

 優作の心が晴れやかになっていく。幸せだ、初めてそう思えた。




――優作の物語 完――

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