優作の物語 -20

 イチは勝蔵に連絡を取った。分かっていること、一部始終を話す。電話はすぐ終わった。

「テル、お前はその川北っていう病院に向かえ。なんとか様子を探るんだ。カジ、俺たちは東井の自宅に向かう。倅はバックレた、だから親父を捕まえるんだ」

 テルは途中で下ろされてタクシーを拾った。イチたちはそのままスピードを上げて走り去った。

(東井も終わりだな。柴山さんが……その先は考えるの、やめだ)

 柴山は幹部の中では一番の武闘派だ。柴山とその子飼いたちは皆荒っぽい。捕まれば無事な姿ではいられないだろう。


 テルは行きかう看護師にそれとなく優作のことを聞いてみた。

「さっき海で打ち上げられた男を助けたもんの知り合いなんですが。どうなりましたかね、助かったんですかね」

「今、手術中なんです、ごめんなさい、急ぐので」

 近くの椅子に座って、テルは手術室の明かりが消えるのを待った。


「穂高くん、眠れない?」

「……うん」

「そうか。おいで、ホットミルク作ってあげる。俺の作るホットミルクは美味しいんだよ」

 ジェイの手をしっかり握って寝室を出た。明るい所に来ると穂高が泣くのを我慢しているのがよく分かる。

「ぶちょーさんは?」

「ぶちょーさんはね、朝早く出なくちゃならないんだよ。だからもう寝てる。俺は穂高くんが眠れるまで起きてるから安心していいよ」

またジェイの手をぎゅっと握った。そこにしゃがんでジェイは穂高を抱え上げた。

「他のものがいい? ココアとか。作ってあげるよ」

「ホットミルクでいい。ジェイくん……」

「なに?」

「優作…… 大丈夫だよね?」

「大丈夫だよ、優作さんだから」

 穂高が小さくクスっと笑った。

「それ、変な言い方だ」

「そう? でも優作さんだよ? 元気じゃないとこなんて想像できないよ! また花さんに飛び掛かって投げられる。優作さんは強いんだから」

「……ジェイくん、やっぱりおかしいよ」

「そうかなぁ。そうだ、着替えとかね、花おじちゃんが明日持ってくるって。多分出勤前に届けに来ると思うよ。他に欲しいものがあればメールしとくけど」

「……いい。あ、ここ、辞書ってある?」

「あるよ、どんなのがいい?」

「国語の辞書がいい、あれ読んでると落ち着くんだ」

「待ってて」

 ホットミルクを置いて、ジェイは本棚を見に行った。そこにはいろんな本がある。最近はある専門誌を集めている。ジェイは3冊の辞書を持って穂高のところに行った。

「どれがいい? この分厚いのは広辞苑。こっちは漢和辞典、こっちはことわざ類語辞典」

「これ、いい? 見たことない」

 穂高はことわざ類語辞典を取った。

「いいよ、欲しかったらあげるよ。それは俺がずっと持ってた辞書だけど最近使ってないから」

「本当!?」

「俺はね、嘘ってつけないの。時々頑張ってやってみるんだけどなかなか上手く行かないんだよ。穂高くんがいい方法見つけたら教えて」

「本当のことを言わなきゃいいんじゃないの?」

「本当のことしか無いんだ、残念だけど。本当のことを隠したら何も無くなっちゃうから嘘も出てこないんだよね」

 穂高が立ち上がって座っているジェイの胸に飛び込んだ。

「どうしたの?」

「ジェイくん……大好き! 大好きだよ、嘘なんか覚えないで。いつも本当のことしか無いってカッコいいって思う。……優作とおんなじだ」

穂高を抱き締めた。そのまま膝に乗せる。

「こうやってようね。ゆっくり眠るといいよ」


  

『お前、バカだなぁ』

 久保木の笑う顔が見えた。

『バカってなんだよ、分かり切ったこと言うなよ』

『ホントにバカだ』

 優作は夢の中に漂っていた。まるであの海の波に漂っていたように。

 どこかで銃弾がどうの、弾が残っているだの、こっちは貫通してるだの。どうでもいいことが聞こえたり消えたり。

 そのうち何も感じなくなった。


『せんせぇ、一緒に暮らすっていつから?』

『なんだ、そのつもりなのか?』

『だってそう言ったじゃないか』

『そうしたいがな…… ホントにそれでいいのか?』

『ホントに、って、俺、楽しみにしてたんだ。せんせぇ、俺を面倒見るって言ってたろ?』

『そうしたいよ……そうしたい。でもな、さっきから「だめだ!」って声が聞こえてくるんだ。お前には聞こえないのか?』

『誰だよ! 誰が邪魔してんだよ!』

『分からないか? 分からないなら連れて行くけど。ホントに分からないか?』


――とくん

 どこかで聞こえる。

――とくん

(なんだ、これ)

――とくん  とくん  とくん

(俺の……心臓の音?)

 うっすらと影が見えてきた。けれど影だけ。自分よりちょっと小さな影。大きな影。ガッチリした影。いくつもいくつもその影が右往左往する。

(鬱陶しい)

手で払おうとする。けれどその手を小さな手が握った。離そうとしてもどうしても離れない。どんどん強く握られる。まるでどこかに行くのを止めるように、その手が縋りついてくる。

(だれ? なんだ、このチビっこい手は……)



 優作が目が覚めたのは次の日の夕方だった。ぼーっと目を開けたり閉じたり。

「目が覚めましたか?」

 看護師がそばに寄ってきた。脈を取られて「先生を呼んで来ますね」と言われた。耳に入る言葉が上滑りして、何を言われているのかよく分からない。

(先生、どこ? 夢だった?)

そんなことをぼんやり考えていた。

 医者が来て、手術のこと、銃創のこと、落ち着けば警察から事情聴取があることなどを説明された。

「危ない所だったんですよ。脚は銃弾が貫通してたから良かったんですが、背中から撃たれたものは体内に留まってましたからね。動脈を傷つけてなくて良かった。それでも途中で2度蘇生させました。よく持ったものです」

 事情聴取があっても名前も住所も言わない。優作は沈黙を保った。意識がはっきりすれば、優作には今の状況が分かる。下手なことを言うわけには行かない、そう思った。

(親父っさんたちの様子が分かんねぇ。若、無事ですか?)

思い出した。久保木と話した後出てきた小さな手。あれは……

(あれは若の手だった…… 若が行くなって……引っ張り出してくれたんだ)


 ありさたちは二日アパートで世話になった。

「こういうことがあっても俺は普通に来週から仕事に行くんだよな……」

 なんだか現実に思えない、この数日が。

「ごめんなさい、隆生ちゃん……こんな風に巻き込むつもりじゃなかった、子どもたちも」

「お前が悪いわけじゃないよ。親父っさんたちもな。しょうがないって思わせてくれ。俺はそう言う危険も込みでお前を愛したんだって、もう一度その覚悟がついたよ。穂高が無事なのは優作さんのお蔭だ。手術は無事に終わったんだよな」

「見舞いを考えてる?」

「もちろん! だがだめなんだろう?」

「ええ。警察が張ってるから。父さんがきっと誰かを潜り込ませるわ。そしたら様子が分かるから」

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