優作の物語 -17

 途中でどこか隠れるところは無いかと目が忙しなく辺りを探る。だが穂高と別れた真っ直ぐな道からは極端に建物が遠くなった。

 車のライトが行き先を照らす。振り向かなくても分かる、東井のところの追手だ。

(くそっ! こうなったら海にでも飛び降りて)

 その足元に銃弾が跳ねた。車の止まる音がする。優作の足は止まらない。今度は耳の端を銃弾が掠めた。

「止まれ! 殺されてぇのか」!?

(バカ、言ってら。止まったら、なぶり殺しだろ)

けれど足も限界に近い。スピードも落ちている。波の音が近い。防波堤と言っても立派なもんじゃない。申し訳程度に海と陸地を隔てているだけ。この辺りの海水は濁っていてまるで波の吹き溜まりのようにいろんな物が流れついている。優作はその中に飛び込む気だった。

(あ!)

足の腿を撃ち抜かれ、その場に引っくり返った。

(く、っそっ、ちき、しょ)

そのまま這う、波の音はもう耳元に近づいている。

「止まれ! もう逃げらんねぇぞ、ガキをどこにやった!」

 優作は地面の上でライトで顔も見えない男たちを振り向いた。

「へっ、なんのこった」

「三途川んとこのガキだ、どこに隠した!」

「分か、んねぇな、何を、言ってんのか」

「この野郎!」

「こいつ、連れ帰ってなぶるか?」

 優作は笑った。

「やれよ! そんなんで、俺が喋ると、思ってんなら、な」

「おい、無駄だ。こいつ、優作だ。言わねぇとなったらテコでも言わねぇ」

「組長になんて言うんだよ!」

 血が流れ続けているのがはっきりと分かる。

(若は、見つかってない……俺の役目は、果たしたんだ)

後は花が引き受けてくれるだろう。花なら一番いい方法を考えてくれるはずだ。

(くやしいが、あいつは、頭がいいんだ)

 よろりと立ち上がった。男たちに背を向ける。這うのではなく、撃たれた足を引きずって波の音に惹かれるように歩く。

「おいおい、バカか、あいつ。海に逃げる気だぜ」

「行かせりゃいい、ほら、歩け」

 足元にまた銃声が鳴る。優作は歩き続けた。

「面白れぇ、どこまで歩けるか見てようぜ」

 人生を抗って生きてきた。そんな自分を掴んでくれたのは三途川勝蔵だ、イチだ、カジだ、テルだ……

 花の顔が浮かぶ。お嬢、女将さん、順番は滅茶苦茶だ。倒れて、また立ち上がる。男たちがその後ろを面白そうに歩いてついてくる。

「どこまで行ったって死ぬだけだ、その辺で助けてくれって泣いてみろよ」

(わら、わせんな……みっともねぇ、ことはきれぇだ……)

 頭の中に波音がわんわんと響く。その中で背中に衝撃を受けた。それが何か分からない。

『ゆうさく!』

(わか、かえるから、)

『ゆうさく』

(親父っさん……)

 そして。

『優作! 俺はお前を待ってる。俺のところに真っ直ぐに来るんだ。忘れるな、俺がいるんだってことを』


(せんせぇ、おれ、どっかまちがったかな……)


 倒れた。男たちの足音が周りを囲む。撃たれた背中、足を蹴られた。蹴って蹴って、優作の体が防波堤の縁に転がる。

「泳げるもんなら泳いでみな!」

 そのまま蹴り飛ばされて優作の体が落ちた。

(親父っさん…… イチさん…… すまねぇ……)

 顔が浮かぶ、ただ一つの顔。

『優作。俺と一緒に住まないか?』

(くぼき、せんせ、くぼ……)

意識を手離した。ゆっくりと闇に包まれて行った。



「マリエっ! 出かけてくる!」

 いつもと違う花の様子に真理恵はすぐに玄関に来た。

「何かあったの?」

「時間がないんだ。悪いけど帰ったらすぐに飯食えるようにしといてくれる? おにぎりとかそんなもんでいいから。チビすけを一人連れて来る。後、風呂の用意と…… 1時間くらいで帰る。頼むな」

 そのまま飛び出して行った花を見送って、真理恵はすぐに食事の支度を始めた。


『高野台駅のデカい交番の前』それだけで運転手は分かってくれた。

「ああ、あの丸い交番ね。ちょっと遠いけどお金は大丈夫かな?」

「大丈夫、お願い、急いでるんです」

「分かったよ、抜け道知ってるから」

 あまりあれこれ詮索してこない。穂高はほっとした。聞かれてもどう答えていいか分からない。攫われて逃げて、逃がしてくれた優作はヤクザに追われていて。ただ、一時いっときも早く『花おじちゃん』の顔を見たかった。


『高野台駅のデカい交番の前』は丸くて大きい。何よりいいのは、前面がガラス張りだからその外に立っていれば何も怖いものが無い。中には警官がいつも6,7人いる。

 先に着いた穂高がじりじりしているところに、近くのパーキングに車を突っ込んだ花が走って来た。姿を見るなり穂高も走った。こんな穂高を見るのは初めてだ。花に飛びついて、声を押し殺すようにぎゅっと顔をつけ震えながら泣いている。

 しばらく抱きしめて花はしゃがむとハンカチで穂高の顔を拭いた。にこっと笑う。

「行こう。車の中で話を聞かせて」

 泣きながら穂高は今夜のことを話した。ハンドルを握る花の手に力が入る。

「じゃ、帰れないな…… 取り敢えず花おじちゃんとこに行こうな」

 穂高は自分を責めていた。優作がどうなったか分からない。どうなったとしてもそれは自分のせいだ。花は穂高の頭に手を載せた。

「穂高、優作を甘く見てるぞ。優作は何があったってへらっと笑ってるヤツだ。きっと帰って来る。それに穂高は何も悪くないよ。親父っさんのとこと行き来してるんだからヤクザの世界がどういうものか、誰よりも分かってるだろ? 優作に取っちゃ穂高の安全を守ることが何より大事なんだよ。もし穂高に何かあったら優作は…… な、分かるよな?」

(泳げないクセに子どもたちのためにプールに飛び込むようなバカだ、無茶するな、優作!)


 連れ帰った穂高を見て真理恵は息を呑んだ。

「悪い、泥だらけだから風呂入れてやってくれ。お握りは?」

「大丈夫、お味噌汁も卵焼きも用意したよ」

 穂高は風呂に入るのを怖がった。無理もない、体を拭いて服を着ている最中に男がぬっと入って来た。怯える顔を見て、花はすぐに上着を脱いだ。

「花おじちゃんと入ろう。マリエ、悪いけど子どもたちには言わないでくれる?」

「大丈夫だよ、花くんが出かけてる間に寝ちゃったから」

 今はもう11時だ。

 穂高は花に頭から泥だらけの体を洗い流してもらった。

「怪我してるな、出たら消毒しような」

 口数少なく穂高は頷いた。

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