優作の物語 -12

「ふぁああ、よく寝た」

 目が覚めた。部屋の時計は7時50分。

「うわっ、しまった!」

 急いで布団を上げて昨日夕食を食べた部屋に行った。

「あ、起きたか」

 源がにこっと笑う。

「悪い! 寝過ごした」

「しょうがねぇよ、疲れたろ。飯、大盛りでいいか? 一人の時は台所で食うことになってるんだ。来いよ」

 源に連れて行かれた台所は8畳はあるような大きさだった。ガスコンロは8つある。流しが大きいのが2つ。冷蔵庫は大きいのと小さいの、デカい冷凍庫が1つ。隅に小さいテーブルがあって椅子が2つ。

「悪いな、ここで食ってくれ。食べ終わった後は流しに置いといてくれりゃいいから」

 丼いっぱいの飯。大きな椀に入った温め直した味噌汁。漬物に玉子焼き。

「アジの干物を今焼いてる。先に食っててくれ、すぐ焼けるから」

「俺のためにアジ、焼いてんの?」

「焼きたてがいいだろ?」

「こんなに朝飯から豪華なのか?」

「今日の当番は俺だから。凝ったもんは作れねぇんだ。魚焼いて玉子焼き作って終わり。これでも上達したんだぜ? 親父っさんも女将さんもお嬢も同じもん食うから頑張ったんだ」

 源が笑う。

「当番?」

「ああ、掃除とか飯作ったりとか」

「俺もやんのか?」

「好きにしていいよ。俺もそうだった」

(よく分かんねぇとこだな)

 ボランティアにしちゃかなり金をかけすぎている。部屋も布団も食事も。

(なんか裏があんのか? ……そうじゃなくちゃこんなことするなんて何の得もねぇよな)

 けれどそれにしては源ものんのも明るくて人がいい。

(挨拶って言ったよな。そん時に分かるか)

優作はお代わりまでしてぺろっと朝食を食べた。

「美味かった! 焼きたての魚なんて何年振りかで食ったよ!」

「良かった、気に入ってくれて。夕飯はカジって人が作るから期待できるよ」

「朝言ってた挨拶ってのを」

「あ、そうだった。来いよ」

 奥の部屋に連れて行かれる。途中で大きな和室を幾つも見た。

「すげぇな、ここ! どこの金持ちの家だ?」

(若いのの面倒見るのって金持ちの道楽か)

それならそれで納得がいく。

「親父っさん、女将さん。昨日の優作ってヤツです。夕べから来てます」

(え、俺が来たこと今初めて言ったの?)

 頭を下げて中に入った。そこには昨日の年配の男が座っていた。

(確か、三途川……忘れた!)

世話になる気も無かったし、苗字を覚えていただけでも優作にしちゃたいしたもんだ。

「そうか、座れ。おい! 千津子!」

「はいよ」

 すぐに入って来たのは恰幅のいい女性。夫婦ともに貫禄がある。

「佐野優作っていいます。夕べからいきなり世話になっちゃって」

「いいんだ。ゆっくりしてけ。おい、源」

「はい」

「俺に出したアジ、焦げてたな」

「え、そうですか? すみません」

「次、頑張れよ」

「はい」

 優作は源に立つように促されたのを待ってくれ、と留めた。

「聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「ここって、どういうとこですか? ボランティアでハグレモンの面倒見てるってこと?」

 親父っさんと女将さんが笑っている。

「ボランティアか、ちげぇねぇ」

「そう思ってくれててもいいよ。似たようなもんだろうから。知りたいことは他の若いのにお聞き。後は好きなようにやっておくれ」

 女将さんが立ち上がった。

「私はあんたが気に入ったよ」


 廊下を歩きながら源は喜んでいた。

「初っ端から女将さんに『気に入った』って言われて良かったな!」

「そうか?」

「あんたの性格がいいって思ったんだろ」

 そこにのんのが来た。

「優作、荷物いつ取りに行くか決めたら教えろ。源、優作の引っ越し手伝ってくれ」

「いつでも構わねぇよ」

「いや、一人で出来るよ! あんたら、やること無ぇの?」

「俺は今から塾に行ってくる」

 のんのの言葉に驚いた。

「その年で勉強すんの!?」

「違うって。教える方」

「え、先生?」

「言ったろ? のんのさんは頭使う人なんだ」

 得意そうに言う源の頭をのんのが撫でる。

「日にち決まったら予定空けるから。じゃ行ってくる」

 その後ろにくっついて源は行ってしまった。


(俺はどうすりゃいいんだ?)

 部屋に戻ってあれこれ考えた。みんな同じことを言う。『好きにしていい』。まずそこが分からない。ここがどういうところなのかも分からない。いる人間もよく分からない。

(なんか、モヤっとするとこだな)

優作はこういう状況があまり好きではない。『なんとなく』というのが嫌いだ。

(しょうがねぇ、もうちょっと様子見るか。今動きようが無いのは確かだし)

 寝るところと食べることに困らないのは有難いことだ。そう思うしかない。


 それから二日ほど経った。誰も何も言わない。優作がいてもいなくてもここは普通に時間が過ぎていく。

(俺、なんのためにここにいるんだ?)

 のんのと話をした。源とも。イチ、カジ、テル、他にも数人。顔馴染みになり仲良くはなった。気さくで真っ直ぐものを言う優作に誰も垣根を持たない。だが、肝心の優作の知りたいことには答えてくれない。

「俺、ここでどうしてりゃいいんだ? 分かんないんだよ、教えてくんないか?」

「それは自分で考えるんだ。これから先、どうしたい? しっかりそれを考えるといい。ここでは誰もこうしろああしろって言わない。それは自分で考えて決めることだから」

 誰もがそう答えるのが優作にはだんだん我慢ならなくなってきた。

(やってられっか! 確かに寝る食うには困らねぇ。けどこんなぬるま湯、俺の性には合わねぇ!)

 出て行くのも自由だと言われた。布団さえ片付けておけばいい。黙って出て行っても構わない。

(冗談じゃねぇ、俺はそんな礼儀知らずじゃねぇやい)

だから朝食の時に親父っさんのそばに行ってきちっと座った。

「どうした、優作」

「俺、バカだから分かんねぇ、何をどうしてりゃいいのか。うだうだするのも嫌いだし、ただ世話になるっていうのはもっと嫌いだ。だから出て行きます。このままじゃ俺はダメになる」

「ここにいるとだめになるのか?」

「そうです。有難いとは思ってます。部屋もらって飯食わせてもらって。でもここは……俺には無理だ、いらんねぇ」

「分かった。そう思うならそれで構わねぇよ。挨拶、ありがとよ。飯くらい食ってけ」

「いや。俺は何もここでしてねぇ。最後まで食って終わりってのは虫がいいってもんですから」

 みんなに頭を下げた。

「俺がいつかものになったら、改めて挨拶に来るから。本当にありがとう」


 のんのと源が見送ってくれた。

「行く当て、あんのか?」

 最後まで気遣ってくれるのんのが有難い。

「何とかなるから。そんなもんだ、生きてくなんて」

「困ったら来いよ! 歓迎するからさ、迷わず来いよ!」

「源、楽しかったよ、あんたといた時間。そうだな、縁があったらまたな」

 優作は振り返ることなく、町を出て行った。


 ただ三途川の家にいただけだ。だから懐の金は変わっていない。

(2,300円。さて、どうすっかな)

 荷物は大したものじゃない。ほとんどが着替えと僅かな日用品。大きなバッグ一つに詰めてある。

(住み込みの工事現場とか、そんなのどっかで見つかるだろ)

 楽天家というのでもない。そこまで人生に夢を見ていない。社会的に自分がどういう扱いなのかなんてよく分かっている。まともな仕事に就くのは無理だと言うこともとうに知っている。

 ただ、優作の中に『底辺』という考え方は無い。いるべき場所にいるだけ。無理はせず、多くは望まず。期待もせず、目指すものも無く。

 空しいとは思わない。ただ久保木の顔が浮かぶとツキンと胸が痛かった。

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