優作の物語 -9

「先生、痩せたね」

 心配そうな声に元気な顔を見せる。

「失恋した」

「ええ、先生みたいな優しい人、振るヤツがいるの!?」

 面会室では元気な優作の声を聞いた。だが聞きかじっているのは他の在院者からの苛め。お人好しの優作は他の誰かに何かあると自分からそこに入って行ってしまう。時には事情も分からないまま。そのせいで被害を受けているらしいが、本人が何も言わないからどうにも出来ないと。

「お前、勉強はどうだ?」

 ここでは高等学校卒業程度認定試験も受験できる。

「だめー。先生じゃないからさ、俺に教えんの、多分まどろっこしいんだと思うよ。一生懸命教えてくれるんだけどさ、どうも俺が納得しなくって。今じゃもうお前はいいよって言われてる」

(優作…… 笑うなよ、辛いって言えよ)

「結局さ、介護サービスの職業訓練受けてんだよ。最初っから先生の言う通りにしとけば良かったな、いつも間違ったこと言わないんだから。頑固でごめん!」

「頑張ってるよ、お前はいつも。そうか介護か。いいんだ、それやりながらまた勉強すりゃ。世の中には70になって大学で勉強したいって受験受かる人だっているんだぞ。若いんだからたくさん可能性はあるよ」

「先生だけだって、そんなこと言ってくれるの」

 時間を告げられて、久保木より先に優作が立つ。いつもだ、先に久保木を立たせない。

「見送らせて、先生」

 出された手を握ると引っ張り起こす。その手は大きくていつも温かい。

「先生、帰ったら寝なよ。ちょっと熱あるような気がする」

「そうか? お前だけだよ、俺の体を心配してくれるのは」

「次の彼女、見つけなよ。きっと素敵な女の人見つかるよ」


 久保木は建物を振り返った。

(とうとう言えなかった)

 胃の具合が悪くて検査を受けた。結果は思わしくなく、来週入院して手術を受ける。

(次の面会…… 頑張って来るからな)

 もう12月半ば。優作は来年の春には退院する。その後引き取るのは久保木だ。

(2月にはもう一つの部屋を片付けておかなくちゃな)

 久保木だってその先を楽しみにしていた。もう手離す気はない、独り立ちするまでは自分が面倒を見る。


 少年院には生活指導の教官たちがいる。トラブルがあるとそこにたいがい出てくる優作の名前。経緯を調べれば常に非は無いのだが、時に事をややこしくして教官たちを困らせることもある。

「佐野君。君が悪くないと言うことは分かっている。ただあまりにもトラブルが多い。これからは退院に向けてしっかりした生活態度を見せてほしい。君も退院が延期になるのは望まないだろう? 私たちは佐野君が真面目だということを知っている。だが君の行動が理解されないことも多いということを知ってほしい。世話になる久保木先生にも申し訳ないだろう」

 それを言われると弱い。確かに後になれば反省するのだ、余計なことをしたと。だがその場ではその気持ちが消えてしまう。

「気をつけます。何も起こさないように頑張ります」

 優作は必死に自分を抑えた。もう久保木に迷惑をかけたくない。信頼に応えたかった。


 年が明けて優作は教官に質問しに行った。

「面会の予約、入ってませんか?」

 もう久保木が来てもいいころだ。それとも具合でも悪いのだろうか。最後に見た時に痩せていたのが気にかかる。

「君の引き取り人でもあるからね、連絡を取ってみよう」

「お願いします!」

 深く頭を下げた。久保木も一人住まいだ、こんな時にその身が心配になる。

(だから彼女、早く作ればいいのに)

心配でもそばに行けない、それが辛い。


 その日の午後、優作は呼び出しを受けた。

「佐野君、院長先生がお呼びです。来てください」

「はい!」

(ここのところケンカもしてねぇんだけどな)

 退院に響いたら困る、そう思いながら後をついて行った。

「かけなさい」

 ピシッと立っていると院長先生が優しい声で椅子を勧めてくれた。

「ありがとうございます!」

「君はいつも元気が良くて気持ちいいね。教官たちからも評判がいい。私たちは君の社会復帰を心から望んでいる」

「はい」

「……退院後の引き取り手の久保木先生だが」

「はい」

「君に伝えることがある。先生は今年1月4日に……亡くなられた」

 声が途絶えたのは少しの間だった。

「院長先生がそういう冗談言うのは良くないです。今月も面会に来てくれるって先生は言ってました」

「前回の面会は12月16日だったね。20日に入院されてね、23日に手術を受けられたそうだ。癌の疑いがあったそうだが、開いてみると転移が広がっていたらしい。患部の除去はせずに、そのまま閉じたそうだよ。本当に残念だった」

「……うそだ……そんなこと、ないよ。ここ出たら一緒に住むんだ、先生と。俺と住みながら先生は彼女探すんだ。もういい年なんだからさ、相手はバツイチでもいいんじゃないかなって俺は思ってるんだ。そういう方が、ほら、よく面倒見てくれるって言うか……尽くしてもらえるだろうって…… 4月は」

「佐野君、聞きなさい」

「桜が終わっちまうから花見は来年にしようって…… いろいろ計画立ててんだよ、俺たち。土曜はなるべく勉強見てくれるって言ってたけど、俺は、彼女さんとの、デートのじゃまだけは……しないように……」

「明日の訓練は休みなさい。お一人で住まわれていたからここへの連絡が来なかったのだと思う。退院したらすぐにお墓参りを」

「デートは邪魔、しないんだ! 先生は男の子だ好きだから! 好きだから……きっと3人くらい……男の子、赤ちゃん…… せんせぇ…… くぼきせんせぇ……」


 引き取りは施設の園長が受けてくれることになった。

「喜んで私が面倒見ますとも! 私がしっかりと引き受けます」

  


 上手く行かなかった、何もかも。優作自身が投げやりになっていた。

 少年院を出て施設にいる年齢ではなかったが、しばらく園長は賄係として優作を手元で雇った。その間にあちこち就職の世話をしたが長続きしない。

 始めの頃は優作なりに一生懸命頑張った。

(きっと久保木先生が見てる。俺のやってること、見ててくれる)

それでも自分の中の何かがぷっつり消えていた。

 真面目に働く、誰よりも。だが応用が利かない。少年院に入っていたし学歴も無い。資格も特技も無い。無い無い尽くしの優作が社会の歪の中に堕ちていくのは早かった。


 施設をふいといなくなったのは21の誕生日の日だった。

「ケーキを買って待ってるからね」

 出ようとする背中に園長の声が届いたが、振り返らなかった。それきり誰の前からも姿を消した。延長は笑うことが少なくなった優作に不安を抱いていた。

「早く帰っておいでね」

 その言葉が園長が優作に欠けた最後の言葉になった。


 命日ではない雨の中の久保木の墓に、一束花が置かれていた。

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