優作の物語 -3

 最初の返済は170万に減った貯蓄から払った。

「偉いね、ちゃんと日にち守ってんじゃん。一応あんたが安心するために言っとくが、俺たちは親父さんを探してるよ。見つかったら返済人を元に戻すから。それまでは頑張ってくれ」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 弱みがあるから簡単に卑屈になる。


 仕事が見つかったか? と聞かれ素直に見つからないと答えた。奥からガラの悪そうな太った男が立ってくる。

「いいとこ紹介しようか? 働くのは4時間くらいでいいんだ。午後2時から6時くらいまで。どう? 子どもは預かってくれる」

「時給、いくらですか?」

「時給じゃなくてさ、一日1万。手取りだぜ」

 嘘のような話に美幸は飛びついた。

「どんな仕事ですか!?」

「サービス業。客の相手すればいいだけだよ」

 時間帯がいい。それなら夫にもばれない。優作にもあまり負担をかけずに済むだろう。

「そこで働くんなら俺が少し金利肩代わりしてやってもいいぜ」

 目が見開く。

「早く借金から解放されたいだろうし。いくらいいパートってったってこの借金を返し終わるのにどれだけかかる?」

 その西山という男が美幸には救い主に見えた。

「あのな、そこは良心的なんだ。ただ枠があと一人しか空いてねぇんだ。早いもん勝ちになる。条件が良すぎるからな」

 ずっと専業主婦。いくらドラマだワイドショーだでいろいろ見ていても、自分の現実にそんな世界は無い。この前計算した25年という途方もない時間があっという間に縮まる。

「じゃ、俺が利息の5%引き受けてやるよ。ただな、仕事辞めるなよ。それが条件だ。土日祝日は休んでいい。それなら何とかなりそうか?」

 20%の利息が元の15%に戻っただけ。けれど地獄で仏。そんな気持ちだった。


 その日のうちに喫茶店でそこの店長と西山立ち合いで面接をした。

「この雇用契約書、目を通して納得行ったら署名してください。はんこじゃなくて、母印でお願いします」

 愛想のいい店長の笑顔で言われた通りによく読んだ。中身は簡単なものだった。

 有限会社 ローマン 職種:サービス業

 勤務日:平日のみ 14時~18時(原則)

 給与:日給1万円(接客3名以上の場合、1人に対し5千円増し)

「あの、時間で原則ってありますが」

「1日のノルマで接客2人って思ってくれればいいんです。だから早く終わればその分早く帰って構わないし、それでも1日分払うってことです」

 店長の説明でさらにほっとした。

「所得税、引かないので自分で確定申告でもしてください」

 そこで小声になる。

「別に勧めるわけじゃないですが無申告にしたっていいんですよ。実際ここで働いてる人たちはそうしてます」

 どこに都合の悪い部分があるだろう! 最初に25年の返済と考えて真っ暗になった気持ちに光が差したような気がした。美幸はサインをし、母印を押した。


 初めての出勤日。その日から美幸の地獄は始まっていた。

「僕。こっちにおいで」

 知らない人に腕を掴まれて優作は泣き始めた。

「なに? 甘やかして育ててんの?」

 泣くのを引っ抱えるように保育室と称した汚い畳の部屋に連れて行く。

「ママ、ママ!」

「うるさい子だね!」

 どう見ても保育士とは見えない50代の女。他に4人くらいの子どもが中にいた。

 制服として用意されていたのは薄いペラペラで袖無しのブラウス、短いスカート。

「サービス業だって聞いてました!」

「嘘は言ってないよ、これは立派なサービス業だ」

 この前の面接の時と店長の顔は一変していた。

「給料高いんだ、あまり文句言われても困る。それに西山さんに悪いと思わないか?」

 西山は身元保証人にもなってくれた。家族の名前を書くように言われて助け舟を出してくれたのだ。唾を呑み込んで美幸は着替えた。

 更衣室から店に連れて行かれるとそこは別世界だった。暗い中に緑や赤、黄色と電飾が光る。騒々しい音楽の中、ソファに座る男に密着するように座る女性たち。時々そのスカートに男の手が入って行く……

「むり……私には、むりです」

「借金、どうすんの? あんた払えるのか?」

 初めて横に座ったのはやたら喋る男だった。店長が出勤初日だと言うと異常に興奮して喜んだ。

「今日はこの女、貸し切りにしてくれ。その代わり倍払ってやるよ」

 倍額。美幸にはまだ分かっていなかった。俯くように頷くと男は美幸の腕を引っ張って立たせた。

「あの、」

「部屋、変えよう」

 個室に連れ込まれる。そして……


 行かないわけにはいかなかった。辞めたいと言うと、家に行くと脅された。自筆の雇用契約書がある。夫の知らない男の名前が身元保証人の所に書かれている。

 借金を返す金額は増えた。だが衣装代、個室代は自分持ち。それで5千円が消える。相手を増やすしか無かった。

 ……子どもが出来た……



 妻の様子がおかしい。賢作はまず病気を疑った。

「美幸、俺に何か隠してないか?」

「……なんのこと?」

「この頃顔色が悪いよ。どっか具合悪いんだろ。病院行ってるか?」

「あの、貧血が酷いって。そのせいだと思う」

「貧血? お前の料理バランスいいのにな。あまり無理するなよ。調子悪い時は先に寝ていいから。この頃残業続いてるし待たなくていいよ」

 夜の行為を拒むようになっていた。けれど貧血ならそれほど心配することでもない。賢作は安心した。

 つわりが始まる。賢作は二人目に素直に喜んだ。

「だから具合悪かったんだな。今度は女の子がいい!」

 絶望が襲う。まともなことが考えられない。きっと夫は全てを知ってしまう。優作の笑顔が辛い……

『子どもが出来た? 冗談じゃねぇ! 明日旦那と会うからな、こうなったら旦那に払ってもらう!』

 眠れない美幸は夜中に起き上がった。真っ白になっている頭。全てが終わったという思い。台所に行って握ったのは包丁だった。

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