優作の物語 -2
「まぁ、可愛い坊やね!」
「ありがとうございます」
誰にでも笑顔を振りまく佐野優作、3歳。父賢作はサラリーマン、母美幸は専業主婦。団地に住むどこにでもある家族。いつか家を買って親子三人で暮らすのが夢だ。その頃には家族はもっと増えているかもしれない。
けれど母は今、違う理由でパートを探すのに必死だった。そのために優作の入れる保育園を探している。
「困ったわねぇ。どこもいっぱいなんですよ。働いているお母さんが優先だし」
「働きたくても子どもがいるから無理なんです。預かってもらえないと働けない、どうしていいか……」
「そうなんですよね。皆さん同じことで悩んでます。保育園が少ないからどうしようもなくて。空きがあれ出れば連絡しますね」
どこにでもある家族のはずだった、美幸の父がギャンブルに狂っていることを除けば。
母がいた頃はそうでも無かった。母が50代で他界したことが父には受け入れられなかったのだ。54の父は定年を待たずに退職し、残った家のローンを払うはずだった退職金をほとんどギャンブルに使ってしまった。
それからは何かというと金の無心をしてくる。最初は月に1、2万。やり繰りすればなんとかなる金額。美幸は賢作に相談することが出来なかった。父の在り方を賢作はひどく否定していたから。
自分だってそうだ。働けばいいのだ、自分一人分の生活費くらい。けれどいくら言っても父は聞かない。無心してくる金額も回数も増えてくる。
父の家に行って喧嘩をした。もう会いたくない、連絡もしないでほしい。
父とそうやって決裂した。
だが。
チャイムが鳴って玄関に出ると30代くらいの知らない男が二人立っていた。
「平井博文さん、ご存じですよね」
「私の父ですが」
「じゃ、あんたが美幸さん?」
急にぞんざいな口調になった男の笑い顔に不安になる。
「親父さん、どこにいるか教えてよ」
「父とは会ってません。連絡も取り合ってません」
「困るねぇ、そんな嘘ついちゃ。ちょっと上がらせてもらうよ」
「困りますっ!」
だがそんな言葉が通じるはずもない。あっという間に入り込んでキッチンの椅子にどっかりと座ると、男はテーブルに紙を広げた。
「これ、覚えあるでしょ」
[借用証書] 額面は500万だ。
「これ……」
「親父さんに貸した金だ。一ヶ月の返済額8万を先月、今月と払ってこねぇ。その下を見てみろ」
『保証人 佐野美幸』とある。美幸は真っ青になった。
「なにも……なにも聞いてません! 名前、私は書いてないです、印鑑だって違います!」
「いいんだよ、払う相手が誰だって。違うってんならあんたの旦那に話したいんだけど何時に帰って来る?」
血の気が引いた。夫は普段理解はあるが、これは無理だ。
「父に、父に言ってください! 私たちには関係無いです!」
「おいおい、そうは行かねぇよ。月々遅れなく払うか全額一括で払うか。どっちかだ。あんた、こんな時間に家にいるってことは働いてないんだろ? パートでもして払えよ」
そんなに簡単に行くわけない。近所の奥さんがよく話している。保育園代はバカにならないと。
『働いて10万の収入で3万は保育園代だもの、なんのために働いてるか分からないわ』
「本当に無理なんです、お願いです、父を探してください」
そんな言葉に耳も貸さずに男が続ける。
「そこに利息のことが書いてあるだろ? 15%の利息で1回遅れたら金利は20%になる約束だ。500万の1ヶ月の利息は20%で83,333円。だから1ヶ月10万払えば元金は1万7千ずつ減っていく」
数字の恐ろしさに頭が追いつかない。
「いえを……父の家を売ります! それで充分払えるはずです!」
「それは無いな。とっくに親父さんの家は去年700万の借金のカタでもらった。だから丸々新しい500万の借金だけが残っている」
「ならどうしてまた貸したんですか! 貸さなきゃ良かったじゃないですか!」
「貸してくれって言うのに貸すのが俺たちの商売だ。返せないなら借りなきゃいいだろう!」
突然の大声に怯えた。団地だ、近所にも声は響いて聞こえる。
こういう話に美幸は疎い。せめて夫に相談すれば全てが変わったかもしれない。けれど今の美幸には、何よりそれが恐ろしかった。
貯蓄は今、230万ある。それを足掛かりにすればなんとかなるかもしれない……
そんな浅はかな思いがあった。
「いいんだ、とにかく旦那が帰って来るのを待たせてもらおう。話はそれからゆっくりしようじゃねぇか」
「帰って……帰ってください、お願いします、お金、何とかします。働いて返します」
「本当か?」
「はい……」
「いや、そう言う話ならいいんだ。別に旦那に話す必要もねぇ。じゃ、ここに自分の名前とはんこ、押してくれ。今日はそれで帰る。次の払いは来月の10日だ。場所はここ。夜9時まで開いてるから」
保証人から返済人に代わる。男たちがいたのはほんの15分弱。それで人生が変わってしまった。
(今日も見つからなかった……)
あれから12日。月が代わってもうすぐ第1回目の返済日だ。求職の無料雑誌には募集が溢れていた。けれど子ども連れで働けるところはほんの僅か。電車で1時間かかったり、時給が安かったり。
今見ているのは保育室に子どもを預けて時給850円。クリーニングの工場での作業だ。1日7時間働いて月に14万ちょっと。そこからいろいろ引かれて手取りで約12万。絶望的な数字。
月に元金1万7千円減ったとして、年間の返済額は20万4千円。
(25年…… 25年かかるの?)
今もし、貯蓄の230万を返済に回したら。
(同じ金額返しても11年で終わる)
すでに金額の感覚が狂っていた。
「ただいまー」
「お帰りなさい!」
「いいの、見つけたんだよ! 54万で新車同様!」
「え?」
「車だよ、車! 維持費と駐車場料金はかかっちゃうけどさ、生活費にはたいして響かないって計算したろ?」
「そ、そうだっけ……」
「お前も車欲しがってたじゃないか。今度の正月はどこか温泉で過ごそう!」
「中古だけど乗り心地がいいよな!」
マイカーが夢だった夫の喜ぶ笑顔に返す笑顔が歪む…… パートは見つからないどころか、夫にそれとなくパートをしようか考えていると話すと猛反対された。
「もうすぐボーナス出るし、4月には昇給するんだぞ。優作の世話に専念できるって喜んでたのはお前じゃないか! 俺は保育園で育ったから優作を保育園に入れるのは反対だ」
出口を塞がれた。
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