洋一の物語 -3
目的の部屋は1階の奥、向こうから2軒目だ。手前の家から順繰りに回っていく。
「すみません、ブレーカーの点検と簡単な説明です。すぐ済みます」
中に入って2分も経たずに出て来る。伴野はそんな仕事も少々かじっていた。ブレーカーがちゃんと作動していること、夜、切れた時のためにブレーカーの位置を普段から把握しておくことなど簡単な注意だけして外に出る。
「ありがとうございまいした。何か困ったことがあったら電力会社の方にご連絡ください」
当たり障りの無いことを言って、被っている帽子のひさしに手をやりお辞儀をする。それを繰り返し、その部屋に近づいた。1軒は留守だった。
「すみません、電力会社の者です」
少しして若い女性が顔を出した。ドアを僅かに開けるだけ。
「ブレーカーの点検と簡単な説明です。すぐ済みますので」
「あの、困るんです」
怯えているのがはっきり分かる。
「2分ほどで済みますよ。ブレーカーの作動を調べてその説明をするだけです。今がだめなら上の階を回ってからもう一度来ますが。大体の時間が分かれば何度でも来ますよ」
「ちょっと待っててください」
いったん奥に引っ込む。ブレーカーの場所は玄関の上だ。中に入るわけじゃないと思うはずだ。何度も来られると思えばこの1回で入ることは出来るだろう。
少ししてまたドアが開いた。
「玄関で終わるんですよね?」
「そうですよ。すぐ終わります」
「じゃ、お願いします」
外で見張っている連中は中の男が判断したのだと思っているから特に動きを見せない。
2人の作業服が入ってすぐに台所の窓が開いた。そこからかなりの煙が出てくる。グレーでもくもくと出てくる煙に外の2人が敏感に反応した。動こうとする矢先に大声が響く。
「火事だ!!」
「逃げろっ!」
アパートの反対側からも煙が上がって見える。中から何人かの人が飛び出してきたが、周りが騒然となり始め下手に見張り2人が近づけずにいる。
「誰か消防署に電話してくれ!」
「火事よー!」
騒ぎの中で2人の男に支えられるようにして1人の若い女性がイチの車に走り込んだ。気づいた見張りの男たちが駆けてくるが間に合わず、イチがアクセルをふかした頃にやっと自分たちの車に走って行った。
「おい、無茶するな! 火事なんか」
「発煙筒ですよ。これ」
作業服の中からびしょ濡れの発煙筒を2本取り出した。脇では春香と連れて行った若いのが咳き込んでいる。
「ちゃんとこうやって回収して来たし。白と黒を混ぜたから結構本物っぽかったでしょ」
「それから足がつくってことは無いんだろうな」
「ないですよ、バイトやってた時にくすねたヤツだから」
「どんなバイトだよ」
「撮影現場」
二人の話の間に春香は割って入った。
「なんなんですか! あなたたち、誰なんですか!?」
「あんた、気が強いね」
イチが笑う。
「大丈夫そうで良かった。洋一から頼まれたんだ、あんたを助けてくれって」
「洋一……あの子、無事なんですか!?」
「無事って言っていいかどうか…… ウチで預かってるよ。とにかく連れてくから。ただちょっと遠回りする。変なのを連れてくわけにはいかないからな」
イチはあちこちぐるぐる回って伴野たち2人を駅の近くで下ろした。金を2万渡す。
「なんか食って帰れ。途中で電車乗り換えろよ。伴野、良かったら俺の下に来ないか? 考えといてくれ」
イチはそのままある自動車工場に向かった。
「イチさんじゃないか」
「悪い、いつもの」
「ああ、用意してあるよ」
別の車に乗り換える。
「塗装代、組に請求しといてくれ」
「今回はサービスだ。親父っさんによろしく伝えてくんないか?」
イチはにやっと笑った。
「分かったよ、よく伝えておく。資金繰りで困ったら言ってくれ」
「恩に着るよ」
「洋一っ!」
座り込んで体を掴もうとする春香を園田が止めた。
「せっかく出血が止まったんだ、今は眠らせといてくれ」
「あなたは?」
「これでも医者だよ。怪しいおっさんに見えるがな」
イチがにやっと笑う。
「イチ、お前の傷を縫う時はなるべく痕が残るようにしてやるよ」
別の和室に案内するとテルがお茶を持って来た。それを一口飲んでほぉっと息を吐いた。
「顔見て安心したか?」
「どうしてこんなことに……」
「あの連中は何も言わなかったのか?」
イチの言葉に春香は首を振った。
「ただじゃおかないとか、裏切者とか…… 仕事は休めって」
「そうか。なら洋一が説明するまで待ってやってくれ。俺たちは余計なことを言いたくない。ただ、しばらくはここにいてほしい。洋一が元気になったら後のことは自分たちで考えればいいから」
「あの……お金も何も持ってきてなくって……さっきのお医者さんにも払えないです」
「それは考えなくていいよ。身の回りのことは女将さんに話しとくから相談に乗ってもらえばいい」
さっきまでアパートに一緒にいた男に比べれば物騒な人たちには見えない。それに洋一の面倒を見てもらっている。
「せめてみなさんが誰なのか洋一がどうなってるのかだけ教えてください」
「倒れてる洋一をここのもんが見つけて拾ってきたんだ。それが洋一だった。腹を刺されてたよ」
春香が息を呑む。
「でももう大丈夫だ。一度は飯も食った。あんたは弟の世話をしててくれりゃいい。俺たちは『三途川組』っていうヤクザ一家だ」
今度は春香の顔が蒼褪めた。
「だがこの家にはヤクザもんじゃないただの居候たちがいるだけだ。みんな気のいい連中だから気にすることはない。ここでヤクザもんは俺だけだ」
やっとほっとしたらしい、春香から怯えが消えた。
「さて、後は優作を回収してこなくちゃなんねぇな。桜華組にでも突っ込んで行かれちゃ堪んねぇ」
イチは春香に家にあるものでこれは手放せないというもののリストを作らせた。入っている場所も。
「服だの日用品だの。新しく買えばいい物は除外してくれ。本当に必要なもんだけだ。急いでくれ、手を打てなくなる」
何かをしていることも今の春香にとっては必要なことだ。日用品を除外することでリストが出来上がるのは早かった。
「どうした?」
「こうやって見ると……必要なものって少ないんだなと思って……」
「そういうもんだ。身一つになるって簡単なんだよ」
イチはざっとリストに目を通した。入っている場所もきっちりと書かれていることを確認する。
「これ以外のものは諦めてくれ。無かったものと割り切るんだな」
イチは電話をかけた。相手は伴野。
「メールでリストを送る。手早くやってくれ」
『分かりました。で、荷はどうします?』
「どこか遠方から宅配で送ってくれればいい。送る側の住所は適当に。ここに届きゃいい」
『持ってっちゃダメですか?』
「ここには来るな。相手はお前を張るかもしんねぇからな」
『届くのに日数はかかりますよ』
「構わねぇ。後は任せる」
優作のことではカジが動いている。
「あのバカ、携帯も置いて行っちまって」
「だが行動は単純だ。粘りはあるからアパートには行きつくだろう。柴山さんとこに連絡しとく。近辺に誰がいるか分かんねぇから四の五の説明なしで引き摺って来い。真っ直ぐ帰って来るなよ」
「分かってます」
(優作に付ける薬ってないもんかな)
本気でイチはそんなことを考えてしまう。
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